なぜ若オタは「攻殻機動隊はMATRIXのパクリ」などといってエヴァ当時の新参オタの轍を踏みますか?
ところで、あの黒字に緑色の文字が並んでその中から単語がーっていうのが「かっこよさの表示」として10年近く通用してしまうというのは輸出とか輸入とか逆輸入とかを幾重にもやってはじめて成立する異常事態なのかなと思った。ウケてる層は微妙にずれてるんだろうし。
ていうかMATRIX第1作のときの縦に文字が垂れてーっていう部分のおもしろさは、横書きの国の人間が文字を縦に垂らすことのおもしろさみたいなのもあったと思うので、縦書きにもできるカタカナが縦に垂れてきてもなんていうか「で、どこを横読みすればいいんだ?」みたいな気分が。それこそ全部「チンポコライス」て書いてあるとかだったら笑うところだろうけども。いやもちろんそもそもそういうことではないんだけども。
あと、ANIMATRIXとか作るようなひとならあの上から文字が垂れてきてーっていうのの演出を基本は押さえつつちょっと変えて「あれ?」と思わせるようなことを(まあそれはそれで素人くさい発想といえるので全員がやるとも思えないけど)中の一人くらいはやるのかなと思ってたけどそういうわけでもなかったので、ということは「あの演出の固まり具合」はウォシャウスキ兄弟的にコントロールされたものなんだろうなと推測。つまり「あの演出を捻ったり転がしたりする(基本を踏まえての応用)のは本編の映画三作のみで、枝葉であるとことのANIMATRIXにおいてあの演出の変形や、ましてあれよりかっこいい演出への昇華などがあってはならない」というような。
でないと全作品通しての演出ポリシーとかがグダグダになってしまうのかもしれないし。
特に何の根拠もなくNAMCO「BREAKDOWN」にClimax「BLUE STINGER」臭を直感してみたりした。
かっときたいもののキューが溜まってるので秋葉へ。
ピンキーストリート(←つけかえ式女子人形のようなもの)2個と、GBA「IRIDION II」を購入。
「IRIDION II」は、これまで買うためにあちこちかけずり回って苦労していたので、ようやくゲットといった心境。でも会社にGBA本体を置き忘れてしまったので遊ぶのは日曜か週明け以降になりそう。
ピンキーストリートについては「買おうかなー買うまいかなー」とか思いながらビックカメラ本店のおもちゃフロアを所在なげにうろつく程度で(←そこには置いてなさそうだった)あまり積極的に探していなかったので、今回買えてわりとラッキーなかんじ。
ははあ、このちょっとした組み合わせ感がたのしいわけですな。
ピンキーストリートの片方(やる気のありそうな顔してるほう)についてもういっこ気になる点が。
ははあ、ということは実は少女じゃなくて少年だな。
最近は女装少年がマイナーマイナーからマイナーメジャーになりつつあることだし。「恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの」の話題性とも合致する。とりあえずおれの脳内ではそういうことに決まった。
というかあれだな、おれはフィギュアとかいっても基本的に戦車以外買わないひとなんだけども(ドラちゃん除く)、でもWTM第4シリーズがもたらすであろうキナ臭さというか危うさというかそういったものへの不安というか予感があり、脳の延長としての机上の風景のバランスをなにか武力以外の要素をはさむことで調整したいよいう欲求が働き、そこに最も効果的と思われるのはいはゆる「かわいさ」であって、たとえば戦車をガスガスならべてるところにギャル人形をちょこんと置いてしまえば全体的にかわいい雰囲気で包むことができるというこれはひとつの解決法で、しかしそうやってかわいさで包んでみてもべつに戦車の意味が変わったりなくなったりしているわけではなく、結局それはごまかしでしかないわけだし、第一おれは机にオタ臭まるだしのギャルフィギュアを置くという風習に対する抵抗感をまだ払拭できておらず、まあそういう層に対してこのピンキーストリートのかわいらしさに対する洗練はなかなかいいかんじだと思うしで、んー、まとめるとおれが今日ピンキーストリートを買ったのは保守的な行動のひとつだったのかなあと思った、のか。か。前に進んでるのか後ろに進んでるのか、そもそも前と後ろっていうのはどっちがどういうふうなのか。
囲碁とか盆栽とかで鍛えられるような種類の感性が、フィギュア集めでなにかしら行き詰まりを感じたときなどに役立つかもしれない。というかガーデニング方式で得られる安心の味は危険な気が。
