朝からいい日差しと気温で、暑くもなく寒くもなく、風はちょっと強かったが、川原とかで寝転がって過ごしたいような天気だったが、もしくはクレイジータクシーにでも飛び乗ってみたいような天気だったが、病院に行った。病院はなにしろなんでも台無しにする場所だが、今日は天気のよさのほうが勝っていた。
買い物。漫画。片山まさゆき「ノーマーク爆牌党」1〜9巻と、とよ田みのる「ラブロマ」1巻。
ラブロマは、読んでみたらどこかいまひとつだったがいい漫画だった。2巻出たらつづけて買うかもしれない。
ところどころに速い展開のラブコメ演出の影響と思われるコマがあるのでまあそれ以降の漫画だなあと思ったが、いまだとアニメじゃないなどっちかというとFlashのほうに印象が寄ってしまった。あーいやflashの影響ってことではなくて「アニメ→漫画」という流れを「漫画→アニメ」に返すんじゃなくて「漫画→Flash」にフィードバックしたほうが脳内連想が自然な気がしたというか。
ノー爆は、3,4年前、いろいろ持ってた麻雀漫画を次々捨てていく過程で最後まで残った漫画で、ようするに好きなんだけど(でもこれが一番好きというわけではたぶんない、経験上おれは「最後に残すひとつ」を「一番好きなもの」にしないはずだから)、まあそれでも結局最後はノー爆も捨てたんだけど、今回買い直した格好。
片山まさゆき氏も闘牌漫画かーやっぱ最近はなんでも闘牌だよなーみたいな、麻雀漫画雑誌の微妙な時期(いや麻雀漫画雑誌はいつの時期も揺れうごいてる印象だけども)の作品という点でも意義深いかんじだけど、それよりなによりこの漫画やっぱおもしろい。好き。
おれは、多くのオタがそうであるように、興味のある商品ジャンルについてこれが好きだと思ったらそれしか買わなくなる傾向が強いけども、実のところ「ほっといたらずーっと同じものを買ってる」傾向が強いのは、あまり興味のない商品ジャンルについてだったりする。
これは、どっちかっていうとオタっていうよりも、ボンクラの特徴のひとつと思う。
最近だと烏龍茶がそう。
ずーっと同じ銘柄の烏龍茶のペットボトルを買ってる。べつにこれが好きとかそういうわけではなく。
なにしろあんまり興味がないことなので、それについて考えたり迷ったり選んだりするのがめんどくさい、あらゆる意味でそんなどうでもいいことに手間をかけたくない、ので、1回買って問題なければ延々それを買い続ける。店に入って同じ棚に行って同じ場所から同じ商品を取って同じ額を払って出る。下手すると店内に入って出るまでの歩数とか靴が踏む床の位置まで同じだったりする。
まあ一番最初に買ったときには一応ちょっとは検討した。数あるペットボトルの中で安めだったことと、あと、なんかこの烏龍茶はあれなんですよ、裏面に土井善晴氏の料理レシピがのってんすよ。強いていえばそれが決め手だったかな。
べつに自炊の参考にー、とかそういうんじゃないんだけども、おれがまだTVを見ていた頃(ということは中学生のころだったかもしれない)、この土井善晴氏のお父さんであるところの土井勝氏の「おかずクッキング」という5分くらいのTV番組があってて、おれはその番組が好きだったんだよね。それでまあこれぁなにかのご縁にちがいないと。
土井勝氏はそれからしばらくして亡くなってしまったそうだが、そのあとを土井善晴氏が継いでその料理番組は続いていたはず。その頃にはおれはもうTVを見ないひとになっていたので、そこから先のことは知らない。
買い物。XBOX「MIDTOWN MADNESS 3」とDC「BORDER DOWN」。
「MIDTOWN MADNESS 3」は定評もあることだし安定買いだが(それにしてもこれまた日本じゃウケなさそうなパッケージだ)、買った直接の理由はどちらかといえば、おれのドライブゲー分のうちDC「SUPER RUNABOUT」が負担していた部分をXBOXにおいて担っていただきたいなあという期待。というか「MAXIMUM CHASE」が妙におもしろくておれはこれでいいんだろうかとちょっと不安になったというのもある。
ボーダーダウンは、うーむ、見ればみるほどメタルブラックだなあ。
慣れの問題もあるが、今日交互に遊んでみて、やはりクレタクはXBOX版3よりDC版2のほうがおもしろかった。
個人的に2>1>3の順。初心者には迷いなくDC版の1を推す。マップが単純だしジャンプがないので考える要素が少なくていい。2は1をマスターして操作関係を自在にしていることが前提になり、マップの把握が練習になる(そしてマップを完全に把握してからようやくゲームになる)ので、2からいきなり入るのは酷。
XBOXのパッドはなかなか優れているが、クレタクには合わない気がする。ボタンが大きいのが一点と(ABボタン間で指を滑らすのがむずかしいかも)、アナログ対応な点がどうもマイナスに働いている印象。振動機能の内蔵による重さの増加も難点になってくる。うまくなってくると1プレイに1時間以上かかるようになるからなるべく軽いほうがいい。HALOとかMECH ASSAULTとかやってるぶんには全然気にならないんだけどクレタクだとだんだん気になってくる。「撃たない」ゲームだからコントローラの重みに頼るリアリティをおれが求めていないのか。
マップが広く細かくなったのはクレタクの場合デメリットにもなりうると思う。広すぎるとマップ把握の難度が上がってしまうし、細かくなると「詰まり」や「引っ掛かり」の箇所が増えるということで、勢いにまかせて適当に突っ込みまくってガンガン進むやりかたが通じなくなる。3のWEST COASTと1のWEST COASTの差が明快で、1でわりとてきとーだったコリジョンが3だときっちり取られていてかつ微妙に奥のほうまで進入可能な場所が広がっているので、目的地に飛び込んだはずが柵(←1ではただの「壁」だった)を飛び越して茂みの中で停止とかそういう状況が発生しがち。
これあんまきもちよくないっすよ。
あとあれ、壁にぶつかったとき1とか2なら勢いまったく殺さず「上滑っていく」かんじで走行継続できたけど、今回壁にぶつかるとちゃんと減速しちゃうね。やわらかくなったかんじ。ハイウェイのループでリミッターカット連発して安定して抜ける技が殺されてしまいました。「どれだけぶつかってもまったく壊れないし、どれだけ走ってもボディはいつもピカピカ」みたいな、一種の無敵状態感もクレタクの馬鹿っぽい魅力のひとつだったと思うので(古来無敵状態の自機を縛ることの出来るゲーム要素の第一は「残タイム」であり、そしてクレタクはゲーム開始から終了まで完全な無敵自機のゲームとしてあるからこそ時間を争うゲームとしてすごく納得できるのだ)、こうしたやわらかさはちょっと歓迎したくない。
さらに、3のダッシュのタイミングやドリフトの制御などの感覚にどうも慣れない。全般的にもっさりしている。いくつかの入力系が改善されて(より直感的になって)いるとは思うんだけど、それが逆に元の入力系に慣れすぎた指に合わないのだろうか。たとえばクレイジーバックダッシュが入力しやすくなったのでギッと止まりやすくはなったんだけど、もともと派手にドリフトしてそのまま止まればいいけどべつに止まんなくても壁とかにぶつけて止めるからOKですよみたいなノリで遊んでたので(真面目に曲がったり止まったりするのはクレイジーっぽくない気がするので)あんまこういう正確さでは遊びたくないかんじですよ。
というか調整不足な気もする。慌てて出した感っていうか。調整不足といえば描画関係とか相当適当だし(←大出力エンジンをガンガン空回りさせてるかんじっていうか)。それはそれでまあいいんだけど。
XBOX「JSRF」をひさびさにやってみて、なんかすごく遠くまで沢山の細かいオブジェクトが表示されていることに妙に感心して、おや、べつに普段からXBOXゲーやってるわけだからほかでもその種の感心はありそうなものなのに、なぜか最近そういうことに感心した覚えがなかった。なんで?
