「ギャラクシーエンジェル」US版Trailerのノリが、日本版に比べてスローテンポに見えるのは、日本のアニメ市場が「動きの速さ」を追求した80年代から「演出の早さ」を追い越した90年代を経験済みなのに対してアメリカのアニメ市場はまだそれを通過していないか、でなければ「そういう日本アニメの影響物が順番ごちゃごちゃに入ってきていて混乱しているから」かもしれないなあと思った。
速いアニメといえば、先日現役アニオタのSさんに「PROFONDO ROSSO」(サスペリア2)を見せたところ、事前に何の説明もしなかったのに一発で犯人を当ててみせたので、やっぱりアニオタのひとはすごいなあと思った。
夏本一糸で「ちょいサカモトマーヤぽい」と紹介されていた YUCCA Project だけども、どちらかというとというか、これはもう坂本真綾氏っぽいというよりあきらかにZABADAKオマージュまたはリスペクトまたはトリビュートなあれであって、おもわぬところでZABA度の高い曲にぶつかったなあと驚きつつも、ああやっぱりいつだってこういう毛色をがんばってるひとはちゃんと居るよねというような、妙にしっくり納得している感触もありつつというか(あんまこの場合の筋とは関係ないんだけども一応「男オタクと少女漫画とポエム思考メモ」とかと用語が重複しがちな文脈というか)、それはつまるところ「ニッチでも受け皿になる層がどの時代にも居る音楽」としておれが納得している部分があるというか。
適当にうろちょろしてたらもう1曲あった。
というかmuzieのページには「影響を受けたアーティスト」としてばっちりZABADAKが挙がっている。なんかこうストレートだと逆にすがすがしいぜまっすぐだ、ちょっといいなああのノリがこういうふうに継承され展開していくっていうのは。生半可では無理なので、けっこうありそうなわりになかなかないところをきっちり仕上げているところもすごいというか。
聴いたかんじ余裕が感じられるし、ということはほかにも芸風ありそうだからまあこれだけ好きってわけじゃないんだろうけど。というかこの作曲のひとのMANYO氏という名前には見覚えがあるような気がする。たしか同人とかでけっこう有名なひとだったような(うろおぼえ)。そのへんのひとがこういう曲作る感覚ってあれかなあOMYとかそういうノリと一緒なんだろうか。
おもわずZABADAKのCD探しちゃったよ。あった。ケースはかさばるから捨てたけどもブックレットは残ってた。聴いた。あー。
9トラック目の「ガラスの森」とかわかりやすいかなあ。やはりZABADAKはいいな、どういうふうにいいかというと、鳴ってても鳴ってなくても控えめに気分をたいらにするかんじなので、STOPボタンを押すタイミングのない音楽というか。おれの場合タイミングのある曲でもあまりSTOPボタン押さないので下手すると数日ループ再生しているという。
どうでもいいけど昨日だったか一昨日だったかからおれのPCのDVDドライブが壊れている。というか壊れていることに気付いたのがそのときで、実際に壊れたのはもうちょっと前かもしれない。もともとおれデータの出力に関して書き出し用のドライブとか一切持たずどうしても出すときはネットワークごしだぜ主義のひとなので、おれのDVDドライブはDVD-ROMしか読めないし書きに関する性能は一切なくてRとかWとか+とか−とかなにそれ知ったことじゃねえよみたいな非常にシンプルな安物だ。もちろん貧乏というのもあるが、可能性に金をかけても迷いとウェイトが増えるだけなのであんま多機能は好きではない。
あとなぜか知らんけどもおれが買うPC用のDVD-ROMドライブって必ず速攻オンボロになってしばらくするとウンともスンとも言わなくなるんだけどなんで?おれの吐く瘴気が問題?安物つったってそれなりに大事に使ってんだけどなあ。PCのある部屋じゃ煙草吸ってないし。さすがにCDすら読めないというのはちょっと困ったので(←「HOMEWORLD2」が起動できない)、なんとかしなきゃならんな。
自アン+で見かけた「30分に一人の逸材」という表現に笑ったが、そこに揶揄のニュアンスしか汲み取らないのはそれはそれであたま固いかなと考え直した、が、それはそれでやわらかくしすぎか。奥が深いなあ日本語。
なめらかアルバムでインチキパノラマ写真の表示とかをうまい具合にできないかなーとあれこれいじくっているんだけども、そういえば、なめらかアルバムはネタバレ対策にも使えるということに気付いた。こちらに例示。
とりあえずこんなかんじで「真相は右ーーーーッ!」とかやっとけば、たとえば(これはうそだけど→)「逆転裁判の犯人は」とか重大なネタバレをしても大丈夫というか、万全ではないけどもまあある程度の対策にはなるかんじか。
休日なのでへんな時間から起きて、へんな種類の仕事をして、夜は珍しくMさんと回転寿司を食った。いつもより遅く帰宅。あ、今、24時間以上カレーを食ってない。馬鹿な。
最近、大瀧啓裕編「暗黒神話体系シリーズ クトゥルー」を適当につまみ買いして読み返している。
ああ馴染むなあこのかんじ。これこれ。中坊神経を刺激する深淵感とかぬぞぷり感とかてんこもりだ。宇宙的恐怖とかあらゆる意味でおれの人生と関係なく無責任で、食字快楽素材として最高ニャルラー。
ラヴクラフトものの訳にはいろいろあるけどやっぱりおれにとってはこの大瀧氏によるシリーズが馴染む(たとえば Cthulhu は、クトゥルフよりク・リトル・リトルより個人的にはクトゥルーがしっくりくる」というような感触も含んで総合的になんとなーく)。「初心者におすすめ」感が高いというのも好印象だし。逆にこのへんから入るとへんなクセがついてしまって初心者-中級者の階級闘争を誘発してしまいがちなのかもしれないけども(そこいらへんのことにあまり深く立ち入ったことがないのでどこらへんが「界内標準」なのか知らない)。