いろいろ試行錯誤してみたけどやっぱりこのサイトで透過PNGを使うのはあきらめた。
Windows Internet Explorer 5.5 以上でフルカラーPNG のアルファチャネルを有効にさせる方法があります。
通常画像を表示させるには
の様にHTMLを記述しますが、これを下記の様に記述するとできます。
これだとMSIEでJAVA OFFでも表示してくれたのでナイスだと思ったけどもいろいろいじってOPERAで確認してみたら表示されなかったりとかで。あちこち痒くなってままならない。MSIEがふつうに表示してくれるようになるのを待って、その頃には抜本的なリニューアルを2,3回やってるだろうし、みたいなかんじで保留。
@Nifty デイリーポータルZ「かっこいい!ビジネス用語集」がおもしろかった。
夜中仕事の合間にSさんと一緒に見てゲラゲラ笑った。いつになくハイテンションでこれは笑いすぎかなとおもったけど疲れがたまってたので致し方ない。
@Niftyではほかにもアホpdfコンテンツがあっておもしろいんだけどそれはそれとして、おれの探索範囲の狭さが問題なのか、ほかでアホpdfコンテンツを取り扱っているサイトを見かけたことがあまりない。こういうのはまさに暇をつぶしてる感覚で読めて楽しいのであちこちでやってくれるといいのになあと思うんだけどなあ。
まあ音も動きもないから敷居の低さと刺激値の高さでFlashなどには圧倒的に負けているし、第一印刷する環境のないユーザにはあまり旨味が感じられないっていう問題もあろうけども、スローテンポでしか取れない笑いとかもあるわけだし。職場でこっそりプリントアウトしたりしなかったりしてドゥフドゥフ笑ってるようなオタ社会人などを相手にすればけっこう需要自体はあるようなないような気がしないでもないのにっていうか。
あとやっぱし閉じたコンテンツを作るっていうのは閉じてないコンテンツを作るのとまた違った楽しみを得られることなのでwebで日記を随時更新しながらたまにそういうことやるのも楽しいんじゃないのかなーとか思うんだけど。昔だと手っ取り早くは即売会で同人誌だったけど今ならネット使って印刷費かけずに垂れ流せる(←そのかわり直接儲けにはつながらない)。うー、べつに環境整ってるわけでもないからタケノコみたいにアホpdfコンテンツがポコポコでてくるとは思わないけど、なんかこうちょっと探せば人のまばらなネットの片隅あたりに良質のネタがありそうなもんなのになあと思いつつ。
「自分にとって本当にいいものは自分の足で探さないとみつけられない、自分が本当に欲しいものは自分で作らなければ得られない」の鉄則は情報化してもいまだ変わらずか。まあ情報化云々じゃなくてインターネットでやってるぶんにはそういうものだしな。こういう環境では他人の能動と自分の受動が合致する場面はそう多くないはずだ。
あと、「自分が本当に欲しいと思うものを作りたいと願うとき、それを成功させるに足る準備ができているひとは少ない。そして準備ができた頃には別の願いに囚われている」、ボンクラはだいたいこうだ。
KさんからWTM大戦略エディションの1箱目を受領。
ていうかてっきり第4シリーズの先行発売なんだとおもってたんだけどタイアップの限定発売ものだったのね。
第2次大戦時代の戦車とならべるとでかくて長くて、低くてシャープ。というか率直に言って、怖い。
第3世代戦車てちゃんと洗練が進んでるので車輌ごとの個性っていうかそういうのがあまりないかんじだけども、それにしても合理的で兵器の怖さが強調されてるような。戦車が兵器であることをまざまざと感じる。技術革新によって戦場の捉え方も戦争自体も移り変わっていくから、戦闘車輌の設計思想もそれに準じたものになっていくけど、90式の設計は第2次大戦当時と比べて圧倒的に現在に近いので、なんていうか戦場を身近に感じてしまうなあ。
すべてひとの手になる設計とはいえ、シルフィードからレイフへの変化を見るような感覚だ。戦闘機械は淡々と進化する。間数十年の時間をすっとばして同時に並べてみればこれほど明らかに違うのかと。
URLメモ関係。
ジョン・トラボルタがかっこよくない映画におけるジョン・トラボルタのことをジョン・トラボル太と呼ぼう運動。
第1シーズン鑑賞終了。
短いようでいて内容の詰まった航海だ。おもしろかったー。とてもいい。すごくいい。おまえによし おれによし うん よし。とはいえしかしENTERPRISEは、まだたったの26話を消化したのに過ぎない。まだまだある。おれはまだそれを見ることができない。