JSRFは、見た目の問題でいえばDC版JSRの設計思想そのまんまで処理能力が向上したので処理落ち問題が解消され、さらにメモリ容量も向上したのでオブジェクト数も増えた、だけ、と言ってしまえば言ってしまえるゲームだと思うんだけど(実際にはもうちょっと色々細かいことやダイナミックなことををやってるかんじだけども、XBOXっぽい高画質というよりは「すごいDC」っぽい高画質という印象で、ハードウェアの特性に寄った印象は薄い)、て、ああ、それか。XBOXっぽいっていうよりは「すごいDC」っぽいからすごく見えるんだ。
PS2のポリゴンGA(ゴールデンアックス)に関しては「3DAGESの第1弾で原作への変態性欲(=たいへんすばらしいオーラ)の感じとれる作品はポリゴンファンタジーゾーンのみ」とのことだったので、Mさんから借りて済ますことにした。
DC「ボーダーダウン」をやってみたが、プレイしててなんとなくSRX氏の「MESSIER」を思い出した。
べつに似てるとかどうだってんじゃなくて、単に思い出しただけ。
とりあえず早く買いにいこうと思った。
すがわらくにゆき氏のコラム第4回によれば、クレヨンしんちゃんには正面顔で笑っている資料がないそうだ。
ということはつまり、クレしんには「しんのすけは正面顔では笑わない」のルールがあるということになる。そういえば見たことがない。なるほどああみえてなかなかかっこいいやつだ。しんのすけは横顔で笑う。馬鹿みたいに大口あけて笑い飛ばしたりしない。すくすく育てばいずれハードボイルドになるかもしれない。
ノーマッドが男に見えなかった。
人格ではあるが、男でない、じゃあ女か?それは…どうなのよとあちこち脱線しながら論理を編み出そうとしてみたが、どうにも素養がなく、1年以上保留していた問題。これも随分前の話になってしまうが、Tさんには話したことがあった。
というような乙女ミサイルフェティシズムのような雑考を経て、なにはともあれおれ的にノーマッドは女性型ということに決まったが、まあノーマッドはそこからちょっとズレたキャラクタなわけだ。なにしろ、ミサイルとしての本分を外れてぬいぐるみに収まって、今はヴァニラに抱かれている。彼女は自身の「恋する乙女」を喪失しているのだ。
さて、この「喪失したノーマッド」とヴァニラという正体の掴めないキャラクタの間にいかなる関係がありうるか、というあたりで止まっている。まあどっちも女だからヘテロではない、ぬいぐるみと少女だから(仮に)セクシャルになることがあったとしてもポルノにはなるまい、とすれば、まあ、百合か。くらいにしか頭が回らん。うーん。
ああ、つーかちがうか。ベタベタの少女漫画だと最後に男のほうからこれ以上ないくらい都合のいいアプローチがあるわけだしな。逆だ逆、ラブコメヒロインってことでいいか。諸星あたるを例にしたんだったらまさしくラムが適当だ。
明け方だったか夜中だったか、微妙な揺れを感知して起きた、が、またすぐ寝た、のでそれが夢のことだか現のことだかわからなかったが、C.G.Iのコメントによれば関東もちょっと揺れていたらしいのであれは現のことだったんだろう。
「てめえらごときうんこゲーマー相手の商売ってのは正直言って金稼ぐ以外楽しいことないので新システムの実装とかありませんよ旧来のシステム使い回してデータ追加だけの方向で、あとはまあちょこっと機能追加があるかないか程度」とかいうような思想で設計されたと思しきゲームを「テメーラビリティの高いゲーム」という。おれが。キャラゲーなどは必然的にテメーラビリティ高めな方向で開発される傾向があると思う。というかキャラゲー市場ではテメーラビリティの低いゲームを開発してしまうような開発者は、むしろ歓迎されないのではないかと思う(R&Dは予算を食うので)。
このあたりのことを考えると、(あくまで家庭用ゲーから見て)エロゲーの困難さは家庭用ゲーの想像を絶するところからはじまったのだなあと思う。エロゲーの決して短くはない歴史の中でテメーラビリティの低いレベルに到達できた例などは数えるほどしかない。もとからそういう発想のない現場として(すくなくともWindows95期以降の)エロゲー開発はある、というかそういう意識もないだろうから、それは「困難」ではないんだろうけどまあ。
はてなダイアリー辞書「冴子先生」によれば、冴子先生の美脚は「婦人団体の抗議により」見えなくなったらしい。
ところで現在世界で最も有名なVNIって誰だろう。冴子先生はそれなりに有名とはいえ国内版限定っていうし会社員とかじゃないとあんま使わないかんじだしマイナーの部類だよな…ノートン先生?
