Tがぜんぜんやらなくなってしまったので、結局自分で遊ぶことにしたが、すごいなさすがスクウェアエニックス社のゲーム。まかり間違っておもしろかったらどうしようかとかプレイ前にちょっとは思ったりしたが完璧にそんなことはなく安心した。予想以上の出来だ。
詳しいことはまたあとで書く予定。
ここのところ毎日風邪薬を飲んでいるというのに毎日ひく風邪の種類が違っていやなかんじ。頭痛はどうにかなったが、今度ははなみずと腹痛が。ギギギ。
Doodle(02/03/11付)。
ゲーモク氏によれば、新庄市には「ゆめりあ」という駅ビルがあるらしい。
あーなんか無駄にサイト作成欲が湧いてきたけど元気がないので、かねてから一度はやってみようと思っていた「広告バナーサイズ(468x60)のサイト」をつくってみようかな。といってもそれもけっこう手間かかるよなたぶん。内容は、一回作ったら二度と更新する必要のないようなものがいい。古いゲームの攻略とか。
常識で判断しろ、常識で予測するな。
URLメモ。
「KILL BILL」のプロモーションの違和感について昨日合点がいった。
なんかこう予告編とかみても「大作っぽいかんじ」で見たら失敗する気がしていて、それでいながら宣伝のやりかたは大作っぽい扱いのような印象で、そこいらへんのズレが気になっていたんだけど、というかそれは「タランティーノ氏のひさびさの仕事」だから大々的に売らなきゃみたいな部分がもしかしたらあったりして不幸に働いてんじゃねえかみたいな気までして、どうにも健康的な考え方にいかないかんじでやっぱり調子悪いなおれとか、沈みがちだったんだけど、「KILL BILL」を「異色ですごいVシネマ」として見たらけっこうしあわせになれるんじゃないだろうかおれは、と、煙草吸いながら雑談していて思った。
むしろプロモーションの一環として、今作に限って「太蘭亭久園(たらんてい・くえん)という落語家出身の無名の新人が監督しました」とかバレバレの嘘をみんなでたのしみましょうみたいな方向性はどうか。それもまたバタくせえかダメか。
しかしまあこの映画はふつうに映画として見られているかんじがするから、もちろんMATRIX OFFみたいにみんなで渋谷で黄色いジャージの女子をおっかけまわしてあちこちで腕ぶったぎられてボロボロ部品を飛ばしましょうみたいな都市内バシシ的展開(街でみんなで内輪を形成して楽しもうよみんなー的な行動)にはなりそうもないよな。一瞬そういうふうな展開もつまんなくはないかと思ってはみたが、だめだな。ああいうものが評価できるのは最初の1回だけだし、規模やクオリティ云々は関係がない。
なんかこうフォームの履歴を眺めていたら微妙な気分になったので最近Googleに食わせたオタキーワード関連を列挙。サーチエンジンに食わせる単語はだいたいどんなひとでも無くて七癖というが…。
Google「internet killed the video star」。
1〜2年前くらいに見た「Internet Killed The Video Star」というFlashムービーが、ふとまた見たくなったんだけど、あれ shockwave.com での公開はとっくに終了してたんだよね確かー、でもそんときまた別のどっかのサイトでミラーリングされてたのを見つけた覚えが…と思ったのでそれを再発見すべく検索。
みつける前にあのFlashムービーを作った会社のサイトを発見。あー2Dも3Dもやってんだな。ざっと見たかんじ、特に科学力は高くないが、行き届いてるデザインを売りにしているかんじのところなのかな。このpioneerのムービーとかそんなかんじ(技術もセンスも突き抜けたかんじはないけど、でも必要十分に小技が利いていてわりと納得しつつ安心して楽しめるっていうか、ディスクから「one」にきてロゴになるあたりのなめらかさが小憎らしくてよい)。
ありましたこれです「Internet Killed The Video Star」(Flashムービー)。