うおおおていうかなんていいところで終わるんじゃー!き、きになる。
シリーズの感想はさくっと書けるようなもんでもないので置いといて、とりあえずさくっと書けそうなことをひとつだけメモ。
25話「Two Days and Two Nights」のホシ萌ええええ。どう繋がったのかはおれにしかわからないかもしれないけどこのエピソード見てホシ・サトーは女子校出身の総合大卒とおれの中で脳内認定されました。大学在学中は語学系サークルで熱心に活動。高校のときは生徒会役員とかソツなくこなしたりとかしてるのな。文化祭とかで母校に帰って講演会とかやったりとかしてな。OG訪問とかで後輩が見学しにきたりとかしてな。にこやかに応対とかしてな。絶対そう。そうに決まった。
関係ないけど http://hoshi.sa.to/ てまたすごくいいアドレスだなあと思った。
適当に探してみるとスタートレックシリーズのギャル壁紙を公開してるページなどを発見。VOYAGERのセブンオブナイン役のひと(jpg)も大概ちちでけえなあと思ってたけどトゥポル役のひと(jpg)もなかなかだ。
マシーン属性(ボーグ)と論理属性(バルカン)のキャラ立地の親和性を考えれば、要するにアメリカ人はこのテのキャラのセックスアピールとしてはデカ乳こそがふさわしいと考えがちな民族なのかもしれないなあということでもあると思ったので、エヴァンゲリオンがハリウッドで実写映画化された暁には、ナイス乳の実写綾波レイが拝めるかもしれんね。
ENTREPRISE OP曲「WHERE MY HEART WILL TAKE ME」の歌詞と、HAL氏による日本語訳。
今年最初のサンダル出社日であるのに、夜になってさあ帰るかねと思って窓の外見たら雨ふってやがる。すざけんな。そしてなつかしの脳内クソゲー「雨避け」について思い出したりした。
子供の頃、土砂降りの中すべての雨粒を避けて避けて避けきって学校から一切濡れることなく家まで帰るという試みを下駄箱から開始して最初の2歩であきらめたことのあるひとは多いと思う。
あのゲームは、それを思いついたときゲームデザインのあまりの勇ましさを前にして猛烈に奮い立ってしまうので(←少年の英雄的行動に対する憧れ)「これは是非試してみなければ」となるが、実際やってみると速攻ずぶ濡れであってまったくゲームにならないと気付く。そして己の無力(←「こんな雨粒さえ避けることができないのかおれは!なんたる無力!」)とデザイン能力のなさ(←「こんな遊びようのないほど高難度なゲームをデザインしてどうしようというんだおれは!なんたる無能!」)に絶望し、それから三歩ほど歩けばそんなことすっぱり忘れて(←ずぶ濡れになるとなんとなく楽しい気分になってしまうのでめんどくさいことは全部忘れちまうんだ少年だから)さっさと次の遊びを探し始める。
ああいうことをやっているから無駄に敗北の味を覚えてしまっていかんのだ。土砂降りを前にしての下校ゲームひとつをとっても、プレイヤの状況によってきちんと勝ったり負けたりするゲームにデザインしておかなければならなかった。
今にして思えば失敗要因ははっきりしている。設定した自機の当たり判定がでかすぎたのだ。
いかに子供の体が小さいとはいってもそれは大人の体格と比較しての話、止むことなく襲いくる雨粒の密度に対しては確率もくそもない、これではイメージファイトの自機の当たり判定で怒首領蜂の弾幕を捌こうとするようなものだ。自機の当たり判定=自分の体全部、こういう固定観念をまず捨てるべきだった。雨はゲームの弾幕よりも避けにくいんだから(迫ってくる雨粒の察知・軌道予測・反応がほぼ不可能)自機の当たり判定はそれこそ1x1ドットとかそんなものでなければどうにもなるまい。
たとえば…「あたまのてっぺんの、つむじの位置に直撃をくらったら負け」とか、そんなかんじで。ほかの部位への直撃は「見かけ上当たっていて実際のところずぶ濡れになっているが、ゲーム的には当たり判定外」と考える柔軟さがあればよかった。
…などと考えながら一歩外に出たとたんにあたまのてっぺんのつむじの位置にでかい水滴が落ちた。即死。
うーむ、当たり判定がどうとかではなく、やはり反応できない弾を相手にしてはまず避けゲーとして成立しないわけだなあ。
WTMの第4シリーズが、こないだ先行発売されたんだしそろそろ一般発売されねえかなあと思って首を長くしていたらマイクロアーマーの第5弾が先にやってきましたよ!