唐突にテレシコワさんの「ヤー・チャイカ(私はカモメ)」とチャイコフスキー氏の名前のチャイコフは語源一緒?と疑問に思って調べてみたが、
チャイコフスキー氏はチャイカ村生まれってところまでしかつながらなかった。そのチャイカ村が「カモメ村」という意味なんだったら通じるんだけどなあ、どうなんだ。
ジオ・コスモスで中秋の名月。
「普段は見られない月の裏側まで観察できる」て、普段じゃなくても見えないよ。見たいよ。
いや、逆にこの記事書いたひとの「普段」感の壮大さにちょっと宇宙的スケールを感じなくもない。
XBOX「MAXIMUM CHASE」をひさびさにやってみたらふつうにおもしろくて困った。うーむ。
今回ちょっとやりこんでみようかとまで思っているくらいだ。
このゲームは残念ながら結果として色物好きにしか評価されなかったけど(ほかのなにを置いても実写ドラマパートの無駄に手間のかかったC級っぷりが完璧にすばらしかったのでその筋では評価されている。はず。天然で作ったのなら天才だから保護しなければならないし、狙ってやったのならこれ作ったひとは絶対にいいひとなので絶賛すべきだ)、もっとふつうのひとの目に触れる機会があれば案外スマッシュヒットしたかもしれない…とはいくらなんでもいえないが、たとえボテボテのゴロでも出塁することくらいはできたんじゃないかなあと改めて思った。実際、手堅く作ってはあるわけなんだし。
XBOX のソフトが真に一般ユーザの目に触れるような機会を得ることは遂になかったように思う。
あったとすれば、極端な例になってしまうが、乳揺れ記号に反応しただけでべつに対戦格闘自体あんまり興味もないのにパフォーマンス的に「DOA3」を買ってみせたユーザと、FROM SOFTWARE社を信じて崖っぷちからバンジージャンプしたつもりが紐がついてなかった「MURAKUMO」ユーザくらいだろうか。どちらも XBOX 市場にとってみれば得難くありがたいチャレンジャーだったはずなんだけど、残念なことに結局 DOA3 は買って数時間起動して乳揺れを確認した時点で満足されてしまい以降起動されることがなく(ゲーム性に触れるために越えるべき敷居が高過ぎたのだろうか)、 MURAKUMO に至っては明らかに科学力と企画力の不足した残念な仕上がりで、ゲーム自体その発想を具現化できるまで練り込まれたものとはとてもいえなかった(逆に言えば調整次第でおもしろくなった可能性はあると思う)。前者はフェードアウトしてプラス印象にならず、後者は忘れるべき不幸としてマイナス印象になったんじゃないかなと思っている。
考えてみたらだんだん MURAKUMO と MAXIMUM CHASE は(ゲームじゃなくて開発の問題が)似てる気がしてきた。
まあ近い時期の、結果としてどちらもちょっと残念なことになってしまったゲームで、足りなかった部分もわりと近いか、または影絵のように裏返しになっている印象。結果としては仕上げも(←すくなくともゲームとしてちゃんと遊べるし自由度もある)見た目も(←コマ落ちしやすいけどちゃんとXBOXなりの画面を出せている) MAXIMUM CHASE のほうが優れていると思うけど、その2作の差というのはけっこう微妙なものだったんじゃないかなーとか。その微妙な部分が決定的な差を作ったんじゃないかなとか。とか。
というか Genki 社の MAXIMUM CHASE における「一応ちゃんと体裁をひととおり整えてリリースした」という実績は、昨今の状況を考えればもうちょっと評価されてもいいんじゃないかなと思う。ゲームなんてものはゲームになっててあたりまえという前提はあるわけだけども、実際問題ゲームになっていないような段階で無理矢理出しちゃいましたみたいなゲームとかけっこう散見するわけだし(たとえば「闇雲に素材を作りまくる」の時期から「多少手落ちはあってもいいから取りまとめに入りますよ」の時期への読みに失敗すると、「デザイン仕事とかはそれなりにいい仕事してるのに、ゲームが全然つまんなくて無意味なフィーチャーてんこもりの微妙ゲー」とかが出来上がってしまう)、Genki のゲームで滅茶苦茶おもしろいよ一生遊べるよみたいな評判を聞いたことはないけど、少なくとも最低限「ちゃんとゲームになってる」レベルに仕上げることはやったわけだし。んー、よかった探しかな。だな。うーん。
猛禽類の如くある海外列強を前にしてそんなぬるいことを言ってるようでは即死だ。
制作を管理する立場にあるひとたちがゲームバブル時代に叩き上げたような層になってきているから最近そういう事態が増えてるかんじがするのかもしれない。いいものを作るためには時間がかかるのでスケジュールは遅れ気味になっちゃうんだけど、まあいいでしょ多分もうちょっと延びるでしょみたいなかんじで(ゲームバブル当時の経験でいえば実際多少の遅れはOKだったから)緩めでリッチな進行をしていたら、そこで現在のド不況ゲーム市場を代弁するギチギチ管理人が降臨して「ダメです無理です絶対延びません納期厳守ですこのままだと一族郎党城を枕に討ち死にですマジでとにかく製品の形にしてください今すぐに」とか8回裏がおわったあたりの最悪のタイミングで締め付けられて、ドヒーうそーんまさに今からおもしろい部分がやんわり出来上がっていくところなのにーみたいなかんじで泣く泣くリリース、みたいな。
リッチな素材と、そのわりに妙に切羽詰ったようなまとめ具合のコントラストが激しいかんじのゲーム。そうじゃないのももちろんあって、そういうものは現在なりにきっちりがっちり頑張って成功した開発だったんだろうなあと思う。