で、まあ、それはそれとして、しかし、最近でまともに本を落ち着いて読める時間というと「めし食ってるとき」なので、行儀が悪いけどもおれがクトゥルー読んでる時間というのはだいたい食事中だ。そんでやっぱりラヴクラフトものはめし食ってるときに読むもんじゃないかなあとかちょっと思った。
あとおれがこのシリーズ最初に読んだのって確か中学の時だったんだけど(まさに中坊神経全盛期!)、そのときに「ラヴクラフト氏とダーレス氏ではダーレス氏のほうが初心者ウケが良い」というような文章読んで「うーむオタ的にラヴクラフト氏のほうがイイというのは頭で理解しつつも確かにダーレス氏のほうが話が簡単なんだよなあ」とか、屈辱(←この己に対する屈辱感はオタにしか理解できない(←断言))を感じながらも納得せざるをえなかったのだが、今読んでみると明らかにラヴクラフト作品のほうが理解しやすくてそのへんの感覚差がおもしろかった。
てことはいずれおれは「「千と千尋の神隠し」のちひろより「火垂の墓」のセツコのほうが萌える(マジで)」とか言い出すのかなあ。どういう筋合いかなこの脳内ラジオは。
「銀の鍵の門を超えて」について、当時やたら感動した覚えがある。幸いにしておれは乱読系のオタで、かつ当時は時代的に読者コミュニティの基盤も弱く薄かったから(=まだ世界地図が見えなかった頃)、個々の体系を個々として関連付けることもなかったし、それこそ星野之宣「2001夜物語」とかそういった作品と大差ない方角に配置して楽しんでいたけども、生じてしまったあの種の情動が強力な読者コミュニティの対話能などに支えられて価値付けとか意味付けとかにリンクしてしまうと、たぶんKanon信仰とかそういう行動に走ってしまうんだよなあ中坊神経症を患う年頃のオタはたぶん。物心ついたときにのっけから「地球は丸い」と教えられてしまうオタが不運に見えてしまうのは、まあそれはおれが年を食ってしまったということなんだろうけど。
そこで新世代を担う優秀オタの場合なら「いやなにいってんすかこのおっさんは地球丸くなんかないっすよ14次元上でなら表現できますけど」とか言い出しちゃって彼らは彼らの世界の形をきちんと見出していくんだろうけども、そういうのばかりじゃないしな世間は。
逃げ場があれば踏みとどまれる。
まだ逃げる場所があるという安心感が背中を支え、元気を出せる。その元気は拡散性を持った元気だ。土壇場ではあっても文化文明の余地がある。逃げ場まで逃げればそこが最前線になるため、自分の居場所を最前線一種類のみにしないために戦うということでもある、という見方をすれば「逃げ場がある」という状況も決して余裕のある戦いではない。逃げ場まで後退を余儀なくされての戦闘は、生存と闘争が一致してしまうのでつらい。そこで出てくる元気は収束性を持っている。文化文明とかやわなことは言っていられない。
そういうシンプルな状況は、わかりやすくかっこいいんだけども、それはいうなればクリアとハイスコアの方向が一致しているレイディアントシルバーガンとかああいったSTGに象徴されるシビアさで、遊びと思えない戦いをそう捉えざるをえないのはつらい。アムロ然り碇シンジ然り、傍から見てるぶんにはいらつくだけの彼らの葛藤には、彼らなりの合理があり、実際その場におかれれば理解可能のものだ、が、まあ傍観しているぶんにはまだるっこしい。
人間はどんな状況に置かれようと余裕をもつことができる、とは全然別の話として、人間はどんな状況にあっても自分には余裕がないと思うこともできる。
Doodle をどうするかなあ。
本日、というか昨日になってしまったが、ヤマギワソフト館で火事。
ああああ、ヤマギワがヤマギワが。予約とかポイントとか管理体制無事だろうか。
友人知人に巻き込まれたりしたひと居ないよな?と確認の電話を入れてみたが連絡取れないひとアリ。まあニュース見た限り死者とか出てないみたいなので大丈夫だろう(追記:連絡取れた)。
最近の秋葉原はどうにも景気が悪いかんじで、こりゃいかんなあ秋葉原の店にきちんと金を落とすことをしなけりゃなあと思いながら、考えてみれば最近際限なく金をつかいまくっており残金が心もとないかんじであまり豪遊できるかんじでもなく。ううー、今度PC買い換えるときは秋葉原で買うか…。
URLメモ。
昨日のことだが桜玉吉「読もう!コミックビーム」「ゲイツちゃん」を買った。
「読もう!コミックビーム」は、週刊ファミ通に載っている、月刊コミックビームの宣伝4コマ漫画で、これはすごくいい4コマだ。この漫画でなら読んで泣いてもはずかしくない。029のやつとか今読んでも(リアルタイムで見たときも)ホロリときそうなエピソードだ。最後に載ってるO村編集長の後書きも泣ける。こりゃあ買わなきゃいかんよねコミックビーム。でも買わないんだ。
おれの場合、漫画雑誌は絶対に買わないと決めているので、月刊コミックビームも買わない。ので、おれはこの桜玉吉氏の4コマ漫画をけっこう痛みを伴いながら読んでいたのだ連綿と週刊ファミ通流し読みしながら、ああすんませんビームちょっと買いたいかなと思うときもあるけど買わないんですよおれみたいな。けっこうどの号に載ってたやるにも見覚えあるよ、おれ意外にちゃんとファミ通流し読みしてるんだなあと発見。
「絶対」の bold を超える strong は、漫画越しには原理的に届かないので、おれは月刊コミックビームを、ぬああと思いながら見過ごす。ぬああ。もしどこか道端とかで桜玉吉氏や、O村氏を、見かけたりしたら、買うかもしれない。まあ単行本だったら買ってんだけども。いましろたかし「釣れんボーイ」とか。あれはすごい漫画ですね。本当おれが世紀末から新世紀まで生き続けてこれたきっかけのひとつはあの漫画と言ってもいいと思う。