とりあえず7個ほど買ってみたがあれだねさすがヤクトティーガーは無駄にでかいうえにおおまかなかたちしてるからすげえ適当な気分が盛り上がってよいね。文字通り末期的な雰囲気っていうか。おもちゃやさんとかだと、戦車でも砲塔が旋回しないものは売れないみたいなのがあるらしいけども、おれは駆逐戦車大好きなのでヤクトパンターが好きだしヤクトティーガーもけっこう好きだ。いや違った正直いうとヤクトティーガーはそんなに好きじゃなかった。そもそもティーガーIIのデザインがあまり好きじゃないからだったが、しかしヤクトティーガーはこれはこれで愛嬌があって、たくさんあっても困るけどちょこちょこあると楽しいかもなと並べてみて思い直した。
あと、初日にしてシークレットをゲットしてしまったよ。
7箱目の正直。マイクロアアーマーのレア率は1/180とかいう噂を聞いて絶望した直後だったのですげえうれしかった。
おいしいところをシークレットにもってきますねほんま。これでもうちょっと安ければなあ、マイクロアーマー。
URLメモ関係。
もういっこ、巷で大評判の「寝坊して遅刻しそうになり、慌てて朝食のパンをくわえながら急いだところ、交差点で同じように急いでいた女子高生に正面衝突する確率の算出方法を教えて下さい」(←長いので途中フォントサイズ小さめ表示)から適当に辿っていると「ラプラスの魔とシュレーディンガーの猫」を経由してシュレディンガー音頭のページが。
アニメーションによる踊り方指南(←上級)とその解説。
あとこのページで使ってるシュレディンガー氏の写真のソースでテスラ氏の若写真(jpg)を発見してホクホクした。テスラ氏というのはようするにこういうひと(jpg)。
で、そういやテスラ氏といえばスカラー波で最近世間をにぎわせていた(らしいんだけどおれTVとか見ないので実際のところよくわからん)パナウェーブという団体の影響でまたへんなイメージがついちゃって大変なのかなあと思って調べてみたら、テスラ氏の情報を紹介している(?)「発明超人ニコラ・テスラ」というサイトでもパナウェーブ関連の話題が。
そういえば、「遠い海から来たCOO」を書いた景山民夫氏が生きてたら、現在のタマちゃん騒動を見て何て思うだろうなあ、みたいな話を確か去年の冬くらいにTさんとしたような覚えがあるような、ないような。
2ch presents MATRIX RELOADED in SHIBUYA(BGMあり)。
あほなことをやる元気をあほなことに費やすというその心意気は優れて正しいなあと思った。
このネタのおもしろさはトップの画像に尽きる。実際に行われたという点ももちろんすごいけど、ムービーとか見なくてもページ開いただけでもうおなかいっぱいになった。腰のちからが一気に抜ける。
暫く前から起きていたIEでの画像の保存やソースの表示関連の問題を、キャッシュを削除して解消。
http://homepage2.nifty.com/winfaq/c/ietrouble.html#360
意味によって世界を把握するというやりかたを知ってしまった人間は、以降それ以外の手段で世界を表現することができなくなる(=意味以外の表現を喪う)、だから知恵の実は決定的なアイテムとして扱われているんだろう、と思っているんだけどこれはおれの人間としての欠陥による誤った認識かな。世間には意味による表現も意味以外による表現も同時に駆使できるようなひとが居るのかな。
意味を得てしまうと、「意味以外」を「無意味」としてしか表現できなくなるような気がしている。そして現在おれはすでにそれを無意味としか表現できないが、たぶん「意味以外」は「無意味」以外のものも含んでいるだろうと感じる。影と闇が違うように、同じく黒いものにあるその差を、なんとなくわかるような気がしているものの、表現できない気分。
たとえば無意味な行動にある価値を認める場合、どうにも痒いところに手の届かないかんじの言葉遊びに終始せざるをえない現在がある。これはとても間接的だ。そのようにしか表現できないわけがないと思うのに実際そのようにしかできない、ということは、おれはその表現の可能性を感じることだけができて、そのうえで自分にはそれができないということになる。
「ゼロがある」という状況に対する理解は非常にむつかしいところだけども「無意味がある」という状況に対する理解は比較的容易という点からもこの考えは補強される。「無意味」は「ゼロ」ではない、つまり意味的には無といいながらもそこになにかがあることだけはわかる。じゃあこれなに?わからない、というか「わかる/わからない」で判断すること自体意味に縛られているとわかり(←…)、ああこりゃどう頑張っても逃げようがないなと。
言葉でこの感覚を正確に表現するのは原理的に不可能と思う。
言葉はそれが到達した領域を意味化してしまうので、言葉が「意味以外」に達した時点でその領域は「意味」として整備されたことになってしまう。ひとが発してひととひとの間で共有され繋がっていくためにこそつくられたメディアなわけだからその挙動は自動的だ。光の移動を横から観測することができないように、領域が意味化されていく過程を観測することはできない。