[work]>[2d animation]>[Regurge Web Series]>[watch shows + more info]>[episodes]>[EPISODE 1]
とにかくこの、ラストの部分のなんともいえずローファイがかった電気ピアノの音色が良い。ローファイつーかふつうに容量節約のアレなんだろうけども、ここはこれくらいの音質のほうがより高音質なものより効果を上げると思う。それはこのムービーが表現している過渡期的な情感に含まれるし、それを包み込む力を持っている。
というかこれってこれだけじゃなくてEPISODE 4まであったんすな。どれも有名曲のパロディってだけで別につながりはないけど。
あとEPISODE 3がBSB「I want it that way」のパロディで笑った。つーかBSBのこの曲のパロディFlashてほかにも見たことあったよな昔、これより全然出来はアレだけど、あの「BSBメンバーのうち誰がゲイなんだ?」っていう歌。あれも探そうせっかくだからと検索してみたがBSBにgayを絡めると無茶苦茶ヒットするので全然抽出できない(やっぱヨゴレなんですかねBSBはインターネット的には)。
んあー、と、思ったがよく考えたらおれあのFlashのファイル名覚えてるよ確か「bsbgay.swf」だ。で、それで検索したら一発。これです、http://guggemand.dk/flash/bsbgay.swf。
体力制限プレイいよいよ大詰め。
体力200pt、ミッション99.2%、武器105個。
あとはINFERNO「審判の日」のみ。これもどうにかなりそうなかんじ。確率の問題。
どんなもんだこのやろう人類のちから思い知れEEEEEEEEEEEEE!
体調も悪いことだし、一日家に引きこもって部屋の片付けやはてなダイアリの改装などをした。というか、どっちも途中(部屋もはてなも)。いろいろいじくってると「べつにはてなダイアリでいいじゃん」的な気分が湧き上がってくるのでどうしたものかっていうかちょっと憂鬱なかんじだ。はてなを主に使うというのは、現状の「ローカルが主でサーバが副」という位置関係を逆転させるということで、そのためには切り替えなきゃならない頭の種類が多い。この偏屈に対する固執のうち、どこまでが危機感でどこまでが貧乏くささなのか、そこんところを見極めて判断する必要がある。あと部屋は有効床面積が微妙に広くなったのでそこんところは成果。
なにもかもうまくいかない週末。
一仕事終わったのでさあ金曜はちょっとペースダウン気味に回して来週に備えるべーと思っていたら風邪に大ダウン攻撃(←ラウに2回踏まれるかんじ)を食らって動きがとれず。まあ一仕事は終わっていたからよかったようなものの、これで終わってなかったら危なかった。どのみち調整日の一回休みはとても痛い。
今週末は、骨折以来延び延びになっていた旧居の掃除をやるつもりだったんだけど風邪でまた延期。ああー。
昨日っていうか今日夜半からSさんたちと「KILL BILL」を観に行く予定だったんだけど風邪で鑑賞失敗。日中にコンディションを整えてから、一応待ち合わせ場所まではフラフラ行ったんだけどどうにも気分が悪くなって、風邪薬を飲んではみたが効果が薄く、待ち合わせ時刻まで待てずに帰宅。時間と金を無駄にしてしまった。おまけに寒い。というか寒気が。ううう。
あーちくしょうこれで「KILL BILL」を映画館で見ることがもう一生ねえような気がする。DVDとかで見てしょうがねえ映画な気がするから映画館で1回見て終わりにしたかったんだけどなあ。
「おれは自分を十分にオタだと思っているが、一旦自分の見たい作品との縁や巡り合わせが滞ったらそれを意識的に変えようとする努力をしない、おれの鑑賞法はあくまでデジタル、デジタルなんだ…」(©稲瀬プロ)。←ていうかそれはやっぱりオタ的な粘り腰が足らんだけと違うのかどうなんだよおれは。デジタルだつってもべつに爆牌打てるわけでもねえしな。