いやでも DOA は、ビーチバレー化して復活したのでそれはそれでよかった。
エロバレーは間違いのない開発思想の美しい製品だったとまでいえると思う。まるでゲーム業界の仕事ではなくパチンコ業界の仕事であるかのように徹底していた。ぬるくなく甘くなくあまえがなく無駄がない。もちろんゲームとしてはあほあほテイスト全開なわけだがむしろその裏のない突きぬけっぷりがおそろしい。
しかしそのシビアさは、逆にまたその他のXBOXタイトルから若干浮き上がったものだったとも思う。ゲーオタとしては正直歓迎したくないが、まあそれはそれとしてなにかすごいものを見た気がした、その設計というか企画というか、そういったものに対して。
奥の深いゲームにある奥深さは、間口の狭さによっても作られている場合があるから、一概に奥の深いゲームがたくさん売れてくれればいいとは思わないが(やりこんでおもしろいようなものをやりこむつもりがないひとが買ってしまう状況はユーザにとってもゲームにとっても不幸だ)、しかしいはゆる「よく出来たゲーム」が、そのハード中最も売れてるタイトルになるというのは、ゲーム機の幸福なんじゃないかなあと思う。「あー、ふんふん、ハハハ、おおー」みたいな体験がたくさんあったハードは、いいゲーム機と認知されるんじゃないかなあと思うし。
そのへんで考えると、XBOXゲーはその出来のよさと売り上げの相関関係がバラバラというか、「あんまり関係ない」とか言えちゃうレベルのような気がするので、かなり不幸な状況にあるんじゃないかなあというか。いい機械だと思うんだけどなあ、残念だな。機械は使い方次第でひとを幸福にも不幸にもするからな。鉄人28号といっしょだ。ジャイアントロボも同じだ。
ゲームに対する印象も大事だがやはりゲーム機に対する印象は現状とても重い。ゲーム機がハードウェアでありゲームが専用ソフトウェアとして売られる限りそうありつづけると思う。どうあがいてもソフトの印象はハードの印象にのっかっていくし、ハードの印象はまたソフトの印象に付加されていく。それは懸念する謂れがないほどあたりまえのことだ。ゲーオタならふつうに全機種持っていたり、全機種持っていなくとも十分以上の知識や経験を蓄えていたりするのでそうした前提を取り払うことも可能だけど、逆にそうした環境がゲーオタを縛って(または自縛して)偏ってしまう可能性のほうがでかい。
ゲーム自体の印象だけで市場が見渡せるようになるためには、たとえば同じディスクをXBOXに入れてもPS2に入れてもGCに入れても同様に動作するとかそういうような状況にならなければならないだろう。そんなことにはもちろんならない(それは天下統一か無政府状態のことで、歓迎されないだろう)。開発レベルでなら、コードウォーリアみたいなのを使って似たようなことをある段階までならできるだろうけど、結局出てくる製品は3ハードなら3種類の各機種対応版のディスクだ。
鬱々と指走って書いていたらわけのわからんことになった。今読み返してみても筋が通らない、が、まあいい。そういうこともある。
それはそうとDC「CRAZY TAXI2」をひさびさにやってみたらすげえおもしろくて参った。
クレタクはやっぱり2が一番好きだ。ゲハハやっぱりゲームはこうでなくっちゃいけない。
マップなど多少記憶が薄れていてしばらく把握に手間取ったが操作は指が覚えているのでサクサク遊べる。これこれ。たのしい。画面もきれいだ。遜色ない。もちろん元々きれいってのもあるけど、デザインの方向性がはっきりしていて、長所が見えやすく短所に気づきにくいから色あせないんだ。こういう画面作りは強いな。
情報として読むことも可能な実体、それが本というものだ。
まずなによりもマテリアルである。でなければまずそれを手に取ることができない。逆にいえば情報という手で触れることのできないものを手に取れるよう封じ込めるために生まれた様式が本であるとも考えられる。持って触って納得したいという欲求だ。見て聞いて納得したいという欲求と並んで、人間のそれはとても強い。それでなければなにを把握し、感覚することができるというのか。
だから本は実体としてあってこそ本だといえる。表紙をなでてみるもよし、適当にパラパラめくって手触りをたのしむもよし、ちょうどいい厚さなら枕にだってできる。まあ電子ブックとかになったら、それはまたちょっとちがったものになるのかもしれない。
そしてまた実体はそれ自体情報のかたまりだ。情報の多くは実体に派生し、またどんなに縁遠くても必ず実体との接点を持つ。実体は情報を生み、またそのものである。ということは、本から読み取ることのできる情報には「本の内容の情報」と「本自体の情報」の大きく二種類があることになる。
情報を読み取っているそれが本なら、そこに描かれている物語は二種類ある。
「人類史上もっとも高くして燦然たる栄光の座を占める、永遠不滅の主体思想を創造せられた、偉大なる思想理論家であり、日本帝国主義ならびにアメリカ帝国主義に抵抗する二度にわたる革命戦争を偉大なる勝利へと導き、祖国の光復を成し遂げ、民族の栄誉を世に示された百戦百勝の鋼鉄の名将であられ、また革命と建設において世界的模範を創造せられ、植民地解放の闘争史と世界革命史に永遠に光り輝く、高貴な業績を築き上げられ、さらには革命の偉大な戦略家でもあられる敬愛する首領 金日成同志。大変です!!」
これが「北朝鮮 対 スペース北朝鮮」になると、
死んだハズの金日成の細胞がブラックホールに吸い込まれそのエネルギーを吸収してさらに偉くなって復活した!!