逆に言ってみればたぶんこうだ。心を共有できない人間だから外部に言葉という共有できる(と互いに信じることのできる)ものを作って、それを分かち合うことで連携し社会を作った。共有できる、信じるに値する、つまりことばは「それが意味としてある」と最低2人以上の人間に認知できるものでなければならず、そうでないような言葉は、言葉ではない。
ふっかつのじゅもんにすら意味が存在してしまう。
音楽はかなり自由と思えるが、しかし意味と無縁とはいえないと思う。がしかし、うーん、音楽が、人間が選ぶことのできる唯一の正解ともまた思えないんだよな。詩とかでもなくて。なにかちょっとした…。…。…寝よう。
みてきた。おもしろかった。
以上4本(+トークショー1本)の一挙上演(上演順)。おもしろかったのでとても満足したけどとにかく疲れた。くたくた。
見てるだけでも大変なんだからあれで営業やってるひとの気力とかすごいなと思った。いやすごいなんてもんじゃない。毎回あのテンションでやってんだろうし、よそから供給できる質量の気力で続けられるようなものじゃなかろう。内からあふれ出すなにか絶対的なパワーのようなものがあるのか。神懸っている。
水野晴郎氏はまあ監督なんだし立場上頑張れてあたりまえという評価で当然としても(←あたまの固い考え)、西田和昭氏のあのがんばりっぷりにはひたすら感心させられる。こういったらあぶない雰囲気が出てしまうかもしれないけども宗教者じみていると思った(←言うまでもなくイベントや映画内容に宗教色などはまったくない)。ふつうのひとが神と対峙してようやく至るような境地に、映画に対する自力だけで達してしまった水野氏と、それを支える西田氏というふうにも見える。伝道師と弟子のような。
なにも怖れていないかんじとか。一線突破しちゃってるかんじとかも。
あと、どこまでが天然でどこまでが作りなのかいまいち判然としないあたりは、シベ超イベントの段取りは(楽しみかたとして)WWEと通じるものがあるかなと思ったけど、あれは特にフォローせずひととおりの段取りを水野氏が適当におじゃんにする様を観客に楽しんでもらうっていうぶっつけ本番ノリなんだろうなあ(準備に手間隙かけるわけにもいかないだろうからそれ以外できなさそうっていう)。万全を期していそうなWWEと対比するのは無茶な話かもしれない。
ともあれ、70歳超えてるのに前日からの強行軍を押して深夜2時過ぎまでロビーに出てサインとかしてる水野氏はすごいと思ったし、イベント終了までずっと出張ってハイテンションしゃべりをやってのけたうえで退場するひと一人一人に挨拶も欠かさない西田氏の営業っぷりにはおそれ入った。巡業者の鑑だあ。
映画は、おもしろかった。以下感想走り書き。
あと、シベ超に必ず出てくる16歳の少年の面影は、やはり水野氏の記憶や理想、挫折や希望などを照らしているのかなあ。みんないい顔してるよね。
何度でも「おもしろかった」と「つかれた」は書くが、まあしかしおれはシベ超を劇場でしか見ないことにしてるので、前回行ったときからけっこう時間あいてたこともあってストーリーとかサッパリ覚えてなくてそういう意味で新鮮だったのが救いになってたりもした。というかストーリーを逐一記憶していることが案外むつかしい映画だよなシベ超シリーズ、バージョン変わるとどうにでも変わってしまったりするので。すべては愛を具現化するための道具立てに過ぎないような気がするので愛さえ覚えておけばあとのものは曖昧模糊としていても問題ないかんじが。
どれをとってもおもしろいんだけど全部いっぺんに見れるような情報量ではもうなくなってるような気がする。ギリギリだ。けど、次回作が出たらまた一晩で全部いっぺんに上映するようなイベントをやってほしいなあ。最後には丸一日かけて全バージョン一挙上映とか地獄の地方ホテル1泊2日イベント(マイク水野氏のディナーショウ&殺人ミステリ併催)とかになったりとかして。
アナログなものをデジタルで記録する。日記。
A/D変換時の情報の欠落を補完しつつ読み返す(ゆえに単純なD/A変換とはならない)。日記を読むという娯楽。
夜が明けるのが早い。4時半にはもう空が白い。
近所の公園で談笑しているばあちゃん達の会話をぼんやり聞いているとおもしろい。
年金とか都政とか家族の話が大半なんだけど、中にいきなり戦時中の話題が出て当時の様子などを和やかに語り合っていたりする。疎開先のことや、空襲、防空頭巾の話など。東京に住んでるばあちゃんとかだと、地方に住んでるばあちゃんとは戦争経験がまた違った角度になるわけだなあと思った。
こういうばあちゃん達の戦争体験談をまとめたような本とか適当に探してみて読んでみるのもおもしろいかな。
ギャーンギャーン、インフォシークとライコス、9月にサービス統合へ。Tripodどうなるの?