こないだ「エルミタージュ幻想」DVDを買うぜ買うぜ的な気分でDVD屋に行ってどこもかしこも売り切れだったときもそうだ、もうちょっとまえになるとあれもかな、「おジャ魔女どれみ」の細田氏演出回見逃しとかも。作品のリリーススケジュールに対しておれのコンディションやテンションや、調整能力が微妙にズレることはよくあって、まあばっちり合うときもあるんだけど、そこですれ違ったときにあんまり努力しない性格は、情報欠乏の時代には弱そうだなと思う。逆にいえば情報的ヒキコモリ特性は高そうだけども、それはよっぽどでなければおもしろくならないな。
ちまちま進めていた「逆転裁判2」の、第4話のいいところまで進めておいたセーブデータを、ついさっき誤操作で消しちゃったよ。確かLかRか押しながら起動すると最初にデータ初期化するかどうか聞いてくるんですよ。で、あーとか思いながらペッとボタン押したらよく間違って「はい」押しちゃうんですよ。全部パー。ああまただよ。確か最初にプレイしたときもこのミスやった。ストーリーや展開もほどよく忘れてて、すごく楽しく遊んでたところだったのに。ぬーん。御剣検事が復活してオバチャンに尋問してて、すごくいいところだったのに。すごく萎えた。ううう。
ところで先日のサーバメンテでiswebに移行完了したってわりにこのページ、バナーの表示形式が変更されないね。このままいくのなら、べつに引っ越すこと検討する必要ないかな。
体力200pt、ミッション97.6%、武器105個。
当初「こりゃ2人でないと無理だろ」と思ってたミッションも案外1人でなんとかなったりして、おれもちょっとは魂斗羅づいてきたかなと思えるようになってきた。とはいえさすがにここから先は如何ともしがたい。「潜伏」は、やりかたさえ安定できれば1人でもいけそうな気もするんだけど…。
未クリアミッションは3つ。
「エルミタージュ幻想」を買うためにあちこちDVD屋を回ったがどこも売り切れ。すざけんな買わせろよおれに。
せっかくのDVDを買う気分がだいなしになるのはよくねえなと思ったのでニューリリースの棚から「リベリオン」を手にとってみたが、…やめた。どうせ誰かが持ってんだよ借りて見るよリベリオンはべつに。ジャンク的に鋭いが致命的なほどではないのだ。
エルミタージュ幻想どうすっかな実際、Sさんに借りるというてもあるんだよなあ実際。今日買えなかったのは痛い。
ところでエルミタージュ幻想て飯野賢治氏とか好きそうだよなー、とかゲーオタがいうとなんか政治的なニュアンスが自動的に含まれてしまうような気がしていやだが、しかし、実際そう思った。つーかD食当時とかあのへんの空気の先の先で完成してるひとつのかたちがエルミタージュじゃねーのかみたいなっていうか。まあ色々違うんだけど同じ感触で通じちゃう部分ってなにかありそうなかんじもするだろと思うわけです。んー。
おれの場合3DOで一応Dの食卓やってみたんだけど結局プレイ中1フレームたりともあれをおもしろいと感じられたことがなく、でも当時親交のあった映画オタのOくんなどはかなり気に入っていたし、Oくんに感じられておれには全然ひっかからないこのゲームの魅力というのがなにかあるのかー?と何度か自分で遊んだりひとが遊んでるのを観察したりしていたんだが、結局あれはたぶん本来到達すべきラインまで全然達していないのでその先までを見通せる(=その空気やD食が本来やりたかったようなことを妄想し共感できる)ひとにしか響かないのかなあー、とか思って以降懸念するのをやめた。ようするに、時期が悪かったんだろうというか、いい時期だったというかんじというか、まあそんな、半端さとか、不十分さを愛せる余地のある時代だったのだあの頃というのは。
ああなんかすごい脱線したな。ともかくああしたおれの中で同系統に分類されているあのへんのものは、一線を突破しなければ享受する快楽として足りないと思っていて、たとえばD食は歯牙にかからず(だから目の付けどころがどうだったかとかそういう問題をおれはD食に関して検証しない)、MYSTはなんかいまひとつ興が乗らず、RIVENはけっこうズギューンなかんじで、エルミタージュはおいしいレベルに達してるかんじがするんだよな。ああいうのを楽しいとかんじる脳はけっこう誰にでもあると思う、複雑なことやってるけども結局単純な「どうよこういうのふしぎにおもしれーっしょ」みたいな発想からはじまっていて、そこんところに正直なかんじがするから。まあむずかしくも説明できるのかもしれないが、そういう言語を持ってる必要は全然ないと思う、それはそれこそ、そういう趣味だ。