「ゲイツちゃん」のほうは…、あまりまとめて読むものではないと思った。非常に疲れた。
あとゲイツちゃんといえば、たいにゃん氏の「独裁戦車」を思い出して、あれをまた遊びたくなったんだけどもいまとなっては入手する方法もなし。
旧トライポッドからのお知らせ。
そういえば以前の告知だと http://doodle.tripod.co.jp/ から現アドレスへのリダイレクトは既にできなくなってるはずなんだけど、まだできるよねーなんで?と思って調べてみたら今月末までサービスが延長されているようだ。
むー、うー、はてさて、はてさて、はてさてー…。
自アン+の「急がないと遅刻するキャラコン」箱がおもしろかった。
なるほどひとつの目的地に向かって急いでいる2人が曲がり角で正面衝突するという状況は不自然だ。
SEGA WOW「Kunoichi」は、東京湾で釘付けされたので適当に最初からやりなおしてみたりしている。「散々苦労してクリアした面でも2回目以降はなんとなくクリアできるようになってる」というアクションゲームの神秘体験をひさびさに味わう。それもあるけど、この味わいはやっぱりセガというかなんというか。とはいえまだポロポロ落ちて死ぬ。
GBA「ポケモンでパネポン」(←おれ的にシリーズ中最も優れたパネポン)を発掘したのでプレイ。S-HARDのラスト近くのセーブデータが残ってたのでさくっとクリアしてV-HARDへ。くはー、むひょー、おもしれー。やっぱりゲームというものはおもしろくなければいかんのだなあとつくづく思った。
あとサウンドテストの「00」の曲いいな。ポケモンの曲なのかもしれないけど。個別のパートはチープなのに全体通すとなんとなく楽しい。聞こえない音まで補完して聴いちゃってるような、かつてあっていまはほとんど残っていない作楽術の粋。
アシモフ氏のロボット三原則は、おそらくかなりの部分で「正義の味方」の美徳と近しい。
正義「の味方」は、その名のとおり正義自体ではない(正義を積極的に支持する立場の者である)ため、ロボットのように、主に対する副としての振る舞いが善とされがちな気がする(男児向けアニメの正義の味方にロボットが多いのは、だからとても自然なことに思える)。ただ、正義の味方をロボット同様に捉えるというのはちょっと悲しい。ヒーローロボが擬人的に扱われるのは、順番こそ逆だが同じ筋道の話だと思う。
ロボット三原則はお話を盛り上げるための原則としても理解しやすい。ようするに、その三原則について、例外処理をせざるをえないシチュエーションにロボットを置けば盛り上がる。人間に危害を加えろという命令を与える→第二条例外、ロボなりの苦悩、ストーリー中盤の盛り上げネタに適。己を破壊しなければ人間を危害から守れない→第三条例外、自己犠牲、ストーリー終盤の盛り上げネタに適。
また、ロボット三原則を「愛の問題」に置き換えるとけっこうおもしろい。
第三条「ロボットは自らの存在を護(まも)らなくてはならない。ただし、それは第一条、第二条に違反しない場合に限る。」は、言い換えるなら「人間を危害から守るためなら、ロボットは人間より先に死んでよい」という許可のことで、これってどうなのよというか。高橋留美子「めぞん一刻」が思い出される。先立たれる悲しみ。ロボットがロボットというアイディアでしかなかった頃から比べると最近の事情は多少複雑になっている。人間が本気でロボに愛情を持つようになったとき、ロボット三原則の第三条はどうなるだろう?
「おれより先に死ぬことは許可しない」というようなハウスルールは成立しないか?
最近、GoogleとかBulkfeedsとか、webにおいて誰でも活用可能な検索力が最強に強まってきつつあり、そこで感じるのが、儀礼的無関心とかと微妙に立体交差している気がしなくもないがべつに交じり合ってはおらずどちらかというとまったく違う、「検索やアンテナには取得してほしくない文章をいかに隠すか」、つまり、ネタバレをどう扱うかという問題だ。
というか先日逆転裁判でBulkfeeds検索したらのっけから最終話の犯人の名前が引っ掛かって参った。
これはべつに誰が悪いってわけでもない、知らない者が知るものの情報に心得なくいきなり到達できてしまう状況の背反、ウラシマ効果もののSF作品などで口をすっぱくして語られてきた、個々の世界と時間流の違いによる悲劇のひとつ。数十年前に地球を旅立った最新鋭探査ロケットを、数十年後の人類の民間宇宙船がワープエンジンで追い越してゆく。シュバルツシルトに取り込まれて死への数分間を過ごす夫が、数十年後に老婆となった妻と再開する。心が準備するよりも速く情報と交わることのできるようになった情報科学社会。携帯電話が、インターネットが、超高速でひととひとの距離を縮めて交通事故を誘発する。アウトバーンにだって速度制限のある現代においても、インターネットの時速制限はいまだ制定されていない。
映画とか見て感想を日記する場合、そんなものさっさと書いておかないと忘れるので書くが、それが早ければ早いほど未見のひとへのネタバレ危険度が高くなってしまって取り扱いがむずかしくなる。Googleとかの場合なら1ヶ月とか半月とか間隔があくのでまだマシだがBulkfeedsの場合もう速攻でネタバレ大爆発。まあおれの日記の場合weblogツール使ってないしRSS関係の問題を心配する必要はないんだけど、それでもはてなアンテナとかの心配はする必要がある。
web日記がこれまで編み出してきた代表的なネタバレ隠蔽テクニック(?)としては、以下のようなものがある。
ほかにもあるけどとりあえずこんなかんじで。
