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03/11/01-15
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こころのかたち ひとのかたち

国産の多くのドラマでは、「実際にキャラクタたちがどんな絆より深くつながっている」との見方が多くの場合通用する、かも。
しかしそれだけではなく、単純ではない。

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おれが、当時あったいくつかのアニメ作品について「その登場人物の相関関係や、それが織り成す物語」全体を、大雑把にひとつの人格として見るやりかたがある程度通用することに気付いたのは高校の頃だ。きっかけは「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」で、あれはわざとと思えるくらいそういう解釈のしやすい作品だった。詳しい内容はもう忘れてしまったが、ママ役にあまえたりパパ役に意地を張ったりしながら2クール終わったあたりまででどうにか物語が一人前の人格らしきものになり(ただし「パーツが揃った程度」の段階で、キャラクタとしてはまだまだヘボい)、それからはじめて他者と出会って成長してゆく(ただし、作品の対象年齢からみてもその人格は最終到達点(最終回)までいっても円熟しない。「将来円熟する可能性を持った個」に収まってゆくかんじ)、というような話に見えてしょうがなかった。主人公のハヤトがではなく、ハヤトを含むコミュニティが、だ。
これを当時「物語人格」と呼称し、作品中の登場人物と並行してそのキャラクタを把握することもアニメ鑑賞中の留意点のひとつになった。

サイバーフォーミュラ(CF)は、この考え方で遊ぶには格好の作品だった(というかおれのこのやりかたを最初に適用してみたのがCFだったから、逆にこの考え方はCFのクセに沿って歪んでいるともいえるかもしれない)。しかもCFはそれだけで終わらず、突破して、その先までTVシリーズ内で到達し、シリーズが終了してもOVAまで出た(しかも何作も)。OVAはまあこの場合でいうなら余禄程度の楽しみ方しかできなかったが、その徐々にやおい引力圏に引きずられてサービスてんこもりになってゆくありさまとかを(いやそれはそれとしてもちゃんと一本筋は通していたとおもう)、なんとなく餓狼伝説がKOF化していくようなへんな感覚で楽しむことができたし。

あーでもZEROでの加賀のびびり具合とかおもしろかった。加賀が怖れた世界にハヤトは突っ込んでいくようになったかー、もう人間っていうかスーパーサイヤ人の戦いなのだなさすがOVAだな物語人格じゃなくて物語サイヤ人格だ、こりゃいずれCF世界で人間がコスモ(小宇宙)に目覚めたり人類が革新したりするんじゃねえか、みたいな。

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ちょっと思い出しメモ。

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余談になるが、こういった考え方では、すべての登場人物の人格や行動が肯定される。
強者であろうと弱者であろうと、卑劣であろうと誠実であろうと、論理的であろうと非論理的であろうと、人気であろうと不人気であろうと、すべてのキャラクタがそういうふうだったからこそ、物語がそのように展開し、最終回を迎えて、そのように完成した(または「未完成した」)と言えるからだ。「あいつが余計なことをしなければ」とか「あいつはああだからだめなんだ」とか思考実験するなら、最終的な物語が持つ人格の実像が変わってしまうが、しかし、エピソードが記した道筋は常にひとつだ。ゲームではないので、アニメはマルチエンディングしない(というか一通りから無数にマルチ妄想が可能なわけだから、こういう考え方をする客にとってアニメはマルチエンディングする必要がない)。

また同時に、結果至上の考え方ではないとも言える。
たとえば性欲と愛が戦って、「結局最後は愛が勝った」となったとしても、「でも途中で性欲が優勢だったこともあるだろ?」という事実があれば、それは肯定される。「最後に勝ったのが愛なんだから愛だけでいいです、性欲は負けたので要らんです」とはならない(性欲との戦いの経過がなければそのようなかたちでの愛の勝利もまたなかったはず)。

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…というようなことを、ふと中里一「百合史・百合論」を読んでる途中に思い出した。いまでもけっこう日本の実写ドラマとかでは適用可能なものが見受けられる。そもそもやりかたとして稚拙だし特に成果の出ない遊びなので、やってもしょうがないんだけど、避ける必要もまたない。のか?

まあ日本のドラマは、わりあい物語(世界)自体をひとつの人格として捉えることができる場合が多いとしよう、これをもとに即座に「そのようなドラマ作法が制作側に存在するのではないか」とは言えないが(ただの偶然、一方的な勘繰り、陰謀論者の世迷い言)、しかしドラマに限らずなんとなーく、「世界(現実)認識をそのようなもの(世界を巨大な人格とし、自分はその一部に帰結していくもの)として捉えるやりかた」が、日本ではわりと受け容れられがちなのかもしれないとは思える。ようするに擬人化するのがうまくて、慣れてるから、そういう理解を容易にする土壌があるんじゃないかなというか。
擬人化による理解は容易で(なにしろ自分が人間だから)高速で、強力だ。が、強力なだけにけっこうあぶない。なんでも擬人化して考える癖がついたら、全然人間と違う仕組みのものさえ擬人化して捉えてしまい、その勘違いが原因で失敗してしまう可能性があり、擬人化の強力さに目がくらんでしまうとそういう危険が目に入らなくなる。擬人化理解はウィルスに弱い。
だったら「(全然違った母体を持っているひと同士がかちあう危険性の少ない)島国だから効率優先の傾向を減速させる材料がなかった」という理解の仕方もありうるな。

で、ふとこういった考え方は、アメリカ産のドラマなどにはほとんど適用できないなあと気付いた。
アメリカのドラマを作るひとたちには、物語に人格を与えない。人格は個々のキャラクタたちに与えられる。そして個々のキャラクタたちがドラマを織り成した結果としての物語は、人間とは全然ちがった外殻を持っている。それは即「リアリティがある」という意味にはならないが、強いていうなら擬人化ではなく、現実のディフォルメだ。人間は人間、集団は集団、ドラマはドラマ、それぞれ違ったものである、同様の理解をしていない。
やっぱ大陸の人間は、効率よりも先に確保すべき安全の意味をよく知っているということなのかな。それとも個人の自由を尊重する文化が、個人の集団に対する安易な把握の仕方を許さないのか。

18:57 2003/11/15

PC / Fracas / Jason Merlo

scene research stationで紹介されていた「Fracas」というWindows用簡単戦略SLGがおもしろい。おもしろいというか、楽でいい。

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なーんかどっかで見たことのあるというか、細かくルールは違うけどマイコンからパソコンへの過渡期くらいにけっこう目にする機会があったようなかんじの、人力Aライフゲーというか、その亜種のひとつだろうか。大学時代にMくんにノートPC借りて、これと同じようなのを遊んで過ごした記憶が(ただしそのバージョンだと1ターン内の移動や戦闘を複数指定できた)。
ルールは単純至極なので遊び方もまあ1,2回やればほぼ確定してくるんだけど、6つある陣営の名前を自分で変更できたりするので、そこいらへんに自分の興味のある分野などの衣を着せてみたら妙に白熱する場合もある、かも。「あの陣営には絶対に1回も負けず速攻で殺す!あれは敵なので最後にじっくり料理してやる!あすこはなんとなく仲間感が高いのであまりいじめないようにしよう」など。

というか、この程度の戦略性だけの、東京とかを舞台にしたようなかんたんSLGを同人で1本欲しいなあとここ2年ばかり思ってるんだけど、SLG系の同人ゲーてなかなか見ないんだよな。もーぜんぜん適当でいいから、固定イベントとかいらないから、ヒーローユニットとか不要だから、漫然と萌え絵など織り交ぜて一発!コミケなどで売られている同人ゲーは、どうにも一週間弱の短期決戦以外の商品寿命が見積もられていないかんじで、たとえば夏売りのゲームなら冬コミまでの3ヶ月、冬売りのゲームなら来年夏までの6〜7ヶ月程度の間、細ーく長ーくも遊べるようなひっそりゲーの入り込めそうな隙間ってあるような気がするんだけど…。結局、場で売る商品だから場で勢いがないとダメってことになるのかなあ(強火で炒めるかんじ)。しかし場で勢いのある商品は家にもってくると一週間もたねえわけだし。うーむ。その点で「中火でコトコト」くらいのノリがギリギリ通用しそうな同人ショップ流通に注目する価値がありそうだが…というようなことを、そういえば01年の年頭あたりに妄想していたような。