名付けて
「人類史上もっとも高くして燦然たる栄光の座を占める、永遠不滅の主体思想を創造せられた、偉大なる思想理論家であり、日本帝国主義ならびにアメリカ帝国主義に抵抗する二度にわたる革命戦争を偉大なる勝利へと導き、祖国の光復を成し遂げ、民族の栄誉を世に示された百戦百勝の鋼鉄の名将であられ、また革命と建設において世界的模範を創造せられ、植民地解放の闘争史と世界革命史に永遠に光り輝く、高貴な業績を築き上げられ、さらには革命の偉大な戦略家でもあられ、さらにブラックホールのエネルギーを吸収してパワーアップした敬愛する首領、金日成同志」
となる。
ちなみに「金日成のパレード」の日本語音声では、金日成氏は通称「偉大なる首領様」で、金正日氏は「親愛なる指導者様」となっていた。金正日氏にもフォーマルな呼び方があるはずだが、そっちのほうは知らない。
methionylglutaminylarginyltyrosylglutamylserylleucyl
phenylalanylalanylglutaminylleucyllysylglutamylarginyl
lysylglutamylglycylalanylphenylalanylvalylprolylphenyl
alanylvalylthreonylleucylglycylaspartylprolylglycylisol
eucylglutamylglutaminylserylleucyllysylisoleucylaspartyl
threonylleucylisoleucylglutamylalanylglycylalanylaspartyl
alanylleucylglutamylleucylglycylisoleucylprolylphenyl
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threonylisoleucylglutaminylasparaginylalanylthreonylleucyl
arginylalanylphenylalanylalanylalanylglycylvalylthreonyl
prolylalanylglutaminylcysteinylphenylalanylglutamyl
methionylleucylalanylleucylisoleucylarginylglutaminyllysyl
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leucylmethionyltyrosylalanylasparaginylleucylvalylphenyl
alanylasparaginyllysylglycylisoleucylaspartylglutamylphenyl
alanyltyrosylalanylglutaminylcysteinylglutamyllysylvalyl
glycylvalylaspartylserylvalylleucylvalylalanylaspartylvalyl
prolylvalylglutaminylglutamylserylalanylprolylphenylalanyl
arginylglutaminylalanylalanylleucylarginylhistidylasparaginyl
valylalanylprolylisoleucylphenylalanylisoleucylcysteinyl
prolylprolylaspartylalanylaspartylaspartylaspartylleucyl
leucylarginylglutaminylisoleucylalanylseryltyrosylglycyl
arginylglycyltyrosylthreonyltyrosylleucylleucylserylarginyl
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arginylalanylalanylleucylprolylleucylasparaginylhistidyl
leucylvalylalanyllysylleucyllysylglutamyltyrosylasparaginyl
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glycylisoleucylserylalanylprolylaspartylglutaminylvalyllysyl
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alanylisoleucylserylglycylserylalanylisoleucylvalyllysylisol
eucylisoleucylglutamylglutaminylhistidylasparaginylisoleucyl
glutamylprolylglutamyllysylmethionylleucylalanylalanylleucyl
lysylvalylphenylalanylvalylglutaminylprolylmethionyllysyl
alanylalanylthreonylarginylserine.
というらしい。1913字。寿限無もピカソもびっくりだ。
今日びっくりガード(←そういう地名がある)の下通ったら、階段にバナナの皮が落ちてて笑った。
そ、そんなトラップに引っかかるものかーと、100点取れてあたりまえの小学校のテストをやるような気分で通り過ぎる。
捏音たむ氏のあたらしい仕事、「kissing!!」(←声あり注意)というエロゲーのオープニングムービーを見て、グリーングリーンからガナビーときて順当にブラッシュアップしてるかんじがするなあと思ったけど、しかし相変わらず捏音氏は長回しの魔力をモノにできないのだなあと思った、もうこれは性分の問題なのか?
何とおりかの限界が、氏のゆく手を塞いでいる可能性がある。感じ取れないなら感覚か才能の限界で、感じ取っていて実現できないなら環境か能力の限界、感じ取っててできるのにやれないなら根性と勇気の限界、でなければ、理想が高すぎるんだ、長回しの強力さは一種泥にまみれることでもあるからそれを避けているとか、そうならそれは現実の限界。限界というものは突破できるようにできているが、突破するまでそれは壁のようにある。
ぐーん、ぐいーん、まだまだー、まだかーっ、うおおりゃー!というような感覚が、氏のムービーにはない。とにかくサクサク場面を切っていくので見ててまったく酸欠状態にならない。それは軽くて口触りがよく、いいことでもあるんだけど、魅力重めで実質軽めの商売としては損な毛色でもあるだろう。視聴者をちっとは酸欠状態にももっていったほうが脳からいいクスリが出るので評価上げやすいと思うんだけどな。
