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03/07/01-15
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日々

多忙。
どこかガラのいい田舎で茶わんとか作りたい気分だな。そんでもって一方その頃会社でクール井上にやる気のないやつはくたばっちまえばいいんですよとか言われる。

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はてなアンテナに一行広告が!ついていたのでメモ。いつのまに。
はてなダイアリには?と思って見てみたが、どうやらまだのようだ。

9:34 2003/07/15

日々

ほんと忙しくなってしまった。Tに連絡が取れない。Mさんにも迷惑をかけている。まあどうにかは進んでいるらしい。金がなくなる。またド貧乏生活かよ。まあそれはいい。今はおれは絶対になにも考えていない。あたままわらねえもん。普段からわりとそうなのが困りものだが自分の預金残高とかまじ興味ないので今誰かに金引き落とされたりしても絶対気付かないっていうかわかる方法がないと思うし。ともかく仕事だ。仕事の話。
なるべくこんなことにならないようならないように楽な仕事楽な仕事と逃げてきたが結局つかまってめんどくさいプラ粘土みたいな味のする仕事がドカンと積まれてしまった。それが必要なのはわかる。のでおれは現実を認めるが、だからってべつにそこで首を据える必要はない。そこんところはあんまり関係ないからべつに適当でもいい。おれはえらいひとにちかづいていくためにも腰で仕事をやるべきだ。それはあまり関係ない話だったか。ちょっと首っていう単語で思い出した。いやそんなことを真面目に考えるんだったら首は据えなきゃ仕事にならん。そんなことはわかっている。だがおれが今できることは少ない。というよりもはやそんなものなにもない。でなきゃプラ粘土みたいな味はしない。首筋に気合が入らないように注意しなければならない。

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自分がつかれてるときに見るひとの顔っていうのは、ふつうのときに見るひとの顔と全然印象が違ったりすることがあっておもしろい。ただ、おれもまあ疲れているが、相手のほうも疲れているからそれはそれで個別に顔つきが変わってるだけなのかもしれないっていうか、どっちだかわからないな。相当疲れはたまってんだどのみち。けどそれにしても今日見たTさんの顔とAさんの顔は普段見るそれぞれの顔とはまるで別人のようでおもしろかった。
このひとがこんな顔である可能性ってのはそういえばあったな所詮骨に肉ついてその陰影での印象に過ぎないからな表情は角度とか解釈次第でどうにでも見えるし認めるそれはアリだ実際そう見えるし今はみたいな。逆に自分がどんなに疲れてても顔の印象が変わらないひとっていうのも居るからこれまた不思議。世界中吐き気がするくらい違ってみえるのに、あれそういえばなんでこのひといつもと同じ顔してんだろっていうか。

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あと忙しさにかまけて家賃とか通信費とか最近払ったおぼえがないからひょっとしたらネットつながらなくなってるかもなーと思ってひさしぶりに家に戻ってみたらやっぱり止まってるのな。笑った。いつ買ったのかわからない未開封の缶コーラが今枕元に置いてある。これいつの?

23:47 2003/07/14

ワールズ・タンク・ガーデン

数えたら55個あった。第4シリーズ。よう買っとるわ。

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まだ全部は揃ってない。揃えるつもりもない。たぶんもうちょっと買う。
74式は全部揃ってるだろうと思ってたら冬季迷彩がなかった。あれー。

ちっこい系の戦車の迷彩バリエーションを増やして種類を稼ぐのは消費者から不満の出にくいいい方法のような気もする。でっかい系がいっぱいあったらズルズルひきずられてるかんじがしていらつくひとも居そうだけど、ちっこい系の全種類が揃わないとかいう理由で買い続けるひとの場合一線越えたことを自覚できていそうだから。

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前にも書いた覚えがあるが食玩に戦車フィギュアというのは正解だ。戦車には設計以上の個性が出荷時についている必要がなく、そして同じ種類のフィギュアの数が揃えばそろうほど見栄えがする(多ければいいってものでもないが)。ゆえにどれだけ買ってもダブリがない。何個同じフィギュアが出ても全然困らないのだ。その点ストーリーもののフィギュアなどは同じフィギュアが出た場合にダブリと感じてしまうし、生き物系フィギュアの場合もまあ同じ生き物が何匹居ても困るわけじゃないんだけどそれぞれがまったく同じポーズである(=同種のフィギュア同士がユニークではない)ことに対してはダブリ感を拭えない。
戦車フィギュアはその2点を企画時点でクリアしている。まあ史実よりも多く揃えてしまったら、それはダブリともいえてしまうが。

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ガンダムフィギュアはその点でビジネスモデルが違うんだなあと思う。同じ種類をたくさん揃えてたのしいかんじがしない。プラモデルはこの場合違うし、アクションフィギュアならそうでもないかもしれないが、こないだコンビニで買ったようなやつは明らかに売り方が違う。ユニークなポーズを取っているからだ。かっこつけているともいう。実際机の上に置いといたらけっこう見栄えがいい。けどこれはたくさん買わない。ユニークなポーズであるがゆえにそれが2個並んだときの「ユニークなのにユニークじゃない図」の違和感が大きい。同じ種類のフィギュアは机の上に1個で十分だ。だからこれは透明なブリスターで売っている。中身が見えるのでお客はそれを確認して買う。確かであり、間違いがなく、失敗せず、しかし結果オーライのないモデル。