誰かつくらないかなあ。ミ田スタートから、フリーセルとかと同じ場所にショートカット登録しとくかと思えるよーなお気楽お手軽SLG。

7:57 2003/11/14

日々

「ワラッテイイトモ、」のオリジナル版無料上映会が、03/12/06の13:00から、東京藝大取手校地メディア教育棟であるらしい。

ようするに「一線を突破した動画MAD」なのかなーと、興味があるし、たぶんそういうのは好きなので、一応なにもなくて寝坊しなければ行く予定。茨城県っていうと県境越えちゃうしちょっと遠いなあというかんじだけども池袋から電車で1時間くらいか。それにバスの時間を見込んで、徒歩の時間もあるだろうし、2.5時間くらい余裕をみればだいじょうぶか?じゃあ10時30分。寝坊しそうだ。

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HW2関連メモ。

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唐突に「エヘン虫」を検索してみたりして遊んだ。あと「苦虫」とか。
エヘン虫はともかく、苦虫は実際にこれと特定されている種が居たよな確か。なんか昔「よく苦虫を噛み潰したような顔っていうけど、あの苦虫っていうのは○○のことなのだぜ」みたいな話を聞いたことがあるような、ないような、と思ったのだが、苦虫の正体を検索することはできなかった。

ところで、実際に苦虫の本物を噛み潰してみたら、本当の「苦虫を噛み潰したような顔」になるだろうか?おれはならないと思う。おれが苦虫を噛み潰したら、苦虫を噛み潰した顔になり、それは苦虫を噛み潰した「ような」顔とは違ったものになるはずだ。でも世の中のどこかにはたぶん、苦虫を噛み潰したような顔と苦虫を噛み潰した顔がほとんど一致するような生き方をしてきたひともまた居るはずだとも思う。

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ちびちび読んでいる中里一「百合史・百合論」が、そろそろ現代に到達。

5:33 2003/11/14

日々

最近PSやSSで戦争3Dゲーを再確認している。
主にSS「GUNGRIFFON」とPS「PANZER FRONT」。

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で、以前にも書いたように思うんだけど、これらのプレイに際して妙な感覚を味わっている。
適当に序盤などを思い出したようにプレイしているだけなので、まだあまり切迫した状況までいってないってのもあるけど…。ゲーム攻略に関する知識記憶は穴ぼこに欠けているし、操作のスキルも明らかに落ちているのにもかかわらず、それでもなんとなーくあまり苦労せずクリアできてしまう。これは何。なんかおかしい。昔はもっと苦労した。いろいろ攻略のためにがんばった。今、あんまり知識もなく、操作にミスもあり、でも結果としてはそれなりに順調にゲームを進めることができている。

「3Dゲームというものに対するスキルが、かつてこれをプレイしていた頃と比べて上がっている」のかもしれない。ゲーム個別の技術じゃなくて全般的な底上げによって、現状の「なんかへんな勝利」が自動的に達成されていくような。これおれの指?うんおれの指。でも、前とちょっと違うのかもね。
微々たるものではあるだろうが、やっぱり長くやってると多少は進歩するものだなあと思った。

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あと海原川背さんも。

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久々にやると、川背さんが重くて、ラバーリングアクションの弾力がゆるい気がするけど、しかし2,3時間すると感覚が戻ってくるかんじ。んー、これこれ。

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ところでいまさらな話だけども、afism が独語螺旋だった頃、cldのひとが「ネットゲーてつまらないけど、あまり「ネットゲーがつまらない」って言説を聞かないよな」みたいなことを書いていたが、まあ業界的な話は置くとしてweb上の話でいえば、ネットゲームがつまらないと思ったひとは、その感想をネットワーク上で発言して意見を共有しようともまた思わないのではないかなと思うので、ネット上で「ネットゲーがつまらない」という意見を目にする機会があまりないのは、それは自然で健康なことだと思う。

1:49 2003/11/13

日々

昨日。
「宅急便でーす」と呼ばれて受け取りのサインを求められたとき、自分の名前を思い出せなくて、しばらくぼーっとして宅急便のおっちゃんに妙な顔をされた。あぶないあぶない。しっかりしろおれ。

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中学の頃だったかに読んだ「世界のなぞなぞ」みたいな本の中に、インドか中国かそのへんのなぞなぞで「自分のものだけど、他人ばかりが使って、自分で使うことがほとんどないものはなに?」みたいなのが紹介されていた。
まあその答えが「自分の名前」なんだけど、なにしろ自分ではほとんど使わないもんだから、そりゃ忘れることだってあるよなー。

名前にまつわる文化や命名行為の重要性を軽んじるつもりはないけど、そういうのとは別に、最近名前の意義が薄くなってるかんじがする。仮名とか偽名とか個人でたくさん使う機会を、持とうと思えば持てるようになったというのもあるし(おまけに仮名や偽名は意識的に使うものだからこっちのほうがむしろ本名より忘れにくい)、逆に匿名や「名無しさん」などの展開もあるし、あと根本的に「重要なものとしての名前」を利用する仕組みが「名前」単体じゃなくて「名前+(なんらかの)パスワード」のセットに置き換わりつつあるかんじするのでなんか影が薄くなった(以前は名前+印鑑だったので「名前+名前」で、けっきょく名前だなあという印象があったんだけど)。事務的で複雑なものの一部に小さく格納されていっているかんじ。そういう点では機能がより多く付加されていっているわけで、重要度が低くなったわけではなく、むしろ高くなってきているとも言えるとは思うけど、ユニークだったり唯一だったりするような、なにかまるで神聖なものであるかのようなオーラを、名前というものからは感じにくくなった。

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それともあれかなー、連続性を保障しなくったってどうにでも生活できるよう基盤を再構築していくっていうのが、勝利すべくある科学などが目指すべき世界ではないのか?みたいなへんに政治的な考えがおれの脳内でも働いているのかな。

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名前は、それを呼ぶ必要があるひとがその場で適当に考えて(その状況下で呼びたい相手を特定するのに十分な限定性を備えた名前であればよい、たとえば「パーマのおばちゃん」「でかいひと」「全身ユニクロ」「整理券310番お持ちのかた」)、それを実体に当てはめればいいのだ。わざわざそんなもの(おれの名前)おれがあらかじめ準備しておくのは億劫なかんじがする。呼びたいなら呼びたいほうが決めてよ。一時的っていうかその場限りで通じればいいんだから、てきとうでいいし。「無礼者、名を名乗れ!」とか言われたら「どうも、無礼者です」とか返事すればそれで問題なしみたいな。
うーむ、考えれば考えるほど、やっぱり各人名前ってたほうが確認の手間隙が圧倒的に小さくて済むから、いいってことになるなあ。あと本人が「いやおれじゃないよ」と嘘ついた場合にでも「いやあんたです」と呼びかけた側で確認できる仕組みも要るだろうし(犯罪者を問い詰めるときとか選挙でズルさせないようにとか)。

一歩進めて、人類が互いに「ちょっと」とか「おい」とか「あのー」とか呼び合って、それだけで各人一生を安定してはじめて終えられるような社会って、想像できないし、無理があるけど、あればあったでおもしろいのかもしれんな。あーでもそれだとやっぱりさびしいかな。べつに毎日名乗る必要はないけどたまになら、「こんばんわ、ラッシャー木村です」みたいなかんじで名乗るのもおもしろいだろうしな、たぶん。

9:56 2003/11/12

日々

ふと「スイス銀行」っていう表札を作って売ったらそこそこ儲かるんじゃないかというような気がした。または500円玉貯金箱などにプリント。

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シンメトリー倶楽部という活動があるらしい。作品例
あー、なるほど。おもしろいっすな。 Googleで「シンメトリー倶楽部」で検索するといろいろ出てくる。

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HW2の、この絵がとてもいいので、もうちょっと大きい版はないのかなとおもったら公式サイトの「DOWNLOAD」で壁紙(jpg/403KB)が公開されていた。というか FANSITE KIT をダウンロードすれば、その中にこの絵の1000x1100pixのBMPが入ってるんだけど、FANSITE KIT はファイルサイズが37MBちょっとなので、この絵1枚のためだけにはちょっとそこまでするのは。

23:02 2003/11/11

神のいない10月、天使のいない12月(11月は入れ替え月)

HW2関連メモ。

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URLメモ。

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「天使のいない12月」というエロゲーのタイトルを聞いて、あーでも12月て師走だったよなー神無月って何月だったっけ?と脳内脱線したがこれはそういうふうにユーザの脳内を誘導しようっていう意図のあるタイトルなのかな。10月か。ということは「天使のいない12月」では12月に「天無月」とかそういう通称とかがあるのかな。
今後このタイトルを遊ぶ予定もないし、この件に関しておれは謎を抱えたまま死ぬ予定。