まあ正しいのはたぶん別ファイルに分けてリンクだけ張って、そのファイルにはサーチエンジン避けとかしとけばいいんだ。というか根本的にはweb上で公開しなければいいんだ。けどもそれはけっこうめんどくさい。別ファイルに切り分ける作業もめんどくさいし「webにアップロードしない用の日記ファイル」がローカルに溜まっていくのはそれはそれでけっこうややこしくなるというか(←管理すべきものの種類が増えると頭がこんがらがる)。一覧性も落ちる。のでなるべく1ファイル内で完結させたい。けどもネタバレご開帳しまくりでは世間様にご迷惑が及ぶ可能性がある。矛盾なく解決できないのかこの問題。
というわけでアンテナとかサーチエンジンには以下の機能を実装してほしいなあと思っている。
具体的には、たとえば「<span class="spoiler">ネタバレ</span>」を「########」に置き換えるサービスとか(←ネタバレは英語で「spoiler」というらしい)。どこかのひとがはじめて普及してデファクトスタンダードになってしまえば勝ちみたいな未来。デフォルトで全部置き換えるのは「ネタバレがどうのとかうざってえのでサクっと全部みせろ」という本来的な欲求に対してこれまた不誠実なのでその機能はON/OFFできるべきとして。
それとは別にあれかもしれない、子供にやさしい検索エンジンであるところのキッズGooみたいなかんじで、「ネタバレを含むページは(このページはキッズgooのパニッシャー精神に抵触したためひょうじしないよ)とか言って表示してくれない作品感想検索エンジン」みたいなのとか出たらおもしろいかな、有効かどうかはわからないけども。
みてきた。おもしろかった。とてもよかった。満足した。
上映時間は3時間半ほど。ある程度体力に余裕があるときに見にいくべき。原作を知ってるひとにとって上映3時間超えは覚悟のうえのことだろうからいいとして、しかし原作知らないひとにとっては不当な苦行と感じられる時間があるかもしれない(起こること、起きたことが多すぎる!)。切れ目なく畳み掛けるように展開するため、見ているうちに時間感覚が麻痺する。
今回おれは上映時間を見間違えて、「信じがたいことに2時間程度に収まっている」と勘違いしていた(映画館の上映時間情報を見たらだいたい2時間くらいの間隔で上映開始されていたからなのだが、それは2つのスクリーンで交互に上映しているという意味だった)。が、冒頭()からして妙に余裕をもった時間の使われ方をしているように感じて、おかしいな、こんなのんびり展開してて2時間程度で収束できるわけないだろとか、勘違いだったかもと思いはじめ、気がついてみたら3時間超えていた。
見にいったのはレイトショーというか、23:30開始の回で、満員御礼で立ち見も出ていた。入ったときにはもうほとんどの席が埋まっていて、2列目の端のほうしか空いておらず、この位置ではほとんどまともな鑑賞ができないと判断し、上映がはじまってすぐに最後尾の通路に移動して立ち見に切り替えた。結果としてこれがよかった。
原作ファンには「初見は立ち見する」ことを強く推奨する。フロド一行の旅は第3作で最悪のものになる。ロクな食いものもなく、草木一本生えておらず、空気もまずく、道案内はアレだし、いつ終わるともしれず、成功するあてもなく、それでも進むよりほかない。そういった旅を眺めるのに立ち見は非常によい。疲労の質の問題だ。3時間半すわりっぱなしの疲労より、3時間半立ちっぱなしの疲労のほうがはるかにフロド一行への感情移入を高める。そして物語はクライマックスへなだれ込んでいき、時間感覚は失せ、怒涛のリフレインに至って、疲労もまた極に達し、なんかいい具合の汁が全身に行き渡って心と体が響きあうかんじ、「一体感」。これは原作が映画になってはじめて感じることのできるものだ。自動的に進行する物語に立ち会い、それを見届けるという感覚、なるほどー、これが映画かー。
取り急ぎ感想メモ。いろいろあるが省略。DVD版が出たときにでもまとめる。
この日記はLOTR(tRotK)に関して重大なネタバレを含んでいます。ネタバレ部分はCSSで隠蔽していますが、お使いのブラウザでCSSを適用していない場合や、アンテナ等でぶっこ抜いてる場合にはそのまま表示される可能性があります。この部分→「」が普通に表示されており、かつ映画の内容を知りたくないひとは読まないほうがしあわせです。
戦闘シーンは炸裂している。
これでもかこの野郎!というくらいやれること全部やりましたみたいな。ファンタスティック合戦劇見たければ必ず満腹できるだろう。ピーター・ジャクソン氏のオーク偏愛っぷりも極に達しているかんじ。あの馬鹿っぽさは北斗の拳とかに通じるものがあって笑える。
前作の映画を見たときおれは「指輪の支配力が強くなり病的に白くなっていくフロドは、徐々にマイケル・ジャクソン氏化していくようだ」とかそのような印象を持ったのだが、今作のフロドはおれにとって「マイケル・ジャクソン氏が沢田研二氏になってゆく」かんじで、すごく印象深かった。
Doom山に近付くにつれ、フロドの顔はどんどん沢田研二氏のそれと重なっていった、ああ、このフロド沢田研二。ロボットに変形し月を歩くピーターパンでは不足、マイケル・ジャクソン氏のままではだめなんだ、あれはあれでひとつの極だがフロドの担うものを支え導く力はそこになく、偉大で崇高な等身大の男にならなければならない、だからフロドは沢田研二氏に近付いてゆかねばならない、すくなくとも太陽を盗んでみせるくらいのポテンシャル、それが唯一でありしかし、フロドが獲得してゆく沢田研二力はギリギリの選択であり、そこに孕む危うさも増大してゆく。
ミナス・ティリスの外観はすごく納得がいった。
なるほどー、あんな構造になってるから「第○層まで後退」とかそういう段階防御が運用できるんすねー。
ゴクリの。
。
…。
…あと、うーむ?ちょっと気になることが。
もしかしてこの映画、?