infoseekに統合とかになるとあれだな。infoseekのサービスを利用しているサイトにはたとえば「d2k」とかがあるけど、あんなかんじで広告バナーが「ページ最上段+ページ最下段+ポップアップ」で3つ表示されるようになるわけか。んー?べつに1つや2つバナーが表示されるぶんには抵抗ないけど3つていうのはさすがに多いよしかし。実際どうなるのかはわからんけども一応引越しを検討しておいたほうがいいのかもしれない。
ちゃんと有料サービス利用して快適webサイト構築とかをやってればそれで解決なんだけども、自分の日記のページなんていうものは一銭もかけずに(そして可能か限り安易で快適に)やるからこそ続けられるのだと思うので、サイト自体のありかたを変えない限りおれが有料サービス利用を選択することはない。
「少年は若さ故に傷つき…」みたいな言い回しがあって、事実として若さが理由で無駄に心をいためたりする場合があるということは理解できる(と思う)んだけど、しかしその若さゆえの傷の、痛みの部分がおれにはどうもいまひとつ実感できないみたいだ、と昨日ふと思った。
その少年が若いのはわかった、傷ついたのも受け容れられる、だけどその傷が痛いのかどうかっていう点について腑に落ちない。痛くもないようなものを傷とは言わないだろうから、まあそりゃたぶん痛いんだろうけど、しかしああいう傷が果たして痛いのかなっていうか、そこで「痛い」って言わない(言えない)ような少年だからついてしまう傷なんだろうし、そういう場合痛みの描写としてはせいぜい「やせ我慢」になりがちだけど、むう、ああいう傷は痛いのだろうか。
「あるきっかけで傷口がむしょうに痒くなる」とか、そういうのならわかるんだけど、でも少年が負った傷はそういう種類のものとはまたちょっと違ったものとも思えるしで、「少年の若さゆえの傷」はおれにとってもうしばらく考えてみる必要のある問題かもしれない。
関連メモ。
「2-2」から「2-1」になって、やがて「1-1」と至る。
「1-1」はマセガキの反応というべきなので、これは少年としての最終到達点だろう(以降は大人扱いでいい)。
少年ものをやる場合には、どうせならこの3段階のうち2段階を踏まえたドラマ作りを心がけたほうがいいのかもしれない(同じようなかなしい場面でも、少年の状況に対するありかたが序盤→ラストで微妙に変わっているみたいな。で、3段階全部やっちゃうとクドくなるので2段階までとか)。ゲームとかならバッドエンド/グッドエンドとかで切り替えてもいいんだろうけど、そうやってしまうといまひとつうまみが出なさそうな気が。
UFOは墜落するときに1回バウンドしているので、できた池は2つになった。
関係ないけど、女子大生に踏まれて悦(よろこ)ぶオタ写真というのはこれです。
彼の福腹(←ふくよかな耳を福耳と呼ぶように、ふくよかな腹を「ふくばら」と読みます)の威力はすさまじいのです。その圧倒的な量感もさることながら、およそ完璧としか言いようのない揉み心地(特に腹から背中にかけてハニースポットを探してゆく過程がたまりません)はただの一度でもう病みつきです。2,3日揉まない日が続くとだんだん落ち着きを失い、1週間も経てばあの手触りを求めて手当たり次第にあたりをまさぐりまくるありさまです。
彼の福腹の悪魔的揉み心地は、日々の弛まぬ(弛んだ)努力と入念な足踏みマッサージによって完璧に維持されているのです。
cat@logより
Radium Software Developmentの日記より
「ラマヌジャン」っていう名前や彼の「ノートブック」がどうだっていうような話は聞いたことあったんだけどなにがどうすごかったのか全然知らなかったのでメモ。インド人で数学でノートがすごいとかそういう関連になるとなんとなくクトゥルー関連とかで登場してそうなかんじだなあとか失礼なことを考えていた。
いましろたかし「釣れんボーイ」を読み返す夜。
ボンクラの大先輩であるところのヒマシロ先生の日々に心洗われる思いだ。誰の前にも道は長く遠く、ボサっとしててもあせっていても時間は平等にやってくる。
現在ローカルにあるこのページは、リニューアルしかけた没案のスタイルが適用されたまま放置されているためにweb上に上がってるこのページとは見え方がかなり違っている。けどhtmlファイルをアップロードすれば同じ内容が違うデザイン上で反映されるこの不思議。いや参照してるCSSが違うんだからそれであたりまえなんだけど、滅多にこういう状態で放置することがないので馴れない。
ようやくわかったよ。
Media Playerのオプションとかじゃなくてタスクバー側でチェックすればよかったのね。
ANIMATRIXの「Second Renaissance」を見ていると「MATRIX関連の仕事で金もらったのでやりたくてやりたくてしょうがなかった「おれの考えたデビルマン」テイストのアニメを好きなように作っちゃいましたけど文句あるかっていうかねえだろ、グゥの音も出ねえだろ死ねええええーーーー!! …あ、漫画版(MANGATRIX)とかもし出るなら漫画化担当は衣谷遊氏(←「AMON」の漫画化を担当している)でよろしく」みたいな言霊を感じ取ってしまうんだけどおれの回路はチューニングされて黙っているのか(と言いながら空に向けてマッハコレダーを撃つ)。
いやあとは不動明でもその場に居ればもろに俺デビルマンだよなたぶん後半の展開とか特に。
ネオにはしかし不動明の格はなさそうなかんじだ。どっちかっていうと「がんばったら飛鳥了にはなれそうなかんじ」かな…いやしかしちょっとかなり違うかんじが。キアヌ氏では無理なのかな。まあ「Second Renaissance」にはキアヌ氏出ないから関係ないけど。
ANIMATRIXの箱を明けてみたらそこにオートモとかオシイだけじゃなくてデビルマンを見たっていうこの感覚は最初ちょっと意外にも感じたけどでも考えてみればいろいろ納得するところではある。オタアニリスペクトの波のドサクサにまぎれて永井豪氏テイストをあっち側の世界に送り込むことに成功させることができれば、おれはMATRIXをちょっとは評価してもいいような気がだんだんしてきた。
あとはウルトラマンもってけば、アメリカ産「エヴァンゲリオン」を見る未来もありうるかな?