エロゲーといえば、そういえばマウスジェスチャーが実装されたエロゲーってもう出てるのかな。
ADV型である限り「マウスジェスチャーを実装したほうが便利になる」みたいな要求はない気がするけど(現状以上の操作系を必要とするほど複雑なシステムに発展する見込みがないから)、「右ボタン押しっぱなし中↓→」操作とかでメニュー呼び出しとかクイックセーブとかそういうふうな使い方はあるような気がしつつ。「しおり」管理のザッピングものとかなら多少そのへんでいじりようも出てくるのかな。まあでもしかし結局機能を足していったかたちでなければマウスジェスチャー要らないってことになるか。

10:39 2003/11/11

日々

なんか一昨日とか昨日あたり、自アン+界隈で口喧嘩が起きていたらしい。
「らしい」というか、なんだか誰かと誰かが意見を対立させているらしいというのはわかるんだけど、その口論の主戦場がどこかとかそういうことはよくわからなかった(チャットや箱やコメント欄やサイト上のページなどでバラバラに展開されていたかんじで傍目になにがどうなってんだかよくわからなかった)ので、この争いがどの程度の規模で展開されたのかいまだによくわからない。

ふうむ、自アンのようなログを作るコミュニティに参加しているひとたちが、こういうふうな口喧嘩もするというのは、なんかちょっと不思議なかんじだ。ああ違うかな、自アン的な空気にはわりと(よくも悪くも)ユニークさがあると思うんだけど、でもそこに関係しているひとたちは、こういうネット口論としてはわりと「ふつうな」かんじのログを作るひとたちでもあるんだなあというか。単におなじキャラクタで「署名する展開/署名しない展開」の、それぞれの印象が分岐してるだけの問題かもしれない。

で、おもしろかったのが、この口喧嘩に関する関係者の遣り取りがはてなダイアリ上でも展開されたことだ。
主に関係していると思われる自アン民(でもあるひとたち)の日記@はてなダイアリーを列記。

はてなダイアリユーザは増加傾向にある印象だし、自アン+コミュニティにも参加しているひとがはてなダイアリのサービスを利用することだって当然予想できることなんだけど(というかおれもそうか一応)、しかしいはゆる「自アン民」としてのありかたと、はてなダイアリ文化みたいなものがどう混じりうるのかが、よくわからないというか、考えたことがなかった。んだ、けど、…。

口論っぽいものがはてなダイアリのコメント欄で展開されていると、それはどう見ても、なんというかあたりまえだけど「はてなダイアリ上で、はてなダイアリっぽいかんじの口論が展開されている」ようにしか見えず、全然「自アン民同士が争っているように見えない」んだな。自アン+の話題なのに。そういう状況が展開されていて、なんか納得というか、ふしぎというか、ううむ。話題や中身じゃなくて、ガワの上書きする印象ってやっぱりでかいんだなあ。しかし、それだけなんだろうかな、今回の件での主だったひとたちの「自アン民っぽくなさ」っていうのは、当然意見が交わされていた場所などの印象(署名が標準的であるチャット上やコメント欄など)もあるけど、もともとそういうものなのか、それとも特別にそうなのか、考えてみるとおもしろそうな気がした。

それにしても、これだけログがあっても、結局誰と誰が仲がいいのか全然わからないのはおもしろいな。

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ロングホーンだとかPCIエクストリームだとかHalf-Life2だとかDOOM3だとかいろいろ考えてるとPCを強まらせるプランをまっとうに考えるのがめんどくさくなったので、もういいやおれは再来年まで新しいPC買わないんですよと決め打ちすることにして、現在の段階で性能そこそこ程度のビデオカードを買ってお茶を濁すことにした。あとはCPUを強まらせてモニタ買い換えたらもうXP世代用のハードにはお金使いませんよおれはたぶん。あ、いやしかしメモリは足さないと…。

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クリックすると原寸大の画像を別ウィンドウで表示(127KB)

ともあれ「まあ貴様ごときにはこのへんじゃないの」と薦められた RADEON 9600SE を木人形のごとく従順にレジまでもっていって、ということはHW2プレイ環境が一応オーンラーインしたということなので、ついでにSIERRA「HOMEWORLD2」を買った。トゥームレイダーなみにまったり遊ぶ予定(おれは初代TOMBのサターン版をクリアするのに15ヶ月使ったのんびり男)。

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最近起きてる時間が半端に長くなり、睡眠時間が異常に長くなってしまったので、睡眠時間調整のため、土曜から起きて起きて起きまくって、日曜は日が暮れてから寝て寝て寝まくって月曜の朝にさわやかに目覚めようと計画していたんだけど、なぜか20時に寝て24時に起きてしまった。ふざけんな。二度寝したが3時。んー、寝たくないの?

しょうがない、HOMEWORLD2のチュートリアルでもやるか…。

8:12 2003/11/10

おれの現実ファントマイル

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PS2のクロノア2はいまひとつな出来だったが(望まれたほどの伸びがなかったといだけでべつにダメなゲームというわけではない)、PSのクロノアはいまでも十分以上におもしろい2ボタンアクションとして完成されている。
優れて正しいビジュアル表現に楽しいリアクション、ルート分岐や主にボス戦での攻撃方向の空間活用など、32bit機以降という必然性もきちんと踏まえた(ちょっと弱いかんじもするけども)、優れたゲームとしてクロノアは日本ゲーム史に残るべき一本なのだが、やはりそのストーリー、特にエンディングのとんでもなくズルい演出にも注目していきたい!と思ったのでTくんから借りてきてやってみたわけだが、やっぱりどう見てもずりーよ、卑怯だ、えげつNEEEEEEEEEEEEEEEEEE。デザインの位置づけでいえば「古典の発展の王道」くらいだろうか。

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おれの 01/02/14 の日記 より引用
<ここから引用>

クロノアのあの泣けるエンディング、その主役は勿論「ズルいカメラワークのブレ」にある。あの手ブレ感による緊迫は、視聴者の心臓をしめつける。キューってなもんだ。

それともうひとつ。あの悲しい別れのバックに流れるあの曲がどうしようもなく優しいからだ。クロノアの世界は愛に満ちている。女王の歌声が世界を包み、世界はもとに戻り、そして当り前のように、別れがやってくる、突然に。それさえも優しさに包まれた別れ。抵抗する必要のない切なさ。「いやだから悲しいんだ」という逃げ場を失う。むしろ気持ちのいい、そうなるほうが幸せな、当り前すぎる優しさが引き裂くというズルい落とし込み。人生最初のどうしようもないこと。
散るときにではなく、花が咲くときにこそ別れはあるのだと。

<引用ここまで>
11:24 2003/11/09 採録

感想変わらず。ううむ。
外面的デザインとしては動静抑揚の利いたカメラワークで、内面的デザインとしてはドラえもん分とミンキーモモ分のブレンドが利いている。決して洗練の極にあるというほど隙のない演出ではないのだが(わりと甘さも多いと思う)、しかしそういったところも含めてやはり「ズルい」。ズルいなあ。んあー。少年ものはやっぱりこうでなくっちゃいけないのかなあ。

11:29 2003/11/09

Movie / エルミタージュ幻想

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うーむ。

なんか意外なところで予想以上に感動してしまった。なんだこのかんじは。不随意筋に電極つっこまれたみたいな。これが芸術的っていうことか。実験的っていうことなのかもしれない。この映画、すばらしくすごいってわけじゃないと思うんだが。どことはいえないがなんかすごい箇所がある。最後のあたりの浮き上がってこない情動の大波もすごい。ふしぎ。

ただはっきり言えることは、やはり「このコンテンツをDVDという形でおれが私有する」という形態を結果として取らなかったのは正解だった、という思いがあるということだ。他人が所有するものを鑑賞する、という感覚で見るのがもっともよい。どうがんばってもおれはエルミタージュ幻想の感受性を私有できない。歴史的民族的な理解をこの映像に対して行うのはむずかしいのだし、あとなんというかたぶんこの映画を撮ったひととは情動を処理する仕組みがかなり違う。それに対して「金を使うことのできる仕組みがDVDのディスクを通じて存在している」ことは、罠だ。「おれはこれに金を支払うこともできる」という錯覚に囚われてしまえば、いずれ落とし穴にそれと気付かないまま落ちるだろう。

10:39 2003/11/09

Animation / 千年女優 / 作画監督:本田雄

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おれが「千年女優」を映画館で見たときの感想は以下。
8:34 2002/09/23 の記録だから、だいたい13.5ヶ月くらい前。