。
あとこれはほんとに関係ないけど、規模や桁こそ違うものの「Fate」てようするに若オタにとっての「指輪物語」的存在なのかなーと思った、内容云々ではなくてイメージというか。説明がむずかしいけど、「すごい素人」としての大長編文芸のようなものを受け容れる土壌というか。
もらいもの。BLOGGER Tシャツ。
Blog of the Yeah! 2003の投票者抽選で当たったらしい。
大人用と子供用、どちらもMサイズ、よっておれの体格では着れないのだった。うーむ、用途としては、座椅子にかぶせてカバーがわりにするとかかなあ。
あと背中見てそういえばBLOGGERてGoogleに買収されたんだったなと思い出した。
かいもの。PS2。白いやつ。
「Shinobi」「Kunoichi」「THE 地球防衛軍」「モジブリボン」これだけあればまあ5年は戦えると目算が立ったのでこの機会に購入。どうせPS3もあと2年はものにならないだろうから最低それくらいは現役でいるはずとの根拠のない予測もありつつ。売り場に行ったらHDDつきのやつと標準の黒いやつとグランツーリスモの体験版つきの白いやつの3種類があって、
で、結局白。なんとなーくPS2はべつに色そろえなくていいやと思ったというのが1点と、たぶんグランツーリスモはついでに買っとかないと今後買わなさそうなので同梱セットで入手しておくのがいい気がしたのが1点、あとまあなんとなく若干多めの金を払っておくのもいいかなというのが1点(←白いやつは黒の標準より2k円ほど高い)。
けどこれ失敗。黒にしとけばよかった。なじまないよ。サターンの白はけっこう馴染むのにPS2の白はきっつい存在感だなあ。白は白でもペンキで塗ったような美白というか、汚れや傷が目立ちそうな白。生活感あふれるおれの部屋では逆に安っぽい印象が強調されてしまう(よくできた段ボール製の模型のような)。やっぱカドがとんがってるからかな。21世紀にサンシャイン60を眺めるような種類の、時代デザインのズレというか。まあサンシャイン60のかっこわるさは、かっこいいので好きだけど、ああ、素直に黒にしとけばよかった。やっぱあれか買った帰りに飯食いに行った先でさっそくPS2忘れそうになったというような、自分に注意力を注いでくれないおれに対するPS2のこれは罰か。
あと、ほんとにただ単に外側のガワを換えただけというのがしょんぼり。せっかく白にするならボタンとかスロットとか露出してる部分は全部白で統一してくれよー。
このサイト用のメールアドレスにもウィルスメールが届くようになった。
SEGA WOW「Kunoichi」の公式サイト見てたらTIME ATTACKでスーパーなプレイのムービーが上がっていた。なんかクロノアのエクストラステージのすごいやつを見てるかんじ。
あと「Shinobi」の廉価版にはスーパープレイムービーの収録されたDVDがおまけで付いてるということがわかったので買ってきた。
見た。ああ。がんばらないとねおれも。
昨日6面で詰まっていた「Kunoichi」を、9面(東京港)まで進めた。ちょっと蹴りがわかってきた。
はやく緋花のえろいコスチュームをゲットしたいなあ。
結局のところ自分で遊ぶつもりはないので「Fate」について感想をちらほらとリサーチ。サンプル数は極めて少ないけどもべつに大勢が知りたいわけではない。印象的というか個性的でおもしろかった感想が以下(要約)。
* このいはゆる「脳内パッチ」は、本来ソフ倫規制とかそういった事情の産物だ。
ソフ倫規制は「登場する人物は全員18歳以上の、大学未満高校以上な「学園」の生徒」とかそういった虚と実をエロゲーに生じさせた。もっと言えば「宿題で台形の計算をする18歳」とか「歯が生えかわり時期の18歳」とか「実の妹ではないけどほんとは妹」とか「生年月日と主人公との年齢差それぞれから導き出される年齢が、どう検算してみても合わないヒロイン」とか。ほとんどはシナリオ(または設定)の齟齬というかたちであらわれる。単純に考えればそれはシナリオバグとでもいうべきものだが、しかしソフ倫を前提としてエロゲーを見た場合に限り、それはハードルをくぐり抜けるために仕組まれた意図的なバグである可能性があるというわけだ。
虚を実に、実を虚に置き換えてようやくリリース可能な形になっているエロゲーを遊ぶ場合、その虚実を「本来の、正しく、矛盾の生じないかたち」にプレイヤ側が再度の(最終的な)修正を行わなければならない。「正しく」あそぶためにそれをやる、その能力やプレイのありかたのことを「脳内パッチ」と呼ぶ。
で、まあ、そういう、制作者が明らかにこのひとわかっててわざとやってるよという場合なら無条件発動だけども、「この制作者の場合べつにそういうふうなことは意図していないと思われる(すくなくとも断言できるほど証拠が揃わない)」という場合にも脳内パッチは適用可能で、たぶんFateの当該ヒロインシナリオは、そのような例のひとつなのではないかみたいな。
N.G.M.で紹介されていたBulkfeedsのRSS検索がいい具合だったので仮設。母体は限定されているが(RSSを配信してるサイトのみ)、ほぼラグなしでネット上にある話題を追っかけることができるのが強み。
かいもの。DVD「OCTOBER SKY」とPS2「Kunoichi」。
「OCTOBER SKY」は、実話をもとにしたロケット少年ものの名作映画(と言っていいだろう)。すでに何度も見た映画ではあるんだけど、せっかくものをある程度所持しておくような生活スタイルになって、あさりよしとお「なつのロケット」や川端裕人「夏のロケット」を所持しているのだから、だったらこれのDVDも所持しておかねばならないだろうということで購入。この映画の大きな泣かせどころはおれ的に2点あるが、印象が最も深いのは中盤の「シーン」だ。正確にいえばたぶんそこは、視聴者を泣かせるシーンでもジーンとさせるシーンでもないのだが、どちらかといえばドーンとかゲーンなのだが、とりあえずバッチリ情動を計算された重要なシーンのうちのひとつであり、記憶に残った。当時のおれにはそうだった。今のおれが見たら、どうなんだろうなあ。来週までに見よう。