まあこれはこれでいいとして、別途無個性なザクのフィギュア食玩が出ればいいと思う。そこそこ安価でそこそこちいさく、同じ種類を大量に並べてたのしいかんじのやつ。ぴよだまりならぬザクだまり。武骨な。あなたの机上でジオン脅威の科学力がッみたいなかんじで。もう狂ったように買いまくってラムネ食いまくっていい歳したおやじが虫歯になるようなほどに。2chに「ザク1000機 vs ZZガンダム」とかスレも立つ。どおよ?

…このへんの感覚を快楽とする表現ってどのへんまで辿れるだろうか。むかし江口寿史氏の漫画でプッチンプリンが好きで好きでしょうがなくてプリンばかり大量に買ってきてプリン風呂をたのしんだりするおやじが出てきたけどあれなんか典型的かもしれないな。そこから先(前)はわからん。永遠にメジャーにはならないけどなくならないかんじの変態性っていうかんじもするなあ。モノマニアックが行き着くひとつのかたちとも思える。うまく転んで多数の支持を得たとしても(それが支持を得ていたことに関しては)一過性のものにされてしまうかんじがする。商売にするためには世相を読む必要があってむずかしそう。つまりいい商売じゃないか。うーん。

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脱線。
そもそもガンダム関係商品をあまり積極的にチェックしてるわけじゃないのでおれの見解はかなり偏見に寄っていると思うが、とにかくガンダムフィギュアはキャラクタ色を押し出しすぎる気がする。安価でちっこいようなモビルスーツフィギュアでもなんらかのポーズを取っている。勘違いしているとしか思えない。アニメはキャラクタを売る商売だという前提によってこうなっておりその鉄則は侵すべからずみたいな了解でもあるのだろうか。あとまあ「フィギュア」っていうものの伝統的な解釈も大きいんだろうけども。ポーズとってなんぼっていう。

かっこつけたりユニークであったりとかする、ただそれだけの意味しかないならそのフィギュアはモビルスーツである必要がない。人間と同列だ。なら人間でいいじゃん。モビルスーツっぽくないよ。無個性に大量生産されうるからこそのメカでありロボでありMSなんだからUC世代のテクノ魂も満足させろよと。複製(サンプリング)、ライン作業(シーケンス)、既製品の組み合わせとしての個性、これらだ。フィギュアとしてのMSは明らかにキャラクタ性を後から固着させてから出荷されている。まるでそれがなければ不良品であるかのようだ。そんなものなくてもいい。あってもいいし、なくてもいいんだ。両方あったほうが自然だ。ボーっと突っ立っててもいいんだ。

選択の余地なくかっこいいポーズしか取っていないMSフィギュアの思想は歪んでいると思う。

…ああいや、歪んでるっていう書き方はへんだった。「人間型をしている」んだ。MS型をしていない。人間はへんなかたちをしているので、人間の型にはめれば大抵のものはへんなかたちになる。ガンダムフィギュアは商品を企画したひとや、造形をしたひとや、パッケージを手にとってよろこぶひとの形をしている。その場にしあわせはあるだろう。しかしモビルスーツの主体っていうものはない。ということはテクノ魂もそこにはない。あるとすればせいぜいロック魂だ。これはそういう話だ。一神教で満足するのは退屈だ。

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WTMの話だったのにいつのまにかガンダムのことばかり書いてしまった。

8:38 2003/07/12

日々

「北斗の拳」はケンシロウとラオウの決戦に向けてどんどん神話になっていき、遂には1個の完結を見た。決戦を前にケンシロウとラオウはどんどん崇高になっていった。連載のスピードや紙の重さと関係なく、物語は速く高く加速していく。こう言ってはなんだが、たとえば山のフドウがただフドウとして死んだならあすこまで偉大な死にはならなかっただろう、ラオウとケンシロウの関係が神話化していくそのスピードに巻き込まれひきずられた結果だろう。
ケンシロウ以外でかなしみを背負ってラオウの前に立つ人間が、山のフドウでなければならなかったわけではなかろう。北斗の拳は設定にうるさい漫画じゃないので、出る順番や場のテンションによって人格にはどのようにでも要素が積み上げられていく。だからフドウにあの偉大さが与えられたのは単に順番の問題に過ぎないと思う。

空に渦巻く雲や差し込む光は神話的だ。このとき北斗の拳は、暗雲から光が差し込んでもおかしくないくらいの作品になっていた。といっても神格のあるようなキャラクタは登場しない。ユリアはただの人間で、最強に至ったケンシロウもラオウも等しく人間だ。北斗の拳は人間による人間の神話になった。ルネッサンスて要するにこんな気分だったのかなあと思った。