というかD食とエルミタージュだけならともかくMYSTとかRIVENとか言い出したらますますエルミタージュが浮いてしまうかんじがするけども、まあその違いますけど、違うところじゃなくて同じところの問題の話というかそういうかんじ。あとエルミタージュは映画だからインタラクティブじゃないけども、それゆえにインタラクティブとはなんぞやみたいな部分をこういった毛色に近いジャンルのゲーム方面に向けて、いろいろ考えてみるきっかけにもなるような気が、するなあと思う。
おれが持っている「宇宙戦艦ヤマト」に対するイメージの第一は、あのヤマトのビジュアルではなく、波動砲のことでもなく、第三艦橋のことでもなく、「凝(じ)っと見る」というト書きだ。小学校の頃くらいに、(当時はべつにアニオタを志していたわけでもなかったのだが)なぜか宇宙戦艦ヤマトのシナリオ集みたいなものを読む機会があり、あれは藤川圭介氏だったかの手になる文章だったのだろうか、よく覚えてないんだけども、ともかくその文中で「○○は××を凝(じ)っと見た」という表現がやたらに目に付いて、それは単にその表現の使用回数が多かったということもあったんだけど、わざわざ「凝」なんていう画数の多いむつかしい漢字を使ってるところになにか意思的な雰囲気を感じて、それが刷り込まれた。
古代が島を凝っと見たりとか、真田さんが古代を凝っと見たりとか、ヤバい場面で重大な決意が表明されたときなど、とにかく誰でもなんでも凝っと見る、そんなイメージが出来上がった。アイ・コンタクトちゅうんですか。
以来なんとなくキャラクタが喋ってるときと同様にキャラクタが喋ってないときの演技にも注目してみるようになりました。
ていうようなことはしかし、あんま関係ないよな。べつに。さっきなぜか小学校の頃だったかにそういうことがあったなあと思い出したので日記。
地球防衛軍状況。
体力200、武器99、ミッション88.8%。
残ミッション数14。うち2つまではシングルプレイでもどうにかなりそう。
その他の12は2人ががりでなければ勝機が見えないかんじ。ほかはしばらくトライ&エラーを重ねる必要がある。いやでもインフェルノ最終面はどうやってもきついか、体力200だし。しかし魂斗羅ならやれるはず。
当たって砕けても魂斗羅に敗北はない。死後コンティニューされる限り戦いつづける不死身の兵。魂斗羅を目指す以上ここで退くわけにはいかない。
以下メモ書き。とくにまとまってないまま。
しかしこのゲームをこういう遊び方しててつくづく感じるのは、三国無双などで一般化した「これ系のゲーム性を持つゲーム」の難度調整の厄介さだ。非ゲーオタをも包括して市場を設計せねばならないような大作ゲームの場合、プレイヤスキルによる難度調節は、ゲーム側ではむしろ「初心者排除の悪要件」として排される傾向が強くなり、よってこうしたゲームをゲーオタが遊ぶ場合には、その難度をプレイヤ自身が調節する必要が出てきた。
ABA氏の03/10/14付の日記で的確に説明されていると思う。
ゲーム難度に関する要素を単純化すると、
1と2はゲーム進行につれどんどん上昇していくが、3が上昇するかどうかはプレイヤ次第。
1だけが上昇していくと、ゲーム難度が上がる一方でいずれプレイヤはゲームをクリアできなくなる。
なので3の上昇を見込んである程度段階的なゲーム難度をデザインしていくのが古来のアクションゲーム。「ゲームに含まれる全体」vs「プレイヤ」という単純な構図。
そこへ「プレイヤキャラクタ(ユーザエージェントとも言うのかもしれない)」の概念を取り入れて成功したのが三国無双型ゲームバランス調整法(このケースで便宜的にそう言ってるだけで、べつにこれは三国無双が発明した方法というわけではない)。ゲーム内にプレイヤ側に有利に機能する要素(PCの成長)を置くことで機械的(定率)なサポートを提供する。1と2を拮抗または1の上昇よりも常に2が優位に立つようプレイヤ側で操作できるように調整されたゲーム。1と3の辛口ゲームに2という砂糖をぶちこむことで大衆化に成功した。