t.A.T.u.の音楽性にはおれが注目すべき新鮮な味わいはこれといってない(=適当な期間咀嚼して消費すればそれでいい)と思っていたんだけど中里一氏の小説を読んだあとに聴いているとこれはこれで使いでのある音楽だと気付いた。ガムからスルメに修正する。
格上げではなく斜め上方向へ若干スライドさせたかんじ。どのみち噛めば薄れるが、今の状態なら味の出る期間を延長できるかもしれない、ふうむ。
もしエロゲー制作のノウハウを応用して百合ゲーが開発されることが今後あるとしても、その「泣かせ場」のBGMにピアノやオルゴールの音源を安易に投入するようなことがあってはならないと思う。明快な根拠は提示できない、予感みたいなものだ。
一応書いてみるなら上の2つが理由。
あとまあ関係ないけどエロゲー音楽屋の世界でなら98年頃にはもう「ピアノとオルゴールはなるべくぶち殺す方向で」みたいな空気があったと信じておきたいところ。「繊細でなければ音楽は作れない」とかいうようなかっこいい大見得切れる人間がエロゲーの世界にも居ると信じてみれば、そういう妄想もできなくはないが…。
朝から腹が壊れていてトイレから延々出られない。脂汗が流れる。頭痛などは感じないが腹痛と若干の熱。薬を飲んだがあまり効果がない。便器に座ってうなっているほかはやることがなく、GBAなど持ち込んでみたがこんな状態でV-RALLY3に集中できるわけもなし。
CLIEが役に立った。青空文庫から落としてきた文書を流し読みしたりメモ帳に日記を書いたりして時間が過ぎるのを待つ。あーCLIEもっててよかった。ちゃんとおれの役に立っている。
全般的に顔文字がふんだんに盛り込まれているかんじの日記は、解読所要時間に対して得られる情報量が異様に少なかったり、または(すくなくとも他人であるおれにとって)読むべき部分が全然なかったりして、だいたい読まないんだけど、カロリー氏の日記は読んでてたのしいかんじがする。顔文字たくさんつかってるのに。なぜだ。
わかりやすい特徴のひとつとして、使われてる記号的表現があくまで一行顔文字レベルに留まり、複数行にわたるような大きめのAAみたいなものは使われていない点が挙げられる。こういうバランス感覚とか、あとは人徳とか人柄表現の妙とかそういうものを持ってれば顔文字云々なんてのは細けえことですよっていうことなのかな。
ていうかカロリー氏の日記は以前にこのへんあたりからしばらく読んでた覚えがあるんだけど、倒れたとか入院とかそんなかんじの話題が上がるようになってきて「うあーこの日記がある日突然更新されなくなったらいやだなあ」とちょっと思って読むのやめてたんだった。思い出した。あれは99年のことだったか。あれから4年か。生きて続いててなによりです。ていうか同じアカウントで5年も続いてるんだなすごいな。
煙草吸おうとおもったらライターがなかったので台所いってガスコンロから火を取ってたら髪の毛がちょっと焦げた。まゆげじゃなくてよかった。危うく空手バカに似るところだった。
「実はおもしろくない」ということを誤魔化すために複雑にする手法のみじめったらしさをよく理解し、そしてみじめなことは本当に一切やるべきでないという考えを強く持っておかないと、人間は平気な顔で大作RPGのようなものを作ってしまうと思う。葬式の訓練を怠らず、不幸の味を薄めることにだけ熱心になっていく。そしてそれはそれで構わない。構わないから問題だ。
日記のデザイン変更でもしようかなあと思って最近試行錯誤してるんだけどなかなかこれというものが上がらない。いろいろやってるうちにメジャー/マイナーあわせて10案ほどパっとしないものが出来上がってしまった。んじゃそのパっとするっていうような感覚を判定する回路を満足に働かせることがリニューアルでやるべきことなのかみたいなことを考えはじめた頃には2時を回っている。
俺ニュースがなくなって23時〜1時くらいの間に浮いた時間ができてしまって手持ち無沙汰になったので、まだしばらくソースいじくりまわして遊ぶ夜々が続きそうなかんじ。世間のひとの俺ニュースを見ていたはずの時間の埋め方ってどんなかんじになっとるのかな。現在ガンガン新規巡回ニュースサイト開拓中?積んでるエロゲー消化したり?