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URLメモ。

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昔のメモ書きを眺めていたら「あいのりと追い込みは似ている」という一文が。意味がわからん。
どこを似ていると感じたんだろ。4文字だから?いやそれだけではないはず。しかしおれTV見ないからTV番組のことはわからんのだけどなあ。

6:11 2003/07/12

日々

今週はまったくなにもできなかった。
来週は多少でも動けるといいなあ。

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北斗の拳。実は腹違いの妹だったとという理由だけでユリアへの恋を諦めた雲のジュウザは偉いやつだ。さすが南斗の五車星。これがいまどきの漫画だったら「実は妹だった事実」なんて萌え属性のひとつに成り下がっているのでそんな設定は火にガソリンぶっかけるようなものだがそこんところで心の炎を内に秘め延焼させない男・雲のジュウザ。商品化された背徳にも萎え妹説にもはしることなくそれでいて己自身の愛は貫き通す。矛盾を矛盾のままに抱えて潰れず雲のようにそれを自在に描ききって死んだ、ある意味で最もタチの悪いお兄ちゃん。
こういう男の爪の垢は高く売れる(←発想が下衆)。

9:39 2003/07/11

日々と印度的無態度

ああつかれた。ああ眠い。引越しのための書類が揃わない。
でも最近はべつに食いたいわけでもない夕飯を食わないということを実行できているので気分がいい。

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最近時間がないので考えたことを落ち着いてメモする時間が取れないので困る。
そうしているうちにも自分がなに考えていたのかどんどん忘れる。とりあえずOPERA用のユーザCSSを整備しておこう。

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はてなダイアリーキーワード小倉優子をメモ。
このひとラーメン屋に置いてある雑誌のグラビアでやたら見るけど、なんかほかのグラビアのひととは違った文明圏を形成してるかんじはありますね。ろりこんなのか。なるほど。

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私人としての立場とその表明。

ミスが多くてサポートの人間をつけないとどうしようもない仕事をしているひとは、あくまで戦術的な見方のひとつとしては新規雇用を創出している(=もともと必要のなかった部分に工数を追加している=当初の計画より多くの人に職を与えている)ことになるので、おれ内インド観的には「いい仕事」をしてることにならんこともないよな多分、と思っている。

文系宇宙の原則に照らせば仕事をこなす立場より仕事を作る立場のほうが偉いはずなので、職と食を配分するその性質にはある種の因果や人徳を感じる。他人の人間性を癒したり傷つけたりする人間の性がそこにはある。実に人間の社会の図だ。構造はピラミッドなのか逆ピラミッドなのかわからんけども。とはいえそうした状況はそもそも戦略的なスケジュールやクオリティの読み違いから発生してしまっている場合を多く含むので、べつに常にそう判定するのが正しいわけではなく、むしろそう判定できる機会は実際には少ないはず。
これはべつに皮肉じゃない。といってもこれが皮肉でもおれは構わないし困らない。

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ようするに仕事というのはひとの(だれかの)業によって作られて、みんなで業を消化していく装置を分業していきましょうっていうのが社会なので、民主主義で資本主義な現在というのはみんなが王様で同時にみんなが奴隷なわけだからひとが仕事をしていく過程でほかのひとの仕事を作ってしまう状況というのはあたりまえで、こなす量より作る量が多いようなら「ああこのひとは奴隷度より王様度が高めだなあゲハハ」くらいなもんでそれ自体は気にするようなことじゃない、あるとすればそれこそ「こいつの業を消化する仕事なんて御免だ」みたいな個人対個人の好き嫌いくらいなものだろうみたいな。
そうでもなければ世界がどんどん清浄になってしまうのでそれは困る、なぜなら社会とは流通(この場合は「業の流通」)のことなので供給が途絶えれば社会はその機能を喪失してしまうからだ、すくなくともそれを喪失する未来よりは捌ききれなくなって崩壊してしまう未来予想図のほうにまだ希望を持てる、まあ宇宙船地球号はひとつしかないわけだからあんま無制限にそういうこと言ってるとエコのひとに殺されるかもしれないけどね、実際問題そうそう両極端のどちらかに寄ってしまうような事態にはならんのじゃないかなたぶん人間にとっては中の上くらいが一番きもちいいはずなので、というようなかんじで認識している。

エントロピーはほっといても死ぬまで増大していくので、既存の構造が崩壊して新しい構造ができあがるという繰り返しは人類が滅亡するまで続くだろうが、それは自動的にそうなっていくだろうからあまり気にする必要のあることじゃないと思う。もちろんおれは人類じゃなくてあくまでその中の一人であるところのおれでしかないわけだし、多少はそういうこと気にしておいてほうがしあわせになれるとも思うから、おれのこの態度には多少問題があるとは思うけども。
というか問題になるのは世界のひろさだよな。業の流通があふれもせず枯渇もせずといった具合になるべく現在のシステムを長生きさせようとするならシステムのおおきさに見合った適当な世界のおおきさが必要だ。たとえばインドの場合にはインド大陸のおおきさがそうであるように。足りないならひろげよう、ひろげられなくなってきたら多くを望まず内部でどうにかしていこうっていう。