あと「OCTOBER SKY」はアナグラムすると「ROCKET BOYS」になる。
PS2「Kunoichi」は、そろそろ我慢できなくなってきたので購入。うおお隠しコスチュームでモーションブラー気味な尻揺れをみなけれヴァー!「Shinobi」から蹴りコマンドが増えて複雑になっている、が、それゆえに簡単になっているという言い方もできる、らしい。とりあえず3面まで遊んでみたがやはりいきなり慣熟した動きはできず。当分ちまちませめてはかなく殺しまくるかんじで。
忍者といえばそろそろXBOX「SHINOBI GAIDEN」も出るなあ。あっちも忍者が対地攻撃ヘリと戦うゲームだから買わなければ。
策士が策の海で溺死、しかしその魂は☆になって天に昇った。
音牡咲氏が自アン+チャットに、せつなさを柳のようにサラリと受け流しているような、はたまた受け流せずにポッキリ折れてサバサバしているような、ふしぎな味わいのあるログを残していたのでクリップ。「せつねぇ」〜「意味はわからない」の、1分以内の受け流し〜反復して受け止め損ね〜四次元へ昇華、とでもいうべき転換は、そこにありうるさまざまな情感を想像できて味わい深い。実際にはなんにもないのかもしれないけども。
SEGA WOW「Kunoichi」、「たぶん6面で詰まるよー、難度関係なく。斬り込み云々じゃなくて落ち死にだから」と言われてて、へーそうなの、と思いながら遊んでたらやっぱり6面で落ち死にまくって詰まった。げふー。空中蹴りをもうちょっと使いこなせるようにならないとなあ。
今日はとにかく妙な日だった。
朝から水難、まあそれはべつにいいんだけども、仕事に遅れるーとダッシュしていたら横断歩道のまんなかで立ち往生しているばあちゃん発見、ああこりゃいかんですたいと適当に誘導して、煙草が切れてることに気付いたのでコンビニにいったら今度は道に迷って困っているばあちゃん発見、ああそりゃお困りですねえと適当に場所を教えて、なんか今日は妙に困っているばあちゃんに遭遇するなあと思いながら歩いていたらダメ押しの階段の前で大荷物抱えて立ち往生しているばあちゃん。なんなんだよ今日はもうあれかこれはいはゆるドッキリかよ。とか思いつつけっこう重いっすねえとか適当なこと言いながら階段を登ったが、べつにそのあとドッキリカメラのプラカード持ってヘルメットかぶったおっさんが登場するわけでもなく。
なんか1年分くらいばあちゃんヘルパーした気がする。
笹本祐一「ARIEL」が完結していた!何巻までリアルタイムでおっかけてたか忘れたので今度まとめ買いしよう。
PDFの読み物を探すーゼーと思ったが案外ないというか、あるぶんにはたくさんあるんだけどプレスリリースとかばっかでつまんねえよ。いまのところ最も豊富な「まともに読めるもの」源は、地方自治体の発行している広報誌とか、あと学校とかが発行してる「○○だより」みたいなやつ。
学校モノはけっこう奥が深くてよい。たまに思わぬ掘り出しものがあったりする。たとえば長島小学校の米作り新聞作品集とか。「思ったことは、たくさんも、お米が、とれたなと、思いました」とか日本語として神業だな。スタパ齋藤氏とかも大概すごいけどもやはり天然ものの前では霞んで見える。
つーかどっかひまなひとがPDF形式の月刊とか隔週刊とかのオタ情報誌みたいなの作ってくれたらうれしいんだけどなあ。速報性重視で毎日更新のニュースサイトとかだけじゃなくて、「今月はこんなことがありましたー」とか既報の取りまとめでいいから、スローペースで内容充実でリンクに頼らずページ内で情報を完結させて、特集とかもありつつみたいな。つうかそこいらへんの微妙なあたりはblogとかWikiとかがすくい上げていっちゃってるんだろうけども、あれはあれでもまだめんどくさい部分を残しているよなというか。なんかこう「ハイパーリンクはしないんだけど結局モニタで読む情報で、べつにプリントアウトして読んでも大丈夫になっているもの」くらいのかんじで埋まっていくこころの隙間ってあるような気がするんだけども。
東京タワー公式サイトて、展望台ライブカメラとかそういうものは公開してないけど、かわりにwmvパノラマムービーをダウンロード可能なかたちで公開してんすな。
PS2「式神の城2」のラスボス戦を眺めていて、このボスは死ぬまでに「世界」て単語を何回言うつもりなんだろと思った。
土曜の夜にサラーム・パックス「サラーム・パックス ― バグダッドからの日記」を買ってきて、洗濯しながらコインランドリーで読んだ。
コインランドリーで読む(現在、日本で、おれが、邦訳の)本として、これが最もふさわしいというわけではないが、(現在、日本で、おれが、邦訳の)この本を読む最もふさわしい場所がどこかといえば、それは間違いなくコインランドリーだと思う。読み終わったらコインランドリーのマガジンラックに置いてくればいい。ひまなやつが読むかもしれないし、おばちゃんがぶつくさいいながら捨てるかもしれない。読み終わらなかったので、持って帰ってきた。また洗濯するとき読もう。
この本を買ってみて「縦書きだったこと」と「思ったより分厚かったこと」が意外だった。なんか勝手に「横書きで、文字小さくて、図版とか適当に入ってる、雑誌みたいな体裁の薄い大判の本」みたいなのをイメージしていた。weblogなんだから、てっきり雑誌っぽく出力されてくるものだと。
イラクでは「未来少年コナン」が「アドナーン・ワ・リナ」というタイトルで放映されているらしい。
日曜の夜、ひげを剃った。風呂を掃除してシャワーを浴びた。怖れるものはなにもない。そして寝坊。さらに水難。泰然と享受。
月曜の夜、やはりこれからのおれは健康生活だろう、主に大豆パワーによって、と思い立ったので適当にコンビニをはしごして手当たり次第にいろんな種類の豆乳を買ってきて飲み比べ。
おれの理想の豆乳はあれなんですガキの頃に飲んだひょうたんみたいな形の容器に入った、いやひょうたんっていうより30円くらいのアイスキャンディーの容器みたいなというか。子供の味覚を意識してか甘味があとからつけてあって、しかしそれでも基本はばっちり大豆でうまかった。おれの体質は小学校のある時期を境にして「牛乳大好き→牛乳の匂いかいだだけで吐く」に劇的に変化したので、牛乳ダメ時代においては豆乳の存在はなによりおれの救いになった。あれだけ好きだった牛乳がまったく飲めなくなったおれにも、まだゴクゴク飲んでも大丈夫な乳があるという。