激辛難度になっても大量の砂糖をドバドバつっこめば、食える、からOK、という考え方。
それは正しい。ただしその正しさはプレイヤの自制心を試す。
辛味と甘味どちらも大量投入することでバランスを保持しているようなものを延々食ってると味覚がおかしくなる道理。まあべつに実際のところおかしくなったって困りゃしないのでそれでいいのだ(それが理由で人間死んだりしない)。いいのだが、しかし、それこそが問題で、でもそんなことを気にするのは一部ゲーオタだけなのかな残念だな。マイノリティの聖地がマジョリティの観光地化していくよ。でもアクション性を伴うゲームにだけは聖域を作っておきたいひとびとは、己自身と戦うことにかけては百戦錬磨のはずなので、まあ死なないよな。ほかがどうなろうと自分の残機さえ残ってれば大丈夫、残機なくなったら無限コンティニューなんかせずさっさと死ぬ。これ。
食いものなんかうまく食ってなんぼなんだから、金払って買ったゲームをわざわざまずく食うのはおかしいんですよカテジナさん、甘味も辛味も酸味も旨みもなんでも適度がいちばんです。とはいえしかし、砂糖をドザーッとビンごとぶっかけるのは、それはそれで快感ともいえるわけなんだよね。占いあそびやプチプチつぶし的な単純作業にあるおもしろさを否定するこたないわけだし。
プレイヤキャラクタレベルというのはようするにRPGで培われたノウハウだ。RPGのゲーム内容に関して、プレイヤ自身がそれとわかるほど成長することはあまりない。ほとんどの成長はプレイヤキャラクタが担当する。その比率は圧倒的。アクション性の高さを主軸とするゲームの場合うまいひとと下手なひとがセーブデータを交換しても結局うまいひとはうまくて下手なひとが下手だが、RPGの場合セーブデータの交換はほとんど致命的になる。とはいってもまったくプレイスキルがないわけではなくて、それは基本的な入出力系に対する習熟とかゲームシステムに対する理解とかで(「RPG廃人の度合いはアイテム整理のスピードでわかる」の定説)、プレイヤスキルの上昇度合いの成果はこの場合「早解き」へ収束していく。べつに早解きする/しないではなくて、できる/できないの問題。×ポリシー ○ポテンシャル。
だからRPGにおいてプレイヤスキルの概念を成立させるためには(まあそんな必要はないわけだがもしそれをしようと思ったなら)、そのRPGは話題としてプレイヤグループに共有されなければならないだろう。…いやいや、しかし古来のゲーオタはいまどきのネットゲーオタとちがって一人遊びだけはむちゃくちゃ上手いもんだから、RPGもひとりでコツコツやりこめたりしちゃうわけだしそれはそうとも言えないよな。うーむ。
あとまあRPGを母体にしてアクションを取り入れるとARPGになるわけだが、三国無双のアクションとRPGの混ぜ具合とはまた違った感触に当然なるわけで、そこいらへん「やっぱり一応こっちのジャンルが母体」みたいな部分の差でけっこう違うんだなと思えておもしろいような。気が。あんまりおもしろくないかなしかし。各ゲーム毎の開発チームのポリシーみたいなものの差を感じるのは単純に楽しいんだけど、できたゲームがおれにとっておもしろいかどうかはまた関係ないしな。
RPGの官僚化が進みすぎてちょっと揺り戻しという意味もあるのかもしれないな。結局コンシューマゲーでやる以上ボタン押して楽しいゲーム性をある程度は保持していないと、そんなのマウスやキーボードでやりゃいいじゃんって話になるし(操作ならともかく入力だけの話なら)。コントローラが「単に入力の不便なインターフェース」として扱われるゲームは、ゲーム機の方向性に合わないし、表現力の上昇曲線にも順応できないっていうのが。