氏のムービーの中で長回しへの意識を感じたのはアマチュア時代の出世作「awareness」だけだった。ラストちかく羽がぶわーっと舞いながらヒロインひととおりをなめるところ。なかなかのいやらしさ(=なめらかさ)で、ああこのひとはエロいなあいまどきのオタにしてはめずらしいやと感心したものだったが、それが唯一であり、その前にも後にもない。
外的な要因も考えられなくはない。
近いジャンルで(場合によって完全同業ともなるような)低コストに長回し的なパフォーマンスを織り込んでみせることで「なんとなくいいものを作っているように見せる」ことに長けたひとが、最近かなり有名になってしまったからだ。新海誠氏。
3D物体のまわりをぐるーっと回す演出をいっこだけ入れることで空間的な立体感を微妙にアピールし、副次的にその世界、物語にも立体感をなんとなーく感じさせるという手法。それはユニークでもなんでもなく基本中の基本というべきだが、しかしそれが「新海誠氏オリジナル」であるかのように一般視聴者層に受け取られちゃった、もしくは受け取られちゃったのではないかという危惧が、同業(?)ムービー作者にならありうるだろう。
どのみち楽な商売ではないだろうし、となれば裁量内で実現しうる長回し演出パターンは限られていて、てことは低コストな長回し演出を考えてみても「それって新海誠氏のパターンに似てる」と言われる、または作っていて「自分がそう思ってしまうこと」がいやなんじゃないかなーとか、そういう可能性も、ありうるよなと思った。
んんー…。
夜になっていきなり寒くなった。
昨日まで暑かったのに。小雨のパラつく中コンビニに行ったら歯がガチガチいった。風邪をひいてしまったかんじ。ろくでもねえないきなり暑いのから寒いのになるなよ。ひとまず涼しくなれ。すごしやすくみたいな。Tシャツ短パンだったのを取りやめて綿入れ丹前を出してくる。くしゃみ。あっばっふん。
近くて遠い文化。スパロボ。
もう随分前のことだが(たぶん03/03/28のことと思う)、Tから「スーパーロボット大戦のファンの中で周りの空気を読めないひとのことを「スパチュー(スパ厨)」と呼ぶ」という話を聞いた、ことを、さっきスパチュー飲んでて思い出した。
あとこないだブラジルのアニオタに「スーパーロボット」という用語を説明するために「oldschool mech hero」とかなんとか適当なことを言ったけども辛うじて通じてくれた様子だった。なんか細かいカルチャーギャップを作ってしまった気がする。
最近読んだ本の中に新城カズマ「星の、バベル」上下巻があって、
新城カズマ氏らしいかんじでおもしろくて、しかしこの内容を詰め込むには上下巻って短くないかとか思ったりしたけどまあ逆に3冊4冊になっていたら食い応え相応に話がひろがりすぎちゃって勢いで読めなくなっちゃう部分もあるかもしれないしこれはこれでいいのかもなとか思ったんだけど、まあそれはそれでいいとして、考えてみればこういうかんじの小説を読むっていう行為をしばらく意識していなかったことに気づいた。
なんていうのか、いろいろ調べたり勉強してから考えて書いてある小説。ことに資料系に比重の寄った部類。なんだか最近あんまりこういう小説を読む機会が多くなかったような気がして、いやいやそうじゃなかったとふと初心にかえった気分になった。「星の、バベル」だけじゃなくて川端裕人「夏のロケット」もそうだった。
そういうんじゃなくて、筆走った勢いとか手癖だけで書いてる小説とか、いろいろあるし、それはそういうものとしておもしろかったりするわけだけども、明らかに読んでる最中に使ってる脳みその経路が違うので、そればっか読んでてもいかんわけだな。あっちもこっちも刺激しないとマンネリになる。まあマンネリも、いいんだけど(それは贅沢な悩みなのだからそれ自体楽しむことができる)、マンネリのド真ん中にあることに気づかずに居るのは悲惨なので、今回自覚できてよかった。
「夏のロケット」といえばなんのかんので最近おれ内ロケット熱も再燃してきたことだし「ロケットの夏」も遊んでみるかなあ(王立科学博物館のやつもちょっと欲しい)。ちょっとどうしたものか。
それにしても思うのは、ロケットものを書こうとするときの資料集めのむずかしさだ。
できることは全部やる、買える資料は全部買う、入手できない資料や談話はコネや職権濫用で掴み取る。もうとにかくがむしゃらにやるしかないんだろうなっていうか、たぶん国内のロケットオタのひとたちが抱えているような膨大な知識体系などというものは、方々から集めた一行マメ知識程度の(それさえも苦労の結晶である!)セルを自家結合させることによって巨大に編み上げたものしてあるんじゃないだろうか。そういうふうにしてしかいまのところ、ロケット自体に対して詳しくなっていく方法がないような気がする。
まあ最近なら、ロケットに関する資料とかわりあい入手しやすくもなっただろうけど(日本語の資料はまだまだ少ないんじゃないかなと思う)、そうは言ってもたとえばそれこそロケットものを書くためにとりあえず最低限押さえておくべき知識を効率的体系的に得たいというような虫のいいはなしが通用しちゃったりするような甘い世界ではないだろう。もともと対読者向け知識提供の「作品」ならそれなりにあっても対作者向け知識提供の「豆本」的存在なんていうものはいつだって希少でみつけづらいものだし、国内ロケットオタ入門書を書くなんていうのは、よっぽど勝ちが見えていないとできない挑戦だろう。そういう点で、近年ではたとえば笹本祐一氏の活動などはたいへん偉大なのだなあと思った。
趣味をまるだしにした人間は無敵だ。
だいぶ治ってきた。かなり持ち上げても大丈夫。いたた。
左右の腕の太さが、ものすごくってわけでもないがマリオとルイージの腹なみには違っていて、まあ予想はしていたので驚きはしないがガックリくる。あと皮膚の上から骨の位置を軽く触ってみて左右にズレがないか確認してみたが、なんかちょっとズレてるような気がしてきた。あ、いや、OKか。ここ、ここだ、そう。正しい正しい。ていうかこういうものはもともと左右対称ってわけでもないような気がするし仮に本当にズレていてもべつに問題ではない気がする。
だいぶよくなってきたのでシャンプーするときに左手も使ってみた。激痛。ギアー。両手で頭洗うのはやはりもうちょっと先。
考えごと以外のこと(←考えていないこと)をメモ。
MMORPGから朱子学を学んでしまうひとびとのこと。
もうちょっと情報を集める必要があるので思考停止。
あのー、本のあとがきとかでよく作者のひとが「最近の読者の中にはあとがきから先に読むひともおられるようなので…」みたいなかんじの、なんかその結婚式でいうと「結婚にはみっつの袋が大事」みたいな話的な位置づけ化したような文句があるけども、あれが言及されだした頃っていうのが第三世代オタの萌芽期とみてよいのだろうか?つまり、その本がどういう本であるかというような情報を、先に得てから本文を読み始めるっていう(「ミステリ」としてミステリを読み、「SF」としてSFを読むような…ていうのともちょっとちがうか)。
データベース的っていうのかどうかはわからんのだけどっていうか、当時は「ヘッダのないデータを読むなんて安心できません」みたいなあり方として捉えられていたような気もする。あれが噂の新人類ってやつかみたいな。それもうちょっと古いのか。