おれの 8:34 2002/09/23 の日記 より引用
<ここから引用>

お話自体は特別驚くほどのものではなかったけど、おもしろかった。
一見はおすすめできる。

そんなことよりこの映画、最近ちょっと見ないかんじに作画がよくてなんかちょっと感動してしまった。作画監督は誰だとか普段全然意識しないようなことが気になってスタッフクレジットを見てみると本田雄氏であって、このひとほんまアニメがうまいなと思った。

べつにヌルヌルなめらかに動くとか、それこそディズニーみたいにとか、そういうふうな絵の綺麗さじゃなくて、たとえばコザキユウスケ氏アニメーションGIF(一例)にその片鱗があるような「中割りの面白さ」というか。細かい演技まできっちり制御されていて、そしてモーションの溜めのテンポが実にいい。
仕草の連続であるところの、人間のなめらかな動きのうちの、どの瞬間を切り取って並べるのかとか、そういう部分にこそアニメ屋さんのセンスは問われるというような話をむかし聞いたことがあって、そして千年女優はまさしくそのとおりの見方で成功している映画だと思った。というか高品質なのを当り前と捉えているアニメ映画で、おれが作画の雰囲気に(しかも別にものすごいシーンがあったりするわけじゃなくて、なにげないシーンの連なりで)びっくりさせられるというのは、昨今あまりないことだ。

本田雄氏は天才かもしれない。
こういうふうなうまさを持っているアニメーションを作れるひとは、少ないだろう。

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お話としての千年女優のいいところは、また今度覚えていたら書いてみよう。
DVD版が出たりとか、そういうタイミングで。

<引用ここまで>
10:12 2003/11/09 採録

んー、しかし今回見直してみてスクリーンで見たときほどは感動の粒が大きくなかった。
やっぱし画の迫力から得られる感動はスクリーンの大きさと比例するのかなあ。そのぶんストーリーのほうに意識の比重が移ってしまう。でもそれじゃもったいないよ、どうせ使う脳の部分あんまりバッティングしないしどっちも楽しみたいよ。やっぱりこの映画は映画館で見ておいて正解だった気がする。

で、1年前のおれが「DVD版が出たとかそういうタイミングでお話としての千年女優のいいところを書いてみる」みたいなことを書いているが、今回も書かないでおくのだった。なんかまじめに拾っていくとけっこうたいへんそうだから元気が足りない。

10:27 2003/11/09

イギリスって蛇居たの?

「イギリスって蛇居たの?」というどうでもいい疑問。

発端はこのYahoo!ニュースの記事。

<ここから引用>
英国の首相官邸も、国家的危機の際に緊急閣議を開くコブラ(COBRA)と呼ばれる地下室に通じる地下トンネルを有している。
<引用ここまで>
9:24 2003/11/09 採録

イギリスにある地下道にCOBRAっていう名前がついてる、のはまあわかった、けどこのネーミングってイギリスにコブラが「実在するから」つけられた名前なのか「実在しないから」つけられた名前なのかにちょっと興味が。ふつうに居る動物の名前をつける場合と、知識としては知ってるけどべつにふつうに居るわけじゃない動物の名前をつける場合では、けっこうその気分には差があるような気がして(日本の場合だとどういう動物がそれにあたるのかな、んー…麒麟とか?地下道じゃなくて歩道橋の名前にならいけそうなかんじ)。
というか大英帝国的にはインド支配時代にコブラは自国の動物として認知済みです!みたいなかんじなのか。

なんでおれが「イギリスってまあよく知らないけど居ないってことでいいんだろたぶん、蛇。」と思っていたのかといえば、フレデリック・フォーサイス氏の小説でなんかそんなふうなタイトルの短編を読んだことがあったから、確かあれは中学校あたりのことだった。

調べてみたら「帝王」に収録されている「アイルランドに蛇はいない」だった。ああ、イギリスじゃなくてアイルランドだったか。じゃあイギリスっていう縛りなら蛇居るってことでいいのかもねと思った。
今見るとこのタイトルはあれだな「自アンに女は居ない」に似てるな語感が。そういうオマージュ小説など書いてみるのはどうか。自アンで口論して顔真っ赤になったスゲエハカーが最強の煽りスクリプトを作成したが、その仮想人格が女であったために…みたいなオチで、さらにもう1回どんでん返しありで。必要なことを書き終わってしまった。べつにおもしろくはならないな。

で、そもそも「アイルランドに蛇はいない」ってのの真偽はどうなの?と思ったのでそれを検索したら、

<ここから引用>
必ず登場するのが、「聖パトリック」と「蛇」。実は聖パトリックが島から蛇を追い出したお陰でアイルランドには蛇がいない、と伝説で語られているのだ。
<引用ここまで>
9:24 2003/11/09 採録

まあそのパトリック氏の伝説の真偽は置くとしても、どうも実際アイルランドに蛇はいないらしい。

<ここから引用>
b)蛇がほとんどいない。いるけど見たことない。(イギリス人もね)
c)ハエと蚊がいない。(ハエはロンドンでは場合によってはいっぱいいる)
<引用ここまで>
9:24 2003/11/09 採録

アイルランド同様、イギリスにも(ほとんど)居ないってことでいいみたいだ。ついでにハエも蚊も居ないのねイギリス。それはいい。
じゃあ「ほとんど」以外の蛇って何。

<ここから引用>
ヨーロッパクサリヘビVipera berusはイギリスに生息する唯一の毒蛇.
<引用ここまで>
9:24 2003/11/09 採録

毒蛇については1種類だけ居るらしい。
まあこの記述だと毒蛇以外の蛇が居る可能性についてはわからないままなので、実際にはもっと居るのかもしれない。

どうも、ほんとに(ほとんど)居ないってことでいいみたいだ。そうなのかイギリス。「蛇の居ない国」っていうのはどうなんだろうなーキリスト教世界とかだと雑多にいろんな言説がありそうだけど、そこいらへんについての文献とかはないのかな(蛇の居ないすばらしい楽園とか蛇さえ寄りつかないひどいとことか)?

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地下通路COBRAのはなしといい、なんかイギリス人って結構蛇が好きな印象あるよな。でも実際にはほとんど居ないってのはまた不思議というか、不思議ってほどでもないが、なんかへん。実生活では見かけないほとんど空想上の生物としての蛇のイメージだから、それを好むのだろうか?
そういえばハリーポッターの1巻でも魔法に絡まない実蛇が登場してた。もっともあれは動物園に居た輸入蛇だったわけだけども。というかヴォルデモートさん(あのひと)の象徴は、確か蛇だったし。そういう意味ではハリーポッターにおいても蛇は「なんか悪っぽいカリスマ感」みたいなものを背負って立ってるかんじがする。

9:41 2003/11/09

日々

映画「MATRIX REVOLUTIONS」が、周囲でまったく話題にならなかったのでびっくりした。どのみち見には行かない映画なんだけども、もうちょっと話題になるもんだと思っていた。先週から公開されていたらしい、が、この週末まで知らなかった。時期的に「KILL BILL」に塗りこめられてしまって時期を逸したのだろうか。いまでも公開されてること知らないひととか居るんじゃないか。

「既に公開されていることを知っているひと」が、あたりまえのようにそのこと(上映されてること)を話しているのを聞いて二度びっくり。
なんだかMATRIXはあれだなーおれの中でVII以降でXくらいまでのファイナルファンタジーと同じような存在かもしれないな、つまり「誰がその商品に金を払っているのか、いまひとつよくわからないけど、数字のうえでは結構売れているかんじのするもの」。単におれにはそのあたりのマーケットに対するアンテナがないという話なんだろうけども。

なんか大気圏突入みたいなものなのかもしれない。ちょうどブラックアウト範囲内に収まっている作品や、その作品のファンをおれは感じることができない。

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先日。
んあー今日はHMVにでも行って適当にDVDボックスでも買いたい気分だにゃーと思ったところで、そういえばHMVてなんで「HMV」て名前なんだろう?と思ったのでGoogle検索してみたら人力検索エンジンはてな?での同様の質問が引っ掛かって、上から順番に、

  1. はてな「CDショップの『HMV』何かの略?」
  2. はてなダイアリキーワード「HMV」
  3. EMI あるレーベルの物語

と辿っていったらだいたい経緯がわかった。
His Master's Voice でHMVなのね。例の蓄音機に顔つっこんでる犬の絵の経緯は、オーディオオタの先輩から拝聴したことがあったはずなんだけど、「ビクターのトレードマーク」以外の部分の記憶が残ってなかった。関係ないけどそういえばこの犬ロゴのコラージュを大量に集めたサイトあったよな(「蓄音機からご主人様がニュっと出てきて、それを見て驚いてる犬」とか)。