つくづくおれは世間を嫌っても愛してもいないのだなあ。

6:40 2003/07/10

ホイルっていうかジョグっていうかあれ。

ご家庭のマン-マシンインターフェースにおけるゲームコントローラの役割は大きいとおれは思っているので、たとえば家電のリモコンなどはその思想に強く影響を受けていると思っているが、ゲームコントローラがゲームコントローラのみの独尊状態であり続けられるほどゲームが最強で完全な時代は過ぎたと思うので、白昼にふと「次世代ゲーム機のコントローラには、Rトリガのあたりにホイルがつくのかもしれんなー」みたいな夢を見てしまいがちな昨今なわけだが、どっちかっていうと携帯ゲーム機向けかな。家庭のPCのホイルと屋外の携帯電話のジョグのどっちがメジャーなちからかっていうとみたいな話を考慮したら。

ワンダースワンカラーとかが世に先駆けてホイル付きゲーム機になってたらおもしろかったかな実際。ワンダースワンは「GUNPEY」の完全性と共に登場しその完全性ゆえになにもつけ加えることなくそのまま死んだが、もしワンダースワンカラーにホイルがついてたらなにかひとつ完全なテーブルゲームをリリースしてその完全性を抱いたまま死ぬこともできたろう。いや死んだら困るのか。でも死んでいいじゃん完全なタイトルがいっこでもあればもう。

まあそれはそれとして、RPGとかSLGとかだと相当気楽にきもちのいいインターフェースになるだろうし、テーブルゲームではすでにCLIEで実績がある。花札とか。まあホイルの回し心地と押し心地の如何によってしまうかんじはあるか。せっかくのアナログ入力もPS2のアナログコントローラみたいなありさまではきもちいいもきもちわるいもくそもないのと同じ。

でも仮にホイルをゲーム操作方面で実装とか考えてみても日本のゲーム開発の場合それをわりとだめな方向に大活用していっそうゲームがつまんなくなってしまうのかもしれないしなあ。なんともわからんな。なんかリングコマンドとか得意げに活用したアクションRPGなどが出たりとかしてな。

1:04 2003/07/09

第4シリーズの日々

ほら何個買ったかもうわからなくなったWTM第4シリーズ。
…たぶん4,50個?在庫確認は引越してからだ。なんのかんの言いながら自衛隊編もけっこう買ってしまっているなあ。とはいえ仮に100個買っても25k+税なんだから、世にあるコレクション趣味の中では相当安上がりな部類といえる(というかべつにコレクトするつもりはなくて欲しい車輌の数を揃えてるうちに勝手にバリエーションが増えるというかんじ)。ていうかだから食玩が流行る仕組みか。不況の財布と狭い机。これがCD趣味とかエロゲー趣味とかだったら大変だ。金も時間も場所も気力も、かかる単位が大幅に増える。

それにしてもツモがよくない。
できれば61式の単色、悪くても2色迷彩がほしいんだけどなかなか引かない。61式待ちしてる間にあんまり引かないコブラまでシャーク迷彩が暗刻になった。87式とか90式はもう一色役が作れる。流れに任せて適当に買ってればとっくにあがり役ともいえるがこんなもの決め打ちしないと意味がない。
第4シリーズは「なにかっていうとII号戦車とかキューベルワーゲンばっかり引いちゃうよ。シュトルヒも最初はいいんだけど、やっぱり、飛行機は戦車じゃないし」みたいなかんじで買い得感が高いとはいい難かった第3シリーズの反省もあってか、でかい牌(87式自走対空砲とか90式戦車とか)がわりと出やすいかんじだけど、そのぶん小さい牌が微妙にレアなかんじだ。いや世間はそんなことはないのか?おれだけ?

シークレットも出ないな。まあおれが市場からシークレット以外をちょこちょこ買っていっているわけなので、店頭のレア出現率は上昇していっているはずだ。計測できるほどの影響は出ないんだろうけどこういうのは気分の問題なのでいい。麻雀の「流れ」みたいなもの。ていうかおれはシークレットより61式がほしいわけだが。シークレットが61式だったらシークレットも欲しいけど、違うんだよな第4シリーズのは確か。どうだったっけ。いや出ればわかるんだからいいやそんな情報だけ集めたってしょうがない、情報集めてうれしいような種類のものならわざわざ現物買わないんだし。

あと箱についてたポイントのつかいみちページを一応メモ。
ぬーこれだとあんまり応募しなくてもいいようなかんじがする。

0:26 2003/07/09

日々

昨日。
疲れきった。昼にしばらくぶったおれた。
なんでこんな疲れてんだろうおれ。

夜になってから原哲夫&武論尊「北斗の拳」のラオウvsトキのあたりの巻までと、いましろたかし「クール井上」を読んだ。

すごい漫画だ北斗の拳。サウザーといいラオウといい最強すぎる。最強男の幻想がまだありえた時代の漫画だ。世紀末の核戦争が舞台を平らにし、撒き散らされた放射線が人類の大半を滅ぼしノイズのないドラマを作った。現実の水位っていうようなものが全然なくて、だだっぴろいおおまかな地平線だけがあって、そこに漠然と男が立ってて殴り合っておりその力関係は相対的で、しかしその殴り合いの様子をずっと見てるとなんだか相対的なそれらが絶対的なものであるかのような気がしてくるというような。
希望も絶望も人間が背負うっていうような気概なのかな。よくよく考えてみればそれはすごい傲慢ともいえるが、そこから先のことなどあってもなくても人間にはどのみちわからんのだからそれで十分だ的な割り切りの姿勢もある気がする。そういうのは最近あまり見かけない。見かけても、描いてるひと自身その説得力を信じてるかんじがしない。