シンプル1500シリーズという命名は巧妙だったと思う。「ミニゲーム」というラベリングは以前書いたとおりただそれだけでつまらないことを約束するが、「シンプルゲーム」は「ミニゲーム」ではないので客観視することができる。
もしこれがミニ1500シリーズだったなら…というような想像は、あまりに得るところがなくすべきでない。
シンプルで思い出したが、逆に「大作」ってのも曲者なんだよな。
超大作とかなんとかいろいろあったけどもその「大きい」部分というのがおもしろさであった例は過去にない。ではなにが大きいのかといえば、それは(最終的に)制作にかかった予算のことである場合がほとんどで、つまり「大作」というのは受け取る側ではなく送り出す側の事情によって生まれる単語だということがわかる。ということは、そのゲームが大作であるか否かというのはゲーム云々の判断材料になりえない(一見「なるように見える」から注意が必要)。
さらに言えば、金がかかっているということは制作規模がでかくなっている確率が高く、かけた金のぶんだけデザインの質量は単純に増えるだろうけども、ディレクションだとかバランス調整だとかそういった部分はそう単純に質量共に向上させられるものじゃないだろうし(金でなんでも解決できるってんなら読売ジャイアンツは毎年優勝している)、となると「大きな規模になって管理のむずかしくなったデータ」を「あまり大きくない規模のプロジェクトを回すのと大して変わらない人材で」ゲームに仕上げなきゃいけない、みたいなむずかしい事態にだってはまりやすくなるんじゃないだろうか。
管理・運用・調整、は、全部把握しなければ(「全部把握しているのと同等の状態」でなければ)できないけども、量が増えれば難度はどんどん上がっていく。能力というよりはノウハウの問題だと思うけど、とはいえノウハウを構築するのにもやっぱり能力は要るわけだし…。
というか、まずおれの前提がしょっぱいな。
「もともと小さいものを単純に規模だけ大きくしたものとしての大作」を想定している。「もともと大きくしか扱えないもの、場を、表現する、作り出すための大作」みたいなものを想定していない。それは、とてもさびしい。まあ夢見るよりリアルだとは思うけど、やっぱしなんていうか「ゲームの大作」ていう単語から連想するイメージは「細かさ」でしかないんだよなあ。
同居人が引っ越してきた。
おれのテリトリーが狭くなったわけではないが、やはり感覚的に手狭になったかんじ。ゆとりのある生活のためには、なにもない空間を大切にしなければならない。
んんー。いろいろと考えごとが多かったが、よくよく思い出してみたらそれらはすべて過去に結論を出していたか、でなければ「おれは結論を出ことができない」と結論したことのあるものだった。
12:58 2003/09/20。
今、かなり揺れた。本棚がグラグラいってたので手で抑える必要があった。
本棚自体が倒れるほどではないが、中に積んである本が崩れるくらいには揺れた。
気象庁の地震ページで確認。
震度速報
平成15年 9月20日12時59分 気象庁地震火山部 発表
20日12時54分頃地震による強い揺れを感じました。
現在、震度3以上が観測されている地域は次のとおりです。
震度4
茨城県南部
栃木県南部
埼玉県南部
千葉県北東部
千葉県北西部
千葉県南部
東京都23区
神奈川県東部
震度3
茨城県北部
栃木県北部
群馬県南部
埼玉県北部
東京都多摩東部
神奈川県西部
新潟県中越
山梨県東部
長野県中部
今後の情報に注意して下さい。
じゃあおれんとこは震度4か。なんかけっこう地震に弱そうな建物なのでちょっと心配なんよね。
わ、リロードしたらすげえ情報増えてる。
ああ東京23区全体が震度4判定じゃなくなって、いまんとこ震度4なのは大手町だけになってるな。じゃあうちは3とかだったか。こういうときはあれかな気象庁のひとが顔真っ赤にしてガシガシリアルタイム更新かけてんのかね。
リハビリテーション。激痛。やめる。
痛くなさそうな範囲でやってみようと左手で煙草を吸い、灰皿と口を往復するだけの運動をやらせてみたが、腕が異常に重い。骨の痛みもあるがどちらかといえば筋力の衰えっぷりに驚嘆する。おれは右書き左投げで腕力事はだいたい左腕におまかせだったんだけども、このぶんでは治ってもしばらくは右腕にがんばってもわらないとどうにもならないかんじ。おれの右肩が七霧の者状態になるのも時間の問題だ。
すさまじく長いタイトルの迷惑メールが来た。本文の内容がそのままタイトルになっている。哀れな連中だが、哀れな連中のありさまを眺めることはきもちよかったりもして、それは下衆の考えなのでやるべきでないとは思いつつも、勝手に送ってくるもんだからおれの知ったことじゃないしで、結局おれは迷惑メールを弾かない。
問題は、そうやって業者が迷惑メールを送り続けることで儲けた金がおれに対してどうやって還元されるかだ。金は天下の回りものというし、持ってる金を世間に対して回していかないことには金なんてものになんの値打ちもないわけだから、相手の経済圏がおれの経済圏相手に鎖国でもしていないかぎりいずれ必ずその金の回遊運動はおれのことろまでたどりつく。極小微量の運動であっても無影響とはならない。
まあ物資であったり、福祉であったり、労働であったり、使役であったりするぶんにはいいが、これが銃弾であったり毒ガスであったり略奪であったりするといやだなあと思う。おれにとって都合のいいような未来のために金が回っていってくれればいい。
そういえばノートPCにAirH"っていう組み合わせだったらべつに場所はどこでもいいんだった。コインランドリーでも。洗濯槽ゴインゴイン回っとるあいだ優雅に自アンですよ。優雅、か…。
うおーある意味でおしゃれくせー(つまりそれが完全に似合う人間は実在しないってことだ)、けどこのおしゃれ図っていつごろのものなんだろうか?なんかニューヨークで貧乏自活してます系の生活イメージがかっこよかった時代が16bitだったとするならその思想をそのまんま発展させて32bitにしてその過程でふつうにローカライズされたりもしましたみたいなあれだな。あと市場的にあれだったので残念ながらギャルゲーとかエロゲーまみれになっちゃって、あとにはゲームが苦手なゲーオタしか残りませんでしたみたいな。ていうかむしろ当り判定を云々しない種類のゲームを好むようなゲーオタはゲーオタと認め(たく)ない!が、どう見てもゲーム目当てじゃないひとたちが通ってるオタショップの名前がゲーマーズだったりもする昨今なので多少のことはもうどうだっていいんだ21世紀だし。
関係ないがおれが「趣味の哲学」っていうか、あそこらへんを避けるようになったのは「なんとなくあのへんが好きなひとたちはRPGとかADVとか平気な顔して遊んでそう(投げ出さず遊び続けることができていそう)」と思ったからだ。それはきびしい。おれはそうなれない。