あれだなーこれがオタの話だったら「かないみかとこおろぎさとみと(元)丹下桜の声を物凄い勢いで分別する往年の声優オタの遺影」(敬称略としました)とかをトレードマークにしたオタ音楽専門のブランドとかができたらおもしろかっこいいぜ!というような…気が…寝よう。

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あーあと、買ったこと自体気を抜くと忘れてしまうのでやばい。
サウスパークのDVDボックスを3つ買った。

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なんで印象が薄いのかといえばおれこのDVDボックスに収録されているあたりまでバラ売りバージョンでむかし買い揃えていたことがあるから。よってこれは買いなおし。べつに買ったからといって今後見るかどうかも予定なし。ううむ。いかん買い方をしてしまった。こういうふうなかんじで買ったものは緊急性の低い要件なので、ああ金がねえとかああなんか部屋が狭い気がするとかああなんとなく持っているものを減らしたいとか思ったときにまっさきに売ったりあげたり捨てたりするものリストに登録してしまう。
しかしDVDボックス3つ買って20,000円ちょっとですよ。なんかむかつく。このむかつきは何。このむかつきは安いから。ふざけんじゃねーよバラ売りんときは1本4話入って5,800円だったんじゃねーかよ確か、だったらボックスでもおれに1本4話で5,800円ぶん支払わせろよ、あーでもあれよ「あのーハードが値下がりするたびにSCEIとかに噛み付いてる消費者のひとの意見とかああいったもの」とかとはたぶん微妙に違うんですよこれ、そういうことじゃねえんだよ座れよもういいから、ミョーに安くなりやがって「あーちょっとDVDボックスとか買うかー」の気分が消化不良、かといって浮いた金でまた別のものを買うとかそういうかんじじゃだめなわけよわかる?アラカルト感覚でお買いもの〜とかそういうのは違うんだよいうなればそれは提案されたスタイルなので手前の味噌じゃあないわけで、おれはこれが欲しい、これを買おう、これに対して金を払う、それ一発で満足したいわけです、ややこしいこと考えさすな、わかんねえかちくしょうなんでも安くなりゃ客喜ぶとでも思っていやがるのかこの野郎。でも、まあどうってこたないことなのでべつにいいです。

8:17 2003/11/09

ステップを省略したり省略しなかったりするローカル傾向@オタ会話

03/11/03 の文化の日に開催された第2回文学フリマという、同人誌即売会に参加した。

目的のひとつは「Natural Color Paranoia VOL.01」と「月猫通り No.2100」の購入だったのだが、まあ同人誌に限らず本というものは、それがリリースされているという事実を前にして個人の取りうる「それをがんばって読もうとする」と「それをがんばって読もうとしない」の二つのスタンスは等価であるとも思えるので、べつに無理に買いにいかなくてもいいのだが、それでも文学フリマにがんばって行こうとしたのはもうひとつの理由、「文学フリマに参加しているようなひとたちの、その休憩所的な場所における雑談の呼吸を知りたい」と思ったからなのだった、それは実際に行ってみなければ体感できないし、体感せずとも知識として知る手段はまああるのだが知識として知ってもしょうがない。

オタ会話に関する分類のうち、「会話ステップの省略/非省略」という分け方でいえば、もちろんステップを省略する会話はより刺激値が高く(言い方を変えれば挑発的)、ステップを省略しない会話は刺激値が低い(言い方を変えれば儀式的)。会話はただ刺激的であればよいというものではないので(単に刺激値が高いだけで空疎な会話というのはよくあることだし)、べつにどっちがよいということはないが、どちらかといえば先鋭的であろうとする(かつ実際には先端までは到達していない)層において「ステップ省略会話」が好まれる傾向があり、それ以外では「ステップ非省略会話」が好まれる傾向があるかなあと思っていて、そして文学フリマ会場における雑談では、たぶん「ステップ省略会話」のほうを多く耳にすることができるだろうと予想していた(というかおれはそういう会話を聞きに行ったのだようするに、最近ステップ省略会話風景をするオタを見る機会が少なかったので)。

おれの会場滞在時間はごく短かいものだったが、思ったよりもたくさんのステップ省略会話のサンプルを得ることができて、すげえ満足したのだった。というか逆で、あまりに短時間でおなかいっぱいになってしまったので、さっさと出ざるをえなくなってしまった、受け皿の準備が不十分だったということで、結果として「予想していたものを入手すること」はできたが「予想していなかった事実を耳にすること」に関しての時間を割くことができなかったともいえて、これはおれの未熟さのひとつだ。残念。
全般的に、会場内ではやはりステップ非省略会話が大半のようだったが(ふつうに社交的な話題が多かったこともある)、休憩所での「知り合い以上友人未満」程度の(つまり「ビミョーな」)関係と思われる同性同士の雑談のうえで、多くステップ省略が行われていた。これこれこれ。下段や中段の攻撃を互いに封じて行われる上段のみの微妙な駆け引きっつーか。話題にのぼるような固有名詞に関してはおれは知識がないのでさっぱりわからないわけだが、しかしその遣り取られ方がとてもおもしろく、そしてあーやっぱ何のジャンルのオタであれ通じる文法はある程度共有されるのだなあとつくづく思った(会話されている内容はまったく違うが、単語を換装したらPC談義やエロゲンガー談義とまったく変わることがないというか)。

オタ会話サンプリング名所の第一といえばやはり秋葉原なのだが、秋葉の場合ステップ省略会話の「場」は薄ーく分布しているかんじなので、ただ漫然と秋葉の路上をぶらついているだけでは(類型的には理解されつつも)そうした会話を実際に聞ける機会がそう多くない。ので、秋葉原文化圏は「約束された順番をきちんと踏まえつつ、まるでそれが儀式であるかのように整然としたログを作成する目的で会話をするのが好きなひとたち(互いの持っている知識や踏まえているフィールドに関する確認作業が終わっているような、長い付き合いの友人同士なら、通常ある程度のステップ省略が対話の前提となるのが自然だが、それでも敢えて長く付き合っている者同士でも互いの話題についてステップを省略しようとしないひとたち)」の集まりと見られがちだ、が、木と森のどっちを見れば本質を見たことになるのかが永遠にわからないような土地の話で、こうした論議は意味がない。

というような話は、たぶん挑発的なオタ会話をやっているひと自身にはたぶん体感できる感覚なんだと思う。そういえば文学フリマで買ってきた「Natural Color Paranoia VOL.01」に収録されている「わらのことば」でも、そうした感覚を前提とする(と思われる)台詞が出てきていた。
04■「She's Lost Control」の最後から三行目、「要約しすぎた」がそれに当たる。

4:45 2003/11/09

だいたい六割くらいの男

フリーセル、通算1000戦目越えたくらいで毎回成績をリセットすることにしているんだけど、今回1000戦目を終えてみたら妙にキリのいい勝率だったので画像保存。

画像

勝ち600、負け400。
だいたいいつも勝率6割前後っていうか、まあ6割を下回ることはまずないんだけど、なんか60%〜64,5%くらいの間で行ったり来たりしている、今回はその下限のほんとにギリギリのところだったというところか、あぶないあぶない。

しかしこう、おれの中にあるこの「いつも60くらい」という数字に対する印象の陰鬱さはなんだろうなーと思っていたら、そういえばあれかもしれんな大学受験の頃、おれの偏差値ってだいたいいつも60前後っていうかいまのフリーセルの平均勝率と同じくらいだった気がする。この「変わらない数字を延々と受け取り続ける感覚」が、当時の眠さや空気感をおれに思い起こさせるのかもしれない。というか考えてみれば今のおれのフリーセルに対する遊び方と当時のおれの試験に対する受け方はだいたい一緒、かなり近似、ほとんど一致する、つまり「適当にがんばらない」、積み上げることへの意欲を持てず持たず緩慢に避けてしかしその場から逃げるほどには切迫しておらず。
攻略をまじめに考えたり勝ち方を研究したりとか、そういうことをやっていればフリーセル70%以上の平均にたどり着くこともあるいはできるのかもしれないが、偏差値で70はまあ無理だろうが、どうにもそういうことをやらずにそのまま死ぬひと、の、ラインをなぞって生きているのがおれという気がする。んー。ボンクラ?