説明のしかたがわからない魅力のいましろたかし。いましろたかしの魅力はいましろたかしとしか言えんなー。パチゴロのマモちゃんもいいわけだがクール井上がまたすごい。表題作になっただけのことはある。だいたいクール井上なんていう、いいのか悪いのかなんとも一言ではいいにくいネーミングがまたどうしようもなくいかしろたかし。おっさんくせえ気もするけどむしろ突き抜けてポップな気もしないでもなくていやもうそういうことじゃなくてどうしようもなく分類学的に無意味なほどいましろたかしはいましろたかしでしかないんだろうなみたいな気分にもなり。

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どういう台詞言わすかな。
湿り気とか空滑ってるかんじとかとにかく絶妙にいい。すごい漫画だクール井上。

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あー昨日七夕だったの?

9:41 2003/07/08

バリアフリーの扉

「バリアフリーの」というタイトルには、なかなか想像力を刺激されるかんじ。
適切なのか適切でないのか一瞬よくわからなかった。どういう印象のありうる表現なんだろうな。

適当に当てはめてみようとすると案外これというものが当てはめられず、おもしろい。バリアフリーの扉、バリアフリーの門、バリアフリーの階段、バリアフリーの境界線、バリアフリー広場、バリアフリーへの道…。「バリアフリーの○○」というタイトルを考えるとき、その「○○」にバリア的な意味が含まれている状態をどう捉えるかがけっこうむずかしくおもしろいかんじがする。よくも悪くも取れて、理想と現実が交錯しているかんじがする。同時に言及できるということでもあるだろう。というか、同時に言及するしかないことのような気がする。

よさそうな表現を思いつかないが、「バリアフリーである世界」と「バリアフリーであるとはいえない現在」があったとすれば、どちらがどちらに含まれているのかというような認識だ。「バリアフリーな世界」は「多種多様なバリアに囲われている現在」の外側にあるとも思えるし、「バリアフリーな世界」は「バリアフリーという一定の塀で囲んでしまわないと実現できない」ような気もする。

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もうひとつ、別の(たとえばセキュリティやフィルタリングの)問題とバリアの問題が、それぞれに問題視されている状況は別個であるはずなんだけど、時系列的には並行して情報が入ってきてしまうし取り扱う内容もなんだか傍目に似たようなことのような気もするしで頭がこんがらがって、経緯や結論などをごっちゃにしたりアベコベに扱ってしまったり、または元々どういう話だったのかだんだんわかんなくなってきて、落ち着いて考えれば判断できるようなことをへんに勿体つけて保留してしまうような状況が出てくるような気がするおれが。
あ、ていうか(べつにバリアフリーがどうだとかは関係ないけど→)「なんとなくいたずら書き論争」てのはまさにそういう例なのかな?

からだが不自由なひとでもふつうに出入りできることと泥棒が簡単に出入りできることは問題が違うはずだし、薬箱を子供が手の届かないところに置いておくことはバリアフリーの考え方に反するものではないはずだ(←「高い棚の上」とかは問題かもしれない)。けど傍目によくわからん部分も確かにあるな。

5:07 2003/07/07

日々

なんとなく共通したものを持っている印象のあるシンボリックなそれら。たとえば自分のサイトに、

など。こういう「べつに動くわけではないムーヴメントみたいなもの」へ連鎖的に酸化していくひとたちがリアルタイムに多く見られた時期というのは過去にはあり、今はそれほどでもないかんじだけど、その痕跡をとどめるサイトはけっこうあるし、将来もこういう「外向きの車座意識」みたいなものに軽い刺激を与えてくれるものの需要はなくならないだろうなと思う。ネットごしの表現向きっていうのか。

最近流行ったことのある「こういうもの」ってなにがあるんだろう?はてなアンテナとかどうかな、だめか。あれは一応、「○○というサイトをアンテナに登録しているリング」としての見え方も一種できなくもない印象ではあるけど、利用者同士でそうした意識を共有するようにはなっていないかんじだし(というかそういう仕組みを「人間がわざわざ意識するまでもないこと」にするための自動化でもあるわけだろうし)。

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大学時代、アニメ談義などでハッスルしてくると枕詞に「はっきり言って」を置きまくるひとが居たがあれはやめてほしかった。オタ同士のアニメ談義に妥協はないんだから、どうせはっきり言わざるをえなくなるんだから、だったらもう最初からはっきり言っておきましょうよみたいな。もはや人類が点と線をベースに戦ってた時代みたいなコストのかけかたで議論をやってたらあっという間にパンクして両者共倒れ決着つかずみたいな状態に辿りついてしまうくらいにはアニオタのフィールドは拡大してしまった。