アメリカゲロアニメの血統のうち有名なものの中のひとつである「シンプソンズ」であり、これまでに幾度か見る機会があってそのたびに首をかしげてきたわけだが、まあ頃合だろう、やはりおれの文明圏にはシンプソンズ的刺激は不要ということに決まった。「サウスパーク」はおもしろい、「カウ&チキン」も必要、でも「シンプソンズ」は、アエー。
なんというかたとえば「裸の銃を持つ男」とかをふつうに笑えるだけの文法や空気感に対する理解とか、クリント・イーストウッド氏が一頃こだわっていたという「なんか眠い雰囲気のアメリカ映画」に対してそこに直感的に共感できうる素養とか、そのへんはまあ映画の方面だけどシンプソンズはTVの方面からの、アメリカメディア教育の成果が身に染みていてこそおもしろいんじゃないかなと思った。日本人にしか笑えない日本の漫画をアメリカ人が読んだときに感じる微妙さはこれと違うだろうけどたぶん同じ。
買ってきた。
これで最近で欲しかったゲームはだいたい買い終わったかんじ。
剣神ドラゴンクエストというのは、TVを使うゲームだが、XBOXやPS2のようなゲーム機とは違って、去年〜今年あたりから徐々に注目されだした、いはゆる(正式な名称は知らないが)「コントローラ型ゲーム」の系統のもので、モニタとしてTVを使うもののその感覚はむしろ「すごく豪華なゲームウォッチ的な玩具」に近い。いやむしろカセットビジョン時代程度的っていうのか、ROM固定のメガジェットみたいなものというか。
流通経路も違って、ゲーム屋さんではなくておもちゃ屋さんなどで扱ってる。
一般的なコントローラ型ゲーム機の場合その外観は「コントローラから直接TVにつなぐケーブルが出てる」というようなものになるけども、剣神ドラゴンクエストの場合直接プレイヤが扱うのは剣(←塗料が塗ってあるだけで、これ自体に電気的な仕組みはない)なので、[TV]-(ケーブル)-[本体(剣の動き検出センサ)]-(つながりなし)-[剣]という構成になる。本体は単3電池4本で10時間稼動と書いてあった。…別売りでACアダプタもあるが、「TV-本体をつなぐだけですぐ遊べる」ことの新鮮さを体感するためにここは敢えて電池プレイ。というか実際のところ10時間稼動が長いか短いかっていうと剣ブンブン振り回しての10時間はとんでもなく長いだろうから、よっぽどハマる確信を持てるまでは電池のほうがメリット多いんじゃないかなと思った次第。
コントローラ型ゲーム機の場合、ハードとソフトが一体、専用コントローラ+専用ソフトという組み合わせなので、いろんなジャンルのゲームをひととおり遊べるように…みたいな前提で設計されるふつうの家庭用ゲーム機とは違って(←中にはカードを入れ替えることで似たような何種類かのゲームが遊べるようなものもあるようだけども)思い切ったデザインのコントローラが多く、べつにスペック的には大したことがない機械なんだけど、その「アイディアをそのまんま形にしました」みたいなストレートで余分なもののないいさぎよさが妙に新鮮というか、心洗われるような気分になったりもする。
ゲームデザインのアイディアや商品としてのあそびが、ハードとソフト双方に溶け合ってその境界線が不分明なかんじというのか。それは [モニタ]-[本体(ハード)/ゲームソフト]-[コントローラ] の様式が進化の過程で忘れがちになって(場合によっては捨てて)しまっている、おもちゃとあそびのプリミティヴな幸福のかたちのひとつとも言えるだろう。まあ「鉄騎」とかそういう例もあることだし、また逆に既成のコントローラに対して行っていくゲームデザインの作法っていうのもまた美しさのひとつなんだしで、べつにどっちがどうだってんじゃないんだけども。
ともあれ、そういった代物である「剣神ドラゴンクエスト」の遊び方は、やっぱりふつうのゲームに比べれば相当に変だ。だけど考えてみれば、この遊び方だってべつに「変じゃない」とも言えるはず、とすれば「これが変じゃない」見方によって見渡したとき既知のゲームの数々をどう見ることができうるのか、みたいな部分のおもしろさっていうか。
好評だったらこのシステムそのまんまでガワ替えてハリーポッターゲーとかも出そうな勢いを感じるなあ(魔法の杖を操ってーみたいなやつ)。