豆乳を飲んでいた思い出はいつもなぜだか夏だ。豆乳て夏の季語なのかな。
そんなこと考えながらこれも違うあれでもないと次々コンビニ豆乳を飲み干しまくっていたら、胃が豆乳でガボンガボンになって、それでも意地になって全部飲んで、今、腹が痛い。
ところで先日買ったDELLの液晶は、ガショっと90度回転させて縦型モニタとして使うこともできるんだけども、使ってるビデオカードの関係でWindows自体は縦画面モードに対応できなくて、ギニャーなかんじであり、しかしPDFを読む場合などでは、表示を90度回転させれば(なかば無理やりだけど)縦画面を活用できるということにさっき気付いた。
20インチでズバーンと表示するとさすがにでけーなおい。すげえ読みやすいよ。
この読みやすさはちょっと活用しないと損なので、ネットに落ちてるPDFをもうちょっとまじめに探すことにしてみようと思った。
このサイトを作るにあたって、基礎に組み込んでしまうかどうか検討したけど使わなかったスタイルシートとかビルトイン機能とかなんとかそういった関連のちょいテクのメモ。なお、おれの場合HTMLとかCSSとかある程度見れれば問題ないやというか、全般的にひとにおすすめできる書き方をしていないので、まともに使ってみたい場合は正しい解説を読んできちんと勉強することを推奨。
そうでないといずれ偉いひとにとっつかまって長々と説教を食らいます。
反転系のフィルタ。
MSIE6では有効なもののNN7&OPERA7では無効なため大々的な使用は見送り。
実験。まず原田くんの画像を1枚用意する。
で、
これらのフィルタを使うと、
![]() default |
![]() style="filter:fliph;" |
![]() style="filter:flipv; |
![]() style="filter:fliph flipv;" |
こんなかんじの表示になる(すべて同じ画像 040201_02.jpg を使用)。
もともとあまり応用の利かないかんじというか、かなり印象的な使い方はできそうだけどそれやるとそればっかになりそうなのでその点で言っても没ネタというか。でもシンメトリー倶楽部的な活動をやる場合に使えばおもしろいかもしれない…というかブラウザを限定するかわりにファイル容量を節約できる。
グレースケール化のフィルタ。こちらもMSIE限定。
![]() default |
![]() style="filter:gray;" |
これ使ってなにやろうと考えたかというと、このフィルタを body に適用するとページ全体が(画像もテキストもすべて)グレースケールになることを利用して、最新以外の日記を(すげえ簡単に!)新聞っぽく表示できるなあというか、そんなかんじだったんだけども、そうするとフィルタのせいでページが激重になってしまうのでこりゃダメだと没。
半透明フィルタ。れいによってMSIE限定。これは現在実際に使っている。ページ最上部の青いバーがそれ。
MSIEでしか透過しないけど、ごく一部装飾の範囲でありエンコードの重さ的にもまあ問題なく、べつに透過してなくても困らない程度のものなのでOKと判断した(半透明フィルタは gray フィルタと同じく広い範囲に適用するとブラウザの挙動を重くする。というかこの使用例でもかなり重くなってるかも)。あんまり凝ったことしてもしょうがないし、適当に省略して書いている。
![]() default |
![]() style="filter:alpha(opacity=20);" |
![]() style="filter:alpha (style=1,opacity=100,finishopacity=20,startx=50);" |
![]() style="filter:alpha (style=2,opacity=100,finishopacity=20);" |
MSIE限定なのであまり凝ったことに使うのもあれだし、というかあまり多用してもエンコードに時間食いまくってそれまたアレだしで、結局細かいところで微妙に使うくらいしかやれないかんじ。
content プロパティを利用して敬称を管理するやりかた。
アイディアとしてはアリだとは思うが、そういうことをCSSレベルで考えるのはあらゆる意味でダメなので不採用。
たとえばCSSファイルのほうに、
とか書いて、HTMLファイルのほうでは、
とか書いておけば、
と表示される、はず。原理的には。
ようするに、日記を書く際に、それが人物であれば人物、社名なら社名、法人なら法人、作品なら作品など、ともかくそれらがどのようなものであるのかを自分なりに定義して、個別にマークアップしておき、そして content で一括して敬称を挿入するやりかた。人物であれば一括して「氏」であるとか、会社であれば「社」とか。
だがもちろんこんなことはしない。
とかなんとか。
それはそれとして昨日、「ワラッテイイトモ、」を見終わって帰る途中でこのおれに接近遭遇を許す猫と会った。東京でははじめてのことだ。ふつうの猫はおれが近付くと逃げる。
すごくまるいというか、かなりデブ気味というか、恰幅のよいかんじの猫だった。原田くんと命名。
今日Linux関連の単語を検索してて偶然みつけたへんなスレッド。
タイトルで笑った。
ところで童貞といえば、先日自アン+に、
という箱が作られていて、投票されている童貞句の中におもしろいものがあった。
など。現在自アン+上空に作品がランダム展示されるようになっている。
Nさんと「ワラッテイイトモ、」を見てきた。何度か見ようと思っては寝過ごしを繰り返していたので、ようやく見れたというかんじ。おもしろかった。一見の価値はあった。
(→はてな辞書「ワラッテイイトモ、」)。
「ワラッテイイトモ、」というのは、TVのバラエティ番組「笑っていいとも!」を主な映像素材にしたMADビデオのようなものだ。