先週末にWTM第4シリーズの先行発売があったらしいという情報を、情報だけ手に入れて現物はいっこも買えてないおれのこの気分のやり場のなさ。
埼玉県に三峯神社ってのがあるらしい。
現人神、三峯徹降臨!
三峯神社に三峯徹あらわる?
投稿の神、三峯徹が三峯神社にあらわれたという情報が本誌編集部に流れてきた! マ、マジで? 三峯徹をゲッツしに、我々は秩父まで足を運んだ!
ここかな→三峯神社(なんか違う場所っぽいけど一応Mapion)。交通案内見てみたら行けないことはなさそうだ。自転車でもバスでも電車でも徒歩でもなんでもいいので、いつか行ってみようかな。標高1,100mにあるっていうので自転車はやめといたほうがいいか。以下参考リンク。
街中で、絶対自アンとか2chとかYahooとか見てねえだろうなーという風体のおっさん=五体以外のネットワーク接続環境を持っているとは思えないひと=ホームレスのひと=コードレスでありかつワイヤレスなしのひと、を見かけると安心する。かれらが即死するのを目撃しないうちは安心していられる。
ある日、かれらが街中で即死する現場を見るかもしれない。そうなったときおれは自分にとってネットがあったらうれしいものではなくてなくてはならないものということになってしまったと肉体で感じるだろう。それはかなしいことだ。それがなくても死なないものを、なくては生きていけないかのように感じなければならないのは苦痛だ。はっきり区別しておかないといずれ権利まで義務になっていくが、エントロピーは増大する一方だそうなのでおれにそれを止めるちからはない。
すくなくともおれが死ぬまでの間は社会が共有する種類の勘違いであってほしい。天動説のような。既得権というのは「最初から背負わされてる糞の量」を意味しており、フンコロガシのようなおれは糞を補給しないと生きていけないので、それが最初からあるのは正直助かってるわけだが、しかしそんなもの少なくて済むに越したことはないんだから、一生かかっても食えないほどは要らない。
おれは携帯電話やデジカメやGBAを持つが、腕時計は持たないし予約も入れない。
そういう箱を以前自アン+で見たという曖昧な記憶があるんだけど一番おもしろかった項が何だったのか思い出せない。一応「かるがも」だったような気はしてるんだけど…。
聞いたはなしだと「ゆめりあ」は「yume real」ということらしいので、強いて書くなら
触感も体臭もなくめくるめくかわいらしい世界に落ちてゆくという感覚が、おれなどにとってみればそら恐ろしいんだけども。
昨日みつけたトマソン。
「あー。トマソンだ」とか写真撮ってみてから、トマソンなんていう単語ひさびさに発声したと気付いた。
バブルとかVOWとかなんとか多少時代のずれた印象群がごっちゃにまじってて、いつごろ生きてたことばだったのかよくわからない。あーそういえば路上観察学会とかいまでもあるのかなと思って調べてみたらけっこうヒットした。地道にみんながやってればわざわざ現象になるほどのことでもなくなっていくというこれもひとつの標準化というやつかなあ。
誰かが線をつないだり結んだりはしていかないとわけがわからなくなるからそれはそれだけど、あまねく満ち足りてそれでいて情報系自体の複雑さや面倒くささまでも出来あがっているというこの現状はしあわせであるのに違いない。終わりがなく簡単で、飽きたらすぐ放り出せる。ネットはこういうのに向いてるね。あまりに向きすぎていて、活動してる本人さえそれと気付かないくらいに自然に適合しているかのような。
ここで生まれることはまだできないだろうと思うけど、ここで死ぬことはもうできるようになってきているんじゃないかな。
昨日の夜中からTの家にいって酒飲んで遊んだ。
斑鳩の攻略DVDを見たり「ゆめりあ」のベンチマークが快適に動くのを確認したり、のんべんだらりと過ごした。
明けてから眠て起きて夕方、秋葉にでも行くかと外に出るとすごい空模様。
そして虹。