22:33 2003/11/07

DRAG-ON DRAGOON とグルーヴ地獄V の類似問題

23:40 2003/11/01 の日記でおれは DRAG-ON DRAGOON に関して「このゲームは、構成や操作系などとのかくほとんどすべてまったく違うんだけど、しかしそのプレイ感のようなものがグルーヴ地獄V のそれと極めて近い」と書いたが、これに関する補足。

グルーヴ地獄V といって思い出されるのはまずなんといってもその「ジャンル:クソゲー」という広告戦術で、ほとんどそれしか記憶に残っていない(つまりグルーヴ地獄V を実地にプレイしたわけではない)ひとなどもけっこう居るかんじだし、というかオタ社交レベルでの共有しうる雑談ネタとして浮かぶことといえばまあ確かにそれくらいなのだが、しかしもちろんグルーヴ地獄V の実体はゲームディスクの中身であって、ジャンルがどうとかは体験のレベルではあまり重要なことではない。持って回ったがようするにおれはDRAG-ON DRAGOON を「=ジャンル:クソゲーである」と書きたかったわけではない。そういうことではなくて、中身がグルーヴ地獄Vに似ているのだ。
そして DRAG-ON DRAGOON には、グルーヴ地獄V 式のゲームとしては根本的な欠陥がある。

グルーヴ地獄Vの概要については下記URLを参照されたい。

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テーブルで並べてみればわかりやすい。
なお、「酒」「ツマミ」「遊び」「肴」というのは適当に書いてみただけで特に意図はない。

- グルーヴ地獄V DRAG-ON DRAGOON 内容
「バイト地獄」
金稼ぎ
戦闘
(各ステージ)
理不尽にわかりやすい作業を楽しむモード。
ツマミ 「トモダチ」
???
ストーリー
(デモ/ムービー/メニュー等)
電波ちっくな文章を眺めて楽しむモード。
遊び 「ガチャガチャ」
音ネタ蒐集
武器集め
(ゲームやデモ等に含まれる)
細かいものをちまちま集めるモード。
「ジタク」 (該当なし) ちまちま集めたものを使ってフイフイ楽しんでみたりするモード。

この表を見ればわかるとおり、DRAG-ON DRAGOON は「ジタクモードがないグルーヴ地獄V」と言うことができる。
それゆえにグルーヴ地獄V ととてもよく似たプレイ感を持ったゲームで、かつまったく及ばない。加圧したプレイヤに対する四次元的(=一見まっとうでない方向への)開放、ジタクモード、ミュージックエディタ、それあってこそ成立する調和を DRAG-ON DRAGOON は備えていない。

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ということはつまり、もし DRAG-ON DRAGOON に「集めた武器それぞれが音色を持っていて(レベルによるグレードアップ要素もアリ)、それらを駆使して音楽を編み出してたのしめるモード」があればまったく問題のないゲームになった可能性があるといえる、と思う。まあグルーヴ地獄と違って主人公はファンタジック世界の王子なんだから、ジタクならぬ自城とか自塔とか、ていうか「武器庫」でいいか、なんかそんなかんじのモードが。ほら主人公の友人が竪琴弾いてたりとかするんだから物語世界的にも合わないことはないと思うし。武器庫モードに入ると、なんか部屋の隅のほうで友人と妹が椅子に座って演奏を聴いてて、いいかんじのメロディになったら拍手喝采してくれて、ヘボまったかんじだと怒って持ってた杯を主人公の頭めがけて投げつけてくるとか。主人公は主人公で杯投げつけられたら八つ当たりで横に突っ立ってる一般兵士を蹴ってストレス解消するボタンがあるとか(当然その一般兵は蹴られたとき規定の音色で悲鳴を上げる)。
問題ねえよたぶん。途中までしか知らないからあれだけどもラスボス戦は音ゲーだっていうし。

でなければ…もしくは… DRAG-ON DRAGOON の開発チームこそが、来るべき「グルーヴ地獄VI」の開発チームとして望みうる最上のチームである、ということだと思う。ほっといてもグルーヴ地獄のようなゲームを作ってしまうようなひとたちが、グルーヴ地獄を作る気でグルーヴ地獄を作ったら、そこにはどんなグルーヴ地獄が待ち受けていることだろうか。

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参考リンク。

あーあとほんと全然関係なくてあれだけどところで、主人公の名前のカイムって「皆無」?ゼロ?零?

22:42 2003/11/05

日々

最近買ったもの。

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福島聡「少年少女」3巻。
買ったはいいが読んでない。というか買うべきでなかったと若干後悔しており、今後読むかどうか未定。おれはこの漫画のような漫画が嫌いではないし、読めばおもしろいんじゃないかなと思うが、なんでもおもしろく楽しむばかりが漫画を読むくらしというわけではないと思うので(読めばおもしろいとだいたいわかっているものを読まないことも、場合によって取るべき選択肢のひとつであるはず)、なんとなくこの漫画の場合は1巻を買って読んでそこでやめておくか、もしくはまったく買わないで全部借りて読むか、どちらかの読み方であるべきだったというような思いがあり、指が止まっている、あーなんで3巻買ったかなおれは。ありかたを間違えた。事務的なミスだ。買ってしまって、そのうえで読むのは、ますますズレていく気がするので、この漫画は開かない本として当分本棚にしまっておくことにする。

XBOX「DINOSAUR HUNTING 〜失われた大地〜」。
PS2「DRAG-ON DRAGOON」の後味を払拭するため、Sさんがゲームショーで遊んでおもしろかったと言っていたダイナソアハンティングを購入。恐竜狩りゲー。足跡やうんこを調べて麻酔を調合して、なるべく少ない弾数で仕留める。地味だがたのしく遊べそうなかんじ。本格的なプレイはまだ。制作会社もわりと近所だっていうし(それは関係ない)。

Natural Color Paranoia「Natural Color Paranoia VOL.01」。
昨日から今日にかけてポツポツ読んでみたがおもしろかった。あーこんなかんじこんなかんじ。
中でも巻頭の更科修一郎「わらのことば」の気合のコントロール具合みたいなものが印象的だった。手間暇かかっているなあというか(この作品から垣間見える手間隙のほとんどは「この作品のためにかけたわけではない」んだろうけども)、能力の問題もあれ、「こうしたものを書ける立ち位置」に居るひとというのはだいたいいつでもどこでも数少ないはずだから、そういう意味でも楽しく読めた。
というかこういったかんじの話を書くためにはジャンル内数年ぶんの歴史とそれに対する観察実績が必要なはずだから、そうそうお目にかかれるものでもないんじゃないかなと思うけど、でもわりとお目にかかりたいんだよな欲求としては。「わらのことば」は、まあエロゲーとかそういった方面だけども、べつにオタジャンルはエロゲーだけじゃないわけだし、各方面にどっぷり漬かってるひとが「おれの場合こんなんっすよ」みたいなかんじでこういうフィクションを入れ替わり立ち代り書いたら、ネタもあんまり尽きないんじゃないかなとか。
実際やったら「どれ読んでも結局オタのやることに変わりなし」ということがより明確になって、そういう表現自体がつまらなくなってしまうかもしれないけども。というかこういうふうなものを書くひとは、(こういう表現の中では)こういうふうにしか書けないような気もするし、こういうふうじゃないひとが書いたら、こういうふうじゃないものになりそうだから、結局こういうふうなおもしろさっていうのはジャンルみたいなかんじに普及してしまってはやばいのかなとか思った。「こう」ばっかりであれだけども。

新月お茶の会「月猫通り No.2100」。
創刊2100号らしい。創刊号が2001号だった…のだろうか?
中里一「百合史・百合論」の全文が掲載されているらしいのでとりあえず買っておいた。未読。

雑誌「広告」11月号。
「Natural Color Paranoia VOL.01」がA4のコピー誌で、買ったとき手ぶらでそのうえ天気が雨だったので、こりゃ不当にしわくちゃになったり濡れたりするなあと思ったので、本屋に寄って手提げ袋目当てに適当に大きめのサイズの雑誌を探したら「広告」がちょうどいいサイズだったので買ってみた。よりによって「広告」かよ。でもまあこの場違い感に「広告」はとてもふさわしいかんじがしたので690円払った。お天道様にお布施したかんじ。

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最近借りたもの。

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7:07 2003/11/05

トップ画像貼り替えと、幻の遊戯「仏徒冗具」

ずいぶん長く90式戦車フィギュア(ちんこびんびんモード)のままだったので、トップ画像貼り替え。ちょっとまえに流行った(?)っつーか流行りもしなかったfoot jog。家ではもっぱらお手玉にしているが、一時期はちゃんと足でキャッチボールしていたのだおれは会社でSさんと。結局ラリーを続けることに成功したことはなかったが。