で、しばらくやってみた。腕がすごく疲れる。島国大和氏のこの漫画は正鵠。おれの場合左腕骨折してるから剣は右手で振るけども。
剣振るのって大変だな。ゆうしゃすげえよ。ファミコン以降のドラクエで「コマンド?」「たたかう」とか無神経にボタン押しやがるプレイヤの命令によくも耐えた。あと剣道部のひととか大変だなと思った。
あと、あそんでて、なんというか「モニタの向こう側に干渉するためのインターフェース」である剣と、それと(一応)同類であるゲームコントローラや、ゲーミングインターフェースというものが本来持ってる(た)可能性みたいなものに、なんか素直に感心してしまった。これはまあ体得とか実感とかそういう類のものだ、理屈に変換すれば大したことのない量にしかならないわけだけども。言語による事象解像能の問題もあるなあ。
厳密に考えれば、ロトの剣の機能は操作でなくて干渉だから、剣はまさしく剣としてあって、「コントローラ」じゃないよな。このゲームが展開するモニタの向こう側にはプレイヤが操作すべき何物もなく、操作できないもの(敵や他人)だけが居て、彼らに対するプレイヤの入力はあくまで干渉(情報を聞いたり、攻撃したり)だ。…メニュー画面ではカーソルを操作してるけどまあ。
ということはこのゲームは(一応)「プレイヤが意のままにできるエージェントをモニタの向こう側に置かない」ゲームで、そしてその感覚は、うーむ、なんかレイヤ1枚抜かしたかんじで、それはこのゲームだけが持ってるような感覚じゃないけど、鮮烈だな。FPSにだって「銃の先端」とか最低限の代理人が向こう側にあるのに、全然ない。モニタをへだててプレイヤとそれ以外が完全に分離している。はっきりしているので、モニタの薄さがむしろ可能性に見える。
あと、このゲームやったあとPC操作してると、マウスオペレーティングというやりかたがやけに新鮮に感じられて参った。マウスジェスチャーとか。うー?マウスに右手がちょっと埋まってるかんじがする?いや埋まってないんだけど「ほんとはもうあと皮一枚分くらいおれの指はマウスに対して埋まっているべきはずなのに埋まってないのはなぜ?」みたいなかんじというか。
インターフェースというものは奥が深くて深くてしょうがねえなあ。
昨日。
7Fのベランダでプカーと煙草吸ってたときに地震がきてびっくりした。
あーこりゃヤバいと咄嗟に柵を掴んだほど相当グラグラ揺れた。おっちゃくっかとおもうたばい(=落っちゃけるかと思ったばい=落ちるかと思いました)。でもまあ真剣に墜死の心配をしたというわけではないかんじだ。といっても実際に墜死するケースでは自分が墜死するかもしれないとかその状況で真面目に心配していない(または心配するモードへ移行するための脳の準備ができないまま落ちていってしまう)状態のほうが多いのかもしれないので、実際の危険の度合いはわからないな。
掴んだ柵のほうもビーンと細かく震えていた。震度4だったとのこと。でも直後に地上を見てみたら通りを歩いてるひとはみんなふつうな様子だったので、やっぱり建物の上のほうだとびっくり度が違うなあと思った。耐震構造の特性のちがいによっても揺れ具合て変化するらしいけども、このビルの場合単にボロいだけな気もするので、安心の(コントロール下にある)揺れというよりは率直なスリリングさがある。
地震で困る仕事とかやってたらいやだろうな地震。ビル建築現場のてっぺんとか、ビルの窓拭きとか。ギネスに挑戦中のドミノ倒しのひととかも。というかあれだけどもふつうにあーつかれたなーと伸びをして、さてこれから自発的にあくびが出ますよーと思ってた矢先にドーンと地震に来られるだけでも十分いやだけども。あくびがひっこんでしまった。どうしてくれる。
あー、それで思い出したけどなんか「ドミノ倒し作成中に地震などの天災でドミノが崩壊したとき用の保険」とかってなかったっけ。と思ってGoogleで「ドミノ 保険」で検索してみたら、みつからなかったが、出てきた検索結果がそれはそれでおもしろかった。「ドミノ」「保険」のふたつの単語が同時に出てくる文章って大抵不景気な話になるのね。