MADビデオのようなものというか、手法自体はMADビデオそのものなのだが、通常のMADビデオと違って一応一本筋の通った主観(編集者の視点)が存在し、それが連続しているために一個の作品のようなものとしてその映像は出来上がっている。自前でかなりの量の素材を用意している点も、まあ「ふつうの作品」としては当然だが、「MADとしては」珍しいといえば珍しいのかもしれない。とはいえこのあたりの混合率はそのまま編集したひとの、編集をした時点での個性の表現として理解するのが自然だしふつうだろう。作品はジャンルではなく、強いていえばタイトルに帰結していくものだから、「ワラッテイイトモ、」の理解は基本的にはそれを「ワラッテイイトモ、」として見ることではじまり終わる。ともあれ、きっかけはきっかけとして、現物は現物として、ああなるほど、そういうかんじかあと、楽しく見ることができた。
ただ、おれ考えてみれば「笑っていいとも!」自体をあまり見たことがない。人生の中でたぶん20回くらいしか見たことないんじゃないかな。開始から終了まで通してみたことは一度もない。子供〜高校までは、昼間TVをみる機会がほとんどなかったわけだし、まともに見る機会ができるとすれば大学以降なんだろうけども、もともとTV見る習慣がないので飯屋とかでかかってない限りは目にする機会がない。まあそれでも一応まったく知識がないわけではなくて、歌とかは一応知ってんだけど、番組の様式とか知らないんだよね。なのでいはゆる「元ネタを知らないMAD見るのは正しい視聴方法か否か」みたいな問題を抱えてはいたんだけど、大丈夫だった、「ワラッテイイトモ、」は「笑っていいとも!」を知らなくてもたぶん問題ない。映像の「こういう気分への理解」だけあればあとは大丈夫。
それは大学生越えたボンクラ男ならだいたい大なり小なり持ってるはず。
というかあれだなおれの中で「笑っていいとも!」は「散髪屋で見る番組」にカテゴライズされている。おれが髪を切りに行くのは大抵昼時で、そして散髪屋ではバラエティ番組が好まれる傾向があるので、おれと「笑っていいとも!」の接点といえばまずそこだということになるというか、ほかにない。むしろ「「ワラッテイイトモ、」の視聴時間」=「人生で最も長時間連続して「笑っていいとも!」の映像(素材)を見続けた時間」になった。
さて、今回は作品自体だけではなくて、上映会場もなんか妙なかんじでおもしろかった。
UPLINK GALLERYというところで、ええと、ここかな?
細長くて狭くもなく広くもない会場の正面に、大小さまざまなTV(わりと丸いやつ)が縦横雑然と積んであり、その脇にはビデオデッキの山。上下ひっくりかえってるものもある。こんな置き方してるとぶっこわれるよTV。実際中央のでかいTV以外はかなり映像の状態が悪く、というかほとんど砂嵐になってるものもあった。むしろこれはわざと映り悪くしてるね。で、まあ、座席とかそういうものはなく、適当にベタっと床に座ったり立ったままでとか適当に流れてる映像を眺めるというかんじ。
手前のほうにはちいさなTVとビデオとヘッドフォンが、こちらはきれいに並んでいて、個別に鑑賞できるようにもなっていた。
これがいいわけかこの空間的には、はたまたしかし「ワラッテイイトモ、」的にはどうか?とか思いつつまあそれとは別にこういうディスプレイをしてみたいぜ欲的なものはわりと嫌いじゃない。なんか「n年(←nには任意の整数が入る)のビデオキッズ」とかそんなかんじだ。または遅れてきたオサレMAX HEADROOMみたいな。「ワラッテイイトモ、」の内容と合致するのかどうか一概には判断できないが、これはこれでボンクラっぽいところのあるデザイン精神ではないかなあと思った。虚飾にだって力があることは否定しない。アンティークではなくレトロ。早稲田のオサレサブカル界隈の雰囲気っていうのはだいたいこんなかんじということでいいんだろうか。もっと定食屋のにおいのする文化かと思っていたんだけどもこういうパターンもありなのですかみたいな。
逆に田町のオサレサブカル界隈っていうと「モロにアンティーク」な例しか知らないので、ひょっとしたらあれか早慶の対比ってレトロ←→アンティークっていう視点も取れるのか?とかちょっと思ったりした、が、なにしろサンプル数が少なすぎるので勘違いかもしれない。
入場制限とか特になくて、いつでも出入り自由。上映終わっても客の出し入れとかなし。というか手前のほうで個別に視聴してるひとの場合開始終了の時間もまちまちだからどうもしないほうがいいかんじというか。
そのほか。
あと、上映開始・上映終了で一応人が入れ替わるんだけども会場のスタッフのひとがそれを厳密に管理誘導しているわけではないことから、「前の回が終わってひとが入れ替わって、適当にみんなが思い思いの場所に座って、正面の、べつになにが映っているわけでもないし、黙っていてもその状況が変化することはないとわかりきっている、TV群を、ぼーっと見ている状態」が発生して、それがすごくおもしろかった。一応「あのデッキの再生ボタン押せばいいんだろうな」というのはわかっているのに、誰も動こうとしないし、誰一人喋らない。明らかに連れ合いで来てるひとも居るのに黙って座っているだけ。
喫茶スペースのほうから漏れ聞こえる会話を尻目にしてその場にいるおれを含めた全員が「DVDデッキの待機画面が映っているTVを、なんにもせずボーっと見ている」というのがおかしくってしょうがなかった。なんなんだろこの状態、見始める前から「ワラッテイイトモ、」に取り込まれてるのか?複合状況でなければ起きないだろう、とすればけっこう稀な経験だ、まず立地、それにもちろん客層とその混じり合わせ、さらに会場のディスプレイや上映方式、そして「ワラッテイイトモ、」。
…とか思いながらニコニコしていたら、スタッフのひとがやってきてデッキの再生ボタンを押した。
帰ってから、違う会場で「ワラッテイイトモ、」を見たひとに「会場のディスプレイってこんなんでしたか?」と写真見せて聞いてみたりしたんだけど、ほかの会場はほかの会場なりのディスプレイで、こんなふうではなかったらしい。やっぱりあのディスプレイはあの会場ならではなのだな。
ともあれ、作品と会場の、それぞれの内容と、それぞれが合ってるような合ってないような微妙な部分を含めて、一粒で3度くらいおいしかったというか。