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「ARTIFACT | JBAの問題点に関する報告/JBAとネオテニーの関係について」からtrackbackを辿って「goyou | JBA について」などをパラパラ読んでみて、これらのコラムの本筋とは全然関係ない話なんだけど、ようするに「JBA=自アン」「mpm氏=スコーピオン多田氏」、「理想的なJBA=スコ多氏が糞箱作りまくったり自作自演したりしててウザいけどそれはそれとしてみんなが盛り上がってるので楽しい自アン」と理解してみれば正しいわけなのかなと思ってみた。トランプにおいてまずジョーカーを認知し肯定してみせるみたいな姿勢は、へんちくりんだけど活気のあるコミュニティを「設計しよう」とする場合には確かにアリなのかもしれないし、しかしそれを「設計どおりに」実現するためかかるコストをけちってしまったら瓦解するわけかなーと。

なまじ理も情もわかってしまっていたために、のっけから「エッチなのもいいと思います」とかボロっと言ってしまった「まほろまてぃっく」のひととか。そんなかんじの理解。いやそれは違うだろ。ともあれやはり本音は本音で建前は建前としてきちんと矛盾を抱えておかないとむしろ人間のあつまりなんていうものはつまんなくなるかつぶれるかどっちかなのかもしれないなと思った(つまり「本音」「建前」の二元じゃなくて「それらの矛盾」を含めた三元でバランス取らないとつらいのかもみたいな)。

3:36 2003/07/07

少年期

おれのこの、61式戦車に対する格別の思いいれの原因は砲の先端の形状にある。つまり、Tの字だ。

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おれも幼オタの例に漏れず、子供の頃カレンダーの裏紙などを使ってえんぴつでまず地図をおおまかに描いて、その中にでかい要塞だとか戦艦だとか戦車だとかを描き込んで、それがひととおり終わると今度は人間の兵隊の陣形などをちまちま描き加えて、最後にぶわーっと太字のクレヨンなどで爆発とかなんだかよくわからない破壊線だとかで絵全体を埋め尽くすーみたいなひとりあそびをしていたわけだが(←子供らしい狂気を発散するありさま)、そこに描いてあるような戦艦にはだいたい波動砲が装備されていたのと同様に、そこに登場する戦車の砲の先端はだいたいTの字だったわけだ。
当時のおれにとって「戦車砲の先端はTの字になっている」ことがあたりまえだった。んだけど、なんでだろう?ものごころついて以降に見知った歴史上にあるような戦車砲はべつにTの字などではなく、「ガキらくがき世界の戦車認識」と「オタ自覚以降の戦車認識」はたぶんつながっていない。

おれの子供時代には74式戦車がもうあったし、実際じいちゃんの家で74式戦車のでかい写真を見て「ななじゅうよんしきかっこいいー」(←実際には「ななよんしき」と読むのが正しい)みたいなことを言ってたような覚えもあるが、次の日に描いたらくがき戦車もやっぱりTの字だったみたいな。なにかのメディアをとおして絶対的なTの字至上の価値観を刷り込まれている。なんだろう、たぶん漫画かTVなんだろうけど。

適当に理由を考えてみたが、

…みたいなかんじ、なのか?

もうこれはそれから数年経ってからになるけど、あれだな藤子不二夫「大長編ドラえもん のび太の宇宙小戦争」に登場した戦車もTの字砲だったんだよね確か。単行本の表紙にも登場していたはず。ありゃちょっともう自覚的にうれしかったような覚えがある。そうそう、さすがは藤子不二夫せんせいはわかっていらっしゃるみたいな。もっとも、そのおかげで今おれが61式戦車のフィギュアをながめていると、いつのまにか脳内バックブラウンドタスクで武田鉄矢「少年期」が再生開始されてしまうという弊害が。

あ、そういえばゴジラ映画もあるよなたぶんおれの61式原体験には。そのへんのことを全然考えに入れてなかった。

74式的なフォルムを漫画で意識するようになったのは、大友克洋「AKIRA」の3巻以降だったような?

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あー、関係ないけど「ワルサーP38てひょっとしてワルサー38ページのこと?」「そんなことあるか」「いやある」「うそつけ」みたいなどうしようもねえ理由で近所に住んでただいちゃん(←名前ちがったかもしれない)と鼻血が出るまで殴り合った思い出が今。当時はまだBB弾じゃなくて銀玉鉄砲だったな。

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これまた全然関係ないけど、こないだTさんが、きづきあきら「モン・スール」の単行本を会社にもってきていたのでちょっと読ませてもらったらなかなかよさそうだったので本屋で見かけたら買ってみようと思ったことをメモ。あのへんに手を染めるなら町田ひらく氏の漫画とかもまたまとめて読んでおいたほうがいいのかな。