前の画像の元は↓これ。

写真

あとTの話によれば、foot jogは数年前アメリカの高校などで大流行しまくったことがあったらしいので、PEPSI社の「競技人口600万人」ていうのもあながち嘘ではない数字なのかもねーという話だった。まあそれにしても600万人はねえだろと思うけども。あとまあ向こうのひとはこれ靴履いて遊ぶんだとか。文化的にも難度的にも当然か。裸足でキャッチボールを試みていたおれの立場は。

(競技人口600万人と聞いて「こんなわけのわかんねえあそびで600万人はねえだろ」と思ったおれは、きっとこれはあれだな中国の一地方などの伝統的なあそびで、それに目をつけたPEPSI社のひとなどがてきとうに「foot jog」とか命名してちょろっと西洋人向けに簡単なルール的な装飾を施したようなものに違いない、つまりその競技人口というのは「アメリカ人2,000人+ヨーロッパ人500人+日本人50人+中国人5,997,450人=合計6,000,000人」とかそういうふうな内訳で、そしてその中国ぶんの人口にあたる人々にはべつにfoot jogを遊んでいるというような感覚はなくて、伝統的な(たとえばそのー、「仏徒冗具」みたいなかんじの名前の)あそびをやっているという認識しかない、というような状況であるのに違いない、と、思っていた)。
偏見とか決め付けでどのようにでも世界は操作できちゃうんだよなー直に見えている範囲はともかく直に見えていない範囲に関しては。つくづくあぶないなー実際、個人が確定させることのできる事実は、個人の輪郭の沿った範囲でしかないんだから、それ以外のものはどのようにでも編集できて、しかしそのどのようにでも編集可能な範囲へ寄りかかる比重は「情報は多量であるのが当然なので少量なのは不安」な現在では増大する一方で、ということは社会情勢は誰のなんの悪意もなくとも、ほっといたら勝手にどんどん危険な状態へと近付いていくということかな。

22:48 2003/11/04

日々

とくに縁があるわけでもないけどもめでたいこと関連。

ずっと書き忘れていたんだけど、polygon promptさんの奥さんがご懐妊されたそうでおめでとうございます。
あとおれの兄が結婚するらしいので、それもおめでとうございます。

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髪を切った影響で脳の冷却効率がよくなりすぎて速攻眠くなって困った。あと風邪をひく確率もうなぎのぼりなので注意しなければならない。というか早速あたまが痛くてちょっと困っている。冷却効率が上がれば原理的には考えごとがサクサク進んでいいかんじになるはずだがそれはエンジンがすでに暖まっている前提のことで、回転の低い状態で氷河期に突入した場合エンジンのかかりが異常に悪くなって最悪の場合そのまま壊れる。そろそろおれのあたまはナチュラルにポンコツ化してきている頃合なので、慎重に日々暖機運転を心がけておく必要があるかもしれない。

20:29 2003/11/04

日々

Tくんが引っ越したというのでオートリーへ。

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オサレな板張りやオサレなロフトや高価いチャリンコなど見てアーハーなどと言ってみたりした。しかし元々六畳で暮らしていたから結局いまもなんとなく部屋の中の六畳ぶんの空間で暮らしてしまえており、その他の空間の使いこなしには成功していないとか。ロフトとかせっかくあるのに未使用同然。まあそんなもんだな。オバQとかハットリくんでも居候させるとか。

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Tくんは、相変わらずおれが横目でチラっと確認しながらスルーするようなジャンルの微妙なオタ方面の本や漫画などを買っているひとなので、そこいらへんの漫画などをガサガサ読んだ。中から適当に印象があったものを抽出。

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相田裕「GUNSLINGER GIRL」。

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なんか一時期流行っていたかんじだったのでやっぱり読んでおくべきかなーしかしおれのオタ重力センサが反応しなかったので読む気にどうしてもならないんだよなーと思いつつズルズルいってしまって結局いままで読んでなかったのだが、ようやく読んだが、ちょっとこれはきついんじゃないかなと思った。
漫画として読みづらい。これを描いたひとはコマ割りがうまくない気がする。というかコマ割りの技量がほかと比べて劣ってるかんじじゃないんだけど(最近は情勢的に、漫画家のコマ割り能力が軒並み下がってきているかんじだし)、なにかコマ割りに関してほかより欠点の目立ちやすい描き方をしていて、それが理由で辛いかんじになってるような気がする、タッチの問題なのかもしれない。読みづらい。読んでて目がコマ間でカツンカツンとひっかかるかんじ。んー、これはなに?
これの同人誌版というのも出版されているらしいのだが、以前「やっぱり同人誌版より商業誌版のほうがクオリティが高いっすね」というような評判を聞いたことがあったので、ということはたぶん同人誌版はこれよりコマ割りがキツいかんじにちがいないと見切って、読まないでおくことにした。

内容に関しては、んあーこれはふつうに読んだらちんちんしぼんじゃうかんじの漫画だなあと思った(ロリに近付いていくほど去勢されていくかんじ)が、ということはたぶん過去から現在までのオタ文脈(それこそ「萌え」など)のうえに成立しているかんじなのかなと思った、作者も、読者も。相対的で応用的な(=独創的でない)ひとびとの文化、くだらなくも複雑な積み重なりのうえにある。消費が独創的である必要があるとは思わないから、それはそれなのだが、相応の体験や、文脈への理解がないと、「これをニヤニヤしながら読んでいるひとが居る」という状況を、理解する取っ掛かりがない気がした(それを持っていないと「過剰に異質に思う」危険がありそう)。

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士郎正宗「攻殻機動隊1.5」。

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ドミニオン以来の「あー士郎正宗のふつうの刑事ドラマものだー」というかんじの漫画であり好感触、これはおれも好きな部類だし実際買っておいてもいいと思ったんだけど、なぜおれがこれを買わなかったのかといえば、カバーが厚くて固いから。おれにとってこういう漫画は多少曲げることのできる薄くてやわらかい表紙の本で読むという体験こそベストだと思うので、CD-ROMの付属しないような、やわらかい表紙の廉価版とかが出るなら買うし、出ないなら買わない。

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赤松健「魔法先生ネギま!」。

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改めて1巻をまとめて読んでみると、その兵器としての欠点の少なさに感心する。
なんのかんのいいつつも赤松健氏の週刊漫画雑誌連載作家としての技量はさすがに大した域に達している、ベストセラー作家の格っていうのもあながち虚仮じゃないんだなあと思った。よくできた漫画で、きちんと挑戦的な面も備えており、クオリティも決して低くない。歴史的名銃とはいえないが、一時代に普及しておかしくないだけの性能は備わっていると見るべきだろう。

オタの戦場は常に局地的なので(自分のオタ性を自覚するとき、それは「個人の現在を唯一とすること」からはじまるから)、「ネギま!」のこうした汎用性の高さは逆に脅威にならない局面の多さを示してもいるわけだから、まあアレなんだけども。

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私屋カヲル「青春ビンタ!」。

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うわーひさしぶりにこんなマトモなエロコメ読んだよ!!
やっぱこうじゃなくっちゃいけねえよと、ほとんど感動的な気分になった。Tくんにこれほどの良エロコメを発掘できるセンサ能力があったとはー、と思ったらSさんオススメの書とのこと。ああSさんか、なるほど、さすが。

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藤子不二夫A「ホアー!!小池さん」。

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乱雑に漫画を読んだあとの口直しとして最高級の漫画。
この漫画は「達人が自分の持ちものを一切減らすことなくスラスラ描いた作品」として極上なので、つうかなんでまたTくんがこんな漫画を持っているのかといえばおれが無理矢理買わせたからなのであって、つまりおれはこの漫画をいつ自分で買っていてもおかしくないのだが、たまたままだ縁がないのでまだ持ってないだけ。Aせんせいの漫画は天才的でなく、ゆえに疑いなく天与の才の持ち主といえます。天才がてきとーに己の才能を素振りして有象無象をクリエイトしていく世界。

ホアー。コンセントレーションッ!!!