それ以前に単にむずかしくてよくわからなかったというのもある。そっちか。それを駆使できるほどあたまよければあれはあれでたのしいんだろうけども(←十分にやわらかいあたまがあればACT的に遊ぶことができるのかもしれないけども)、たのしめていそうなひとっていうのはあんまり見たことがない気がする。
そう考えるとおれと彼らにはけっこう共通した感じ方があるのかもしれないな。目標ははっきりしていて到達できないことのほうが多いけどもそれはそういうものとして実は自分なりの楽しみ方ができあがってしまっているので目標を定めつつもそれとあんまり関係なく日々生きて(努力して)しまうことだってできてしまう。そうそう鉄人が居るとは思えんしなあ確率的に。
スキャナが使えるようになったので幾つかむかしの写真などを取り込んでみたりしたが、のっけからギーギーいわしよんなこのスキャナは。やっぱり安物はよくない。
それはともかくなつかしのロケット写真などが出てきた。
種子島、H-IIロケット試験3号機。ローンチは95/03/18だったような気がするのでこれはその2,3日前、16日とかそれくらいか。VAB(整備組立棟)上から撮った。
打ち上げ直後の写真もあったが、よくわからんなこれは。加工したら見えた。おお。
音っていうか空気の振動がすごくて脳やら腹やら関係なくゆさぶる。動的に溶け合ったような一体感。ロケット自体は曇天に呑まれてすぐに見えなくなってしまったが、轟音と体の震えはしばらく残っていた。もうひとつ、そのあと建物の中に戻って見た中継映像の、切り離された2本のSSBが落ちてく様子が印象に残っている。なんていうか、やけにきれいだったんだよね曲線が。
あのとき打ち上げられた静止気象衛星5号(ひまわり5号)は今年5月22日に現役を引退したそうだ。あれからもう8年以上経ってるのかー。
ところで「ローンチ」という単語はオタ以外のひとは聞き慣れないかもしれないがこれは「Launch」をカタカナにした(wav/9.23KB)だけ。むかしは「ラウンチ」て読んでいたような気もするんだけど、このへんは日本語英語と英語英語の差が緩和されつつある現状における変化のひとつなのかもしれない。おれが知らなかっただけかも。
ゲーム機の発売などでも使うが、そういえばゲーム機商売とロケット商売はけっこう似たところがあるのかもな。コストもリスクも馬鹿でかくて地上のまっとうな商売とは隔絶してるかんじがするっていうか。農業の延長とか狩猟の延長とかでできた商売とは違うってことかなあ。宗教(イベント商売)や博打の体質か。
朝方病院行って、さて会社いくかーと思ったがやけに骨折部分が痛くて休み。痛いというか手首から先にしびれなども。痛みは痛いだけだがしびれというのは怖い。なにか体内でろくでもないことが起こっているかんじがする。薬飲んでじっと寝ていたら収まった。寝ているあいだに悪夢を見た。ワイルドセブンにルパン三世を足して2で割ったようなタッチの、漫画調の夢。同じシチュエーションを、一人称を切り替えながら延々繰り返す。なにか要人が乗った車を警護しているひとたちが道中でわけもかわかず次々殺されていく。おれの視点はすべてその殺されていくひとたちのものだ。何度も殺されていくうちに「自分たちはこのままだとわけもわからず殺される」ということに気づいて、いろいろと状況を打開しようとするのだが、結局逃げられず追いつかれ殺される。最後の視点ではそれまで登場しなかったルパン似の男が登場し、逃がしてくれるというので、ついていったらハンバーガー屋で、ここで誰かと待ち合わせるというのでテーブルに座っていたが、結局今回も逃げきれずに殺されることが決まっているような気がするっていうか前回までとまったく同じ気分だから、たぶんそうだろうなと思っていたらそこで目がさめた。
KさんからN64と「罪と罰」返してもらったのでひさびさに遊んでみたら、これがもうおもしろくっておもしろくってどうしようもない。そうだなあ最近足りなかったのは罪と罰分だったのだな。ゲームがなんでこんなおもしろいかーッ!
リハビリがてらイージーでやってみたら、やっぱり左右移動で若干つまづいたり空中戦艦コアを斬りそこなってノーボーナスだったり地下鉄最後でタイムが微妙に足りなくてちょっと体力削られたりしたのち横アクション面で死んだ。んーそうだよねここいらあたりで死ぬよね。でも(0面ではそうでもなかったけど)1面、2面と進めるうちに体が覚えていた操作感覚を徐々に思い出して、ゲラゲラ笑いながら遊んだ。
キャラクタもいい。キチガイだらけのゲームだけども作った残酷さや陰鬱さとか全然ない。サキのポリゴン数少ない病的な風貌は素敵だし(顔のわりに素直っていうか馬鹿っていうか非常に「いい」性格をしてるのも好感触)、ナチュアル人非人なアチの描写の仕方などは完全に正しいし、アイランの健全っぷりも萌える。敵側の怖さや脆さも魅力だ。登場する全員が自分や自分たちのことしか考えちゃいないし、偽ったり恥じたりしない。この世は破滅に一直線だが人間はむしょうに明るく、とても素直で率直で、うらやましい、たとえ狂っていたとしても。
00年リリースのゲームか。
日本の20世紀はこういうゲームを遺してくれたのだなあ。感謝。
今日か明日あたり地震くるかもーっていう話だったがいまんところ来ていない。そのかわり昨日阪神が優勝したり今日西武線が事故で止まりっぱなしになったりとかしたようだ。こりゃああれかな昨夜から道頓堀にたくさんひとが身投げしたから地鎮効果が?まあしかし阪神優勝飛び込みつっても飛び込みすぎだよなあ。なんか2,000人とか3,000人とか?世間はそのようであるか。そりゃ2chとか流行るわけだ。
予約も貧乏くさい。
自分の将来未来をあらかじめ決める。何月何日におれはこれをすると約束を取り交わす。ハァ?その日やりたいことはその日に決めればいいことだ。なんで事前に決める。不自由じゃないか。その予約に懸ける血のたぎり、恋愛の深さを宣言したいのか。誰に?他者に?自分に?その欲望は宣言、証拠、証明を約さなければならないほど脆弱か。でなければ、それは予約を入れておかなければ確実な入手体験ができない希少なものなのか。まあそうだろう。でなきゃわざわざ予約とかする必要はない。
それが問題だ。予約をしなければならないは、生産→流通→消費の構造自体がショボいからだ。山ほど流通し、叩き売るほどに行き渡っているものなら予約など必要ない。が、実際には予約しなければならない局面はある、ということは、それはひ弱だ。その弱さ自体はいい、強さ弱さは相対的で世間は広いんだから大概強いやつらがゴロゴロしている、だからべつに弱くったってそんなのはあたりまえのことだ。だが、おれがその弱さに加担するのはいやだ。ほんのわずか一人ぶんの消費単位ではあっても、その存続や繁栄に協力するのは耐えられない。おれは、おれが好きになるようなものを絶対に応援したくないからだ。
立派に生きて一人で死ね。生きているなら勝ち誇れ。やるなら殿様商売だ。差し上げられた金を受け取れ。乞食商売をするな。金をめぐんでもらうな。元気玉とかいうようなくだらん考えを持つな。私の戦闘力は53万ですとか言ってみせろ。おれの希望を失望に変えるな。そういった負に近い感情がたぎるのでだめだ。ああ、やっぱり話が逸れてしまったな。