6:56 2003/07/06

機関銃要塞の少年たち

メールで、買って戦車とならべてみたMSフィギュアはどうやら1/144ではなく1/400らしいというような情報をいただきながら、その筋合いでなつかしの「M.S.ERA」の話が出て、あーなつかしいなあと思いながらふと「機関銃要塞の少年たち」を読みたくなった。おれが物心つく前から家に転がっていた本で、漢字がだいたい読めるようになるまでに何度もチャレンジしてそのたびにリタイアしたが、確か高学年に上がるくらいの時期になんとかかんとか読み終わることに成功した本だった。おもしろかった。
それから数年経ってからガンダムの「ポケットの中の戦争」を通過したわけだが、そんときに「あーちんこに毛がはえる前に機関銃要塞読んどいてよかったなー」としみじみ思ったような覚えが。

ていうか機関銃要塞の少年達には続編があるんだな。知らなかったような、忘れてたような。読みたいなあ。

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ついでにトップ画像いれかえ。こないだまで貼ってたのは、↓これ。

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仮面ライダー名台詞&へんな台詞&定番効果音&ライダー必殺叫び&幹部やられ叫び&爆発音&首領のこえ説教&口惜しがる大幹部独白&いつもの調子の中江氏ナレーション、などなどを収録したおれのうしろめたい青春の証のひとつ。うしろめたいものほど愛してしまうのも性だ!

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下は新しいやつの大きめ画像。

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4:09 2003/07/05

「三時のおやつ」は©文明堂(?)

「おやつ」の語源は「明け八つ(だいたい午後三時くらい)」からきているわけだから「三時のおやつ」という文句はいわば三時の三時と繰り返し言ってるようなものだ、もしくはおやつのおやつ。意味がなく調子だけがいい。ことばあそび的だ。歌の調子の発想ともいえるかもしれない。スキルとライムでプゲラファックみたいなかんじの。
そもそも「三時のおやつ」っていう言い方は、バレンタインデーのチョコ風習においてチョコ屋が仕掛けたようなかんじでメディアを介して植えつけられた文明堂のコピー戦略だったのかもしれないな。おれは文明堂以前のおやつ時間を知らないので実際のところ文明堂以前の社会がどうだったのかなんともわからないが。まあ「三時のおやつは文明堂」の名文句は文明堂あってこそのものだが、果たして「三時のおやつ」自体文明堂の発明なのか?

適当に探してみつけた、文明堂カステラについて解説しているページを信じるなら、あの歌は1,2,3という語呂を基本に歌詞を組み立てていったのではないかと推測でき、であれば「三時のおやつ」はまさに語呂よい歌詞として作られたのではないかという説にも説得力を感じるが…。

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…とかなんとか考えたりしながら、そういえば三時のおやつに似た表現てほかになかったかなと連想してみようとしたが「13日の金曜日」くらいしか思いつかながったが、そもそも13日の金曜日は三時のおやつに似ているのか?全然違うようなきもするし、いや案外バッチリ合ってるような気も…ああだめだ今脳みそのかわりに土嚢がつまってるようなかんじでものを考えられない。寝る。

22:42 2003/07/03

日々

武論尊氏&原哲夫氏の漫画などで登場しがちな、強面で小悪党で普段は「ん〜?」とかいいながら登場するんだけど圧倒的なパワーを持つ主人公などに「なにかのついで」に(物語の中盤あたりの回の数ページ目などで)成敗されてしまうようなキャラクタの顔、あの系統をなんと表現したらいいものかと思っていたんだけど、そこでふと昔読んだ星里もちる氏だったかのインタビューであった「ラーメン屋の隅に置いてあるような漫画」というキーワードとつながって、ああいう漫画はラーメン屋で餃子食ってるときに読んだとき一番しっくり来るので以降「餃子顔」と呼称することにした。

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写真は写真っていうけど真を写すものはなにも写真だけではないと思うわけだ。
意味のうえでいえば写真ということばは写真以外のメディアを含んでいてもおかしくないと思う。だけど実際には写真だけが写真たるメディアと世間に認められていて、ということはやはり人間は視覚情報にこそ最も重きを置く生き物なんだなあということがわかる。写真以外は、写真じゃないのだ。

あと光画っていうことばからもわかるとおり、写真はまさしく光の画であるわけだ。写真の中にはいろんな色がのっかってるけどそれらはすべて光の反射でしかなく、実際にカメラは写ってるそのものの色を記録しているんじゃなくてそのものに当たった光の反射を記録しているのに過ぎない。色は光のおくりものだ。それはありがたくうれしいものだが、べつにそれだけがすべてではなく、光でなければ世界を感じることができないわけでも、ない。
まんがサイエンスみたいだな。
真に真を写せるメディアならそこにはセンスや技量の介在する余地はない。写真にはそれがある。ゆえに不完全だとわかる。単にそれだけのものだからこそ写真を趣味にしているひとたちはあんなにたのしそうなんだろうと思う。

死ぬまでに何枚かは写真を撮ってみたいものだが、べつに撮れなくてもそれはそれで構わないし、構わないからおれはそういうことを考えていられる。構っていながら考えるためには一線を越える覚悟が必要だろう。