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おまけ。大鳥居の猫。

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羽田空港の近くなので朝から旅客機のジェット音が頻繁に聞こえて、東京も広いからいろんな街のいろんな持ち味だなあと思ったりした。あとこの日は東京中が霧っぽかったけど、大鳥居の霧は若干重いかんじだったな。やはり海が近いから塩分が若干混じってるからだろうか。

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明けて文化の日には帰りがけに立ち寄った渋谷でひげを剃ったついでに髪を切ってすっきりさっぱり。
骨折以来だったので、ものすごくひさしぶりに快適な気分になった。

9:29 2003/11/04

PS2 / THE 地球防衛軍 / SANDLOT

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体力デフォルトのままプレイによる全ミッションクリア。
やればやれるもんだな人間。

2:46 2003/11/02

PS2 / DRAG-ON DRAGOON / PROJECT : DRAGONSPHERE

このゲームは、構成や操作系などとのかくほとんどすべてまったく違うんだけど、しかしそのプレイ感のようなものが「グルーヴ地獄V」のそれと極めて近い。

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このゲームが万一おもしろいものであった場合の(つまり理想的な)ゲームモデルは、タイトルムービーで説明されている。

まあそりゃおもしろかろう。
しかし現実にあるDRAG-ON DRAGOONはどうかといえば、

この8つの要素に対する判定で大雑把に評価すれば(このムービーでは空中戦に関する情報が欠落しているのでそのまま評価してもアレなんだけども)、仮にムービーを基準100点と設定して、対して実現されているゲーム内容は大雑把に○が2つで△が1つだから、ということは31.25点。もともと赤点ギリギリのゲーム内容しか持っていないゲームとして、DRAG-ON DRAGOONはリリースされたと見ることができる。

-

ゲーオタのおなら in 「DRAG-ON DRAGOON」。
とにかくおもしろいと感じることのできる局面がない。全然ない。まったくない。すごい。さすが。見事。期待どおりの出来栄え、予想以上のトホホ感。的中してもまったくうれしくない。こういうとき、おれの感受性などは豚に食わせてやりたいと思うわけだが、豚はああ見えてなかなかきれい好きな生き物だというので、豚に食わせるのもしのびない。

チャンバラがおもしろくない。
呼吸や読み合いなどなし。←これはまあ、1k人オーダーでバタバタ斬りたおすゲームの場合敵の動きを一々見たり読んだりなんて量的にやってられないのでこちらのリズムで一方的にガスガスやれるようにしとかないとプレイヤの神経参っちゃってきついんだろうけども(敵が一桁少なければ多少読み合い要素を入れる余地もありうるのかな)、それにしたって操作系がそもそもチャンバラを楽しめるように作られていない。
敵を斬ってる感覚をもたらすことのない挙動(よく言えば「座頭市」的剣戟つーんすか、ようするに刃同士がぶつからずにお互いシャクシャク斬るモーションを関連性なく繰り返すだけ、座頭市は鍔競り合いなどせず肉切る音しかしないのです←刃が欠けるから)、なんら戦闘操作として意味を持たない側転(モーションが大きすぎるし緊急回避にしても始動が遅い、位置がズレるのでコンボも切れるし、ガードしたほうがマシ)、まったくダメなカメラ(つうかこのカメラ制御ってドラゴン(空中)用につくったものを適当に地上向けにしてるだけじゃないのかなメモリかスケジュールかどっちかの問題とかで)。
ともあれプレイに戦術の余地がない。まあチャンバラがまともになったらプレイヤもまともにチャンバラをしなきゃいけなくなるから、そういうので振り落とされるユーザが居てはいけない!というようなゲーム共産主義システムの残念な側面が出てしまってたりするのかなあスクウェアエニックス社製品だし。

敵があほ。
あほというか脳みそがない。小隊ごとに突っ立ってるだけ。近付いたらノソノソ動いて漫然と小隊全員が斬りかかってくる(指揮系統などなく、隊長ユニットは一応居るが単にほかより体力が多いだけ)。プレイヤキャラクタさんがちょっと目を離すとすぐ休憩(AI動作がONになる範囲が狭いために起きる現象、PS2で特に顕著、描画範囲でがんばっているゲームなどで殊に悲惨)。オラオラさぼってんじゃねえよプレイヤさまは金払って遊んでるんですよ働けよおまえら。モラルひぎぃなあ。でもまあこのへんは、メモリの乏しいPS2上の雑魚AIだったら三国無双とかカオスレギオンとかみんなそうだし、しょうがないんだろうなあというかんじ。
フォーメーションとかなし。小隊同士連携とかもちろんしない。移動さえしない。プレイ内容への反応どころか作戦行動もなし(プレイヤの行動への組織的な対応とかはスペック的にむずかしいとしても、三国無双でさえ決め打ちの部隊移動とかやっていたのに(←SS「GUNGRIFFON」みたいなかんじといえばいいのか)、ようするにDRAG-ON DRAGOONの敵軍設計思想は32bit機以前、SFC相当のものと考えていい)。
それでいながら「○○へ移動中の敵部隊を殲滅せよ」みたいな指令があるのは逆に痛快。街道上にボサっと突っ立ってるだけだよおい。システム×メッセージの空転っぷり。ムービーの理想とゲームの現実のギャップなどもそうだが、文芸と企画と実装の問題でいえば、仕様作成能力が根本的にゲーム規模に対して追いついてないかんじだ。というかまあそれはそれでべつにいいとも思うんだけど、こうまであからさまにヘボさがばれるような作りはヤバいんじゃないかと思った(これは「ほかの部署ががんばった仕事をしているために、がんばってない部署のヘボさが克明になってしまった」現象かなあと思う)。動きを観察するまでもなく、ふつうに画面眺めててわかっちゃうもんな。強さは機械的、弱さは一通り。単調っていうか一種類。延々と淡々と各個撃破。
ともあれプレイに戦略の余地がない。まあ敵が有能になったらプレイヤも頭使わなきゃいけなくなるから、そういうので振り落とされるユーザが居てはいけない!というようなゲーム共産主義システムの残念な側面が出てしまってたりするのかなあスクウェアエニックス社製品だし。

弱点を補完し合わない地上戦と空中戦。
弓兵や魔法兵は地上でも空中でも単にウザいだけ。まともに運用できているとも思えない配置のカタパルト(有機的に運用すれば脅威にもできるような気もするんだけど、現状ブービートラップ程度の意味しか持っていない)。「ドラゴンが進入できないから」城内へは歩いて入る、「ドラゴンでは倒せないから」対魔装甲兵はチャンバラで戦うしかない、そういう絶対的な作業性もまああっていいと思うが、もうすこしこう、消極的な空中/地上の住み分けがあったほうがよかったのではないかと思う。つまり最低限「弓兵は地上からいけば楽勝で殺せる」程度の親切さがあれば。現状のゲームバランスてどう考えても「プレイ時間から逆算しての帳尻あわせの結果」でしかないよな。
「地上から潜入して偵察、ドラゴン戦に不利になるような施設を破壊したり、伝令殺したり橋を使えなくしておいたりして各部の連携を絶っておいてから、満を持してドラゴンで制圧」とかまでいければ完璧だが、まあ、そんなドリーミーな理想の入り込む余地はこのゲームにはないなあ。

ステージ目的はターゲット全滅だけ。
まあ、これは、いいか、しょうがなさそうだし…。
ああでもあれだな、空中戦で敵を全滅させたあと「TARGET」まで移動しなきゃステージクリアにならないのって、もしかして「続く地上戦へ、場面をシームレスにつなぐためだけ」の移動強制なんだったら、なんかゲーム象徴界的にセンセーショナルだな。そんなわきゃないしそんなことがあっていいはずはないけど。

タイム制限がゲームルール内で形骸化している。
イベント固定以外の敵増援や、時間を消費しての体力回復行動や、明示的なタイムボーナスなどがあれば、タイム制限がジワジワと腰に響いてくるわけだが、敵は定数で回復アイテムは固定か倒した敵が出すだけなので、プレイ時間は弱者に不愉快な枷をはめるだけでそれ以上の意味を持たない。たとえばごく短時間でステージボス以外を全滅させたとして、しかし体力を削られてしまっており、このままボス戦に突入するのは心もとないなあと思ったとしても、時間は単にあるだけでそれを費やして取りうる行動がない。
なにが「絶対に1ステージのプレイ時間は1時間以内でなければならない」というふうに縛り付けているんだろう?なにか確保してるメモリが1時間超えると溢れるからとか?まさかなあ。ゲームルールは、システムに対する要不要で取捨選択されてこそであり、慣例からとりあえず実装をはじめるというようなことはやってもしょうがないと思うんだけど、官僚主導のゲームデザインだとだいたい慣例以外からはじまることってないかんじするよな(ユニークなものを作ろうという気がなければそれでもいいと思うけどまあ)。散文と韻文でいえば韻文が得意なほうが文系的であると思うが、ことゲームデザインにおいては文系のほうが散文的に思えるのは、結局「専門外の者」的なコンプレックスをゲーム内文系者がコンプレックス以外のものへ昇華することに成功していないということなのかな(かといって読みやすい散文を書けるわけでもなさそうっていうかどうしようもない)。
これで「高橋名人の呪いです」とかぬかしたらたたきころします。ジョークはごまかしや、泥棒の言い訳として使われてはならない。

23:40 2003/11/01