4:13 2003/07/03

日々

かえりがけの道端にあるコンビニを適当にハシゴしてWTM第4シリーズを2個くらいずつ適当に買う。
コンビニだと1店でドカ買いすると次便までその店のWTM資源が枯渇してしまうのでそれはアレだし、今回のシリーズは勘の鈍いおれにも明らかに重い軽いがわかってしまうかんじなので、そのへんでおれの主観をなるべく入れないためという理由もある(ようするになにも考えずに前列から2,3個がしっと掴んでレジにもっていくという買い方)。

戦車4輌、自走対空砲1輌、自走無反動砲1輌、ヘリ1機出た。

写真 写真

コブラはシャークマウス塗装。おれはやるぜ感が高いかんじになっている。

写真

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29個目にしてようやく60式自走無反動砲ゲット。それにしてもちいさい。
II号戦車F型よりちいさい。砲塔ないしな。

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パンターG型とII号戦車F型と並べてみた。

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あんま関係ないけどこないだ買ったガンダムフィギュアの肩盾についてるマークを見ていたら、

写真 写真

なんとなくtDiaryのCloverテーマを連想してしまった。

22:53 2003/07/02

日々

昨日。
煙草買おうとしたら一箱280円から300円になっていた。税金が上がったらしい。
おれはいままで一箱に何本入ってるのかも数えたことのないひとで、だからいまだに1本あたりいくらになるのか知らないし興味がないが、本当はそういうことも気にしたほうがいいのかもしれないが、気にしない。

煙草の数えかたは「いっぱい」「けっこう」「半分くらい」「残り3本」「2本」「最後の一本」で十分で、あとは算数もいらない。

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WTM第4シリーズが出ていたのでとりあえずゲット。

写真

20個以上買ってみて60式無反動砲が1個も出ないよ。偏りが?コブラは1個。61式と74式と90式と87式自走対空砲はふつうに出た。87式はあれだな、ダグラムっぽいというかガンヘッドっぽいというか。

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ともあれこれで61式が出たので計画を進めなければならない。

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疲れきって帰ってすぐバタンと倒れてメールチェックする元気もなく寝て、起きて、今。

9:44 2003/07/02

おもしろことば

たとえば写真という言葉がある。
写真は「光画」ともいう。春高光画部、ゆうきまさみ「究極超人あ〜る」を通過したオタなら誰だって知ってる。

さて、写真を「撮影する」という。
撮影、影を撮る。撮ったものをなんというかといえば、光画。影を撮ったら光の画になる。写真のふしぎ。

と、ここまで考えを進めれば「ははーん」となる。撮影と光画はべつに境界線からそれぞれ逆方向に染みていくようなことば同士というわけじゃないんじゃないかな。たぶん同じ領域を指している。光を光で影を影と思うからふしぎなのであって、影が光のことだったら同じ意味だ。
たとえば月光は「月影」ともいう。ということは「撮影」の「影」は、光を意味しているんじゃないかな。

…とか、適当に書き散らかしてみたがおれはこの件に関する専門的な知識などは特に持ちあわせているわけではない、ので、うえのはなしがおれが適当にタレ流しているだけの与太話である確率は高い。といっても、べつにこういうはなしを真に受けたからってどうってことはなかろうし、調べて楽しむよりは調べない怠惰をむさぼるほうが当座きもちがいいので、いまのところおれはべつにこの件に関して調べたいとか知りたいとか思ったことがない。

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たとえばライターがある。
ライターはlighterと書く。光、lightなのか。ライターにはまあそりゃとりあえずは火をつける道具だろっていう認識があるけどライターの名前はファイヤーじゃないんですね。これふしぎだね。

ひょっとしてもともとライターて採光のために開発されたの?たとえばランプなどに灯りをつけるための道具だったからそれが熱を発することよりそれが光を起こしてそれを伝えることの意味が重要だったとか?それが現代では廃材燃やしたり煙草の火つけたりとか主に燃やし目的にしか注目されなくなってるだけ?それとも「ファイヤー」だと言葉の変化に乏しいから見た目の印象の強いライト性能に注目しただけとか?それとも発明者の名前がたまたまライター氏だったとか?

…とか、適当に書き散らかしてみたがおれはこの件に関する専門的な知識などは特に持ちあわせているわけではない、ので、根拠のない憶測をあてずっぽうに並べているだけだ。実際のところを知ったら「なーんだ」という話なのかもしれないし「ライター誕生の裏にはそんなエピソードが…」とか恐れ入る真実があるかもしれないが、いまのところおれはべつにこの件に関して調べたいとか知りたいとか思ったことがない。
といっても聞きたくないとか知りたくないとかいうことではないので、不意に「あーそういえば」というかんじでライター誕生秘話を知ることになってもそれはそれで困らない。

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思いもよらないことに思いを寄せるための方法はまだ固まっていないと思うので、とりあえずいろいろなことをやってみる余地や、いろいろなことをやらないでおく余地がまだまだあるんじゃないかと思う。あるものをあるように、ないものをないように。

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URLメモ。

6:21 2003/07/01