ABC(ENIACより先にあった世界最初のコンピュータらしい)について調べてたらエニグマをJAVAで再現してるページをみつけた。うひょー、すごいやすごいやインターネット。
エニグマというのは第2次大戦でドイツ軍が使ってたものすごい暗号機。そのきちがいじみた暗号化の過程は前述のページにあるJAVAサンプルで試してみればわかるとおり。そのエニグマの解読装置を作ったチューリングっておっさんもさすがただものではない(チューリング・テストなどで(?)有名なひと。調べてみたらこのおっさんほんとに只者でないのでエニグマ暗号解読機開発の偉功も納得)。
とりあえず遊んでみよう。「DOODLE」を暗号化。
今日は03年03月15日だからローターを「3-3-15」にセット。変換すると「NSNGZZ」という文字列。次に解読。ローターの設定がずれてるので、3-3-15に戻してNSNGZZと入れなおすと…「DOODLE」と出る。おおー、エニグマー(←興奮の表現)。
調子に乗ったので今度は長文にチャレンジ。
第2次大戦中のドイツといえばナチスであり、ナチスといえばデストロン大幹部ドクトルGであるとおれの中で相場が決まっているので、ここは仮面ライダーV3第13話「恐怖の大幹部 ドクトル・ゲー!?」冒頭より、デストロン日本支部に入った「へんな電波」によるドクトルGからの初メッセージをエニグマ暗号化してみよう。
ローター初期値は「10-1-2(ドイツ)」で設定した。うむ、さっぱりわけがわからん文字列だ。
ここまでの長文はさすがにめんどいというのが実感。このデモでは暗号化・解読した文字列をコピペしてこれないというのが難点(いや、まさにその点がイイわけなんだけど)。ドラクエ2のふっかつのじゅもんを、映りの悪いボロTVをにらみながら必死にメモしていたあの頃などを思い出してしまった。簡単な英単語とかその程度のものをふつうのひとには多少わかりにくく日記に書きたいとかそういう場合でしか実用には向かないかんじ。暗号を意識的に扱いつつ過ごす日常なんていうものは健康的な生活とはいえないと思うので、エニグマすげえ実用っすよーとか言えちゃうようでもアレなかんじだ。
エニグマエンジン自体はすでに公表されているわけなので、暗号を解けるかどうかはローターの設定値をどう探させるかという点にかかってくる。どのみちこういうもので遊ぶ場合、それを解読してもらうという状況を想定してのものになるだろうから(でないとたぶんかなり寂しい遊びということになる)、長文には向かないだろう。作るほうも解読するほうもめんどくさい。
最後に問題。
わかるひとには簡単で、わからないひとには意味わからないか。
まあいい、解き方はこれ→()。答えは、見たとおり。
JR東日本路線図から東京近郊路線図(pdf)がダウンロードできる。車内掲出版だ。これほしかったんよ。
ふと東京駅から近隣各駅への正確な距離を体感したいなと思ったので、正距方位図法で描かれた東京地図はないものかと思って探してる途中でみつけた「方位地図の作り方」というページ。考えてみれば、方角が重要ななにか(風水とか、あとイスラムの礼拝も?)をやる場合には、メルカトル図法の地図はあてにならないのかもしれないな。
で、ちょっとスケールでかすぎだけど一応見つけた東京を中心に見た世界地図がかっこよかった。これのpdf版とかどっか上がってないかな。ていうか東京近郊だけなら何図法で描かれていようと見てわかるほどの誤差にはならんのかな別に。
あと「地図の歴史」というページがおもしろかった。「大航海時代…探検と発見そして征服の時代」など、熱い。
総武線にちょっと揺られて千葉方面へ小旅行。秋葉原、浅草橋、両国、亀戸、平井、新小岩、小岩。秋葉原から東へ。このへんだと亀戸っていう名前がいちばん好きだ。特に理由はない。新小岩っていう駅名も好きだ。これはなんとなく語感が「ちんこ岩」に似てるから。悪気はない。
小岩の商店街を歩いた。通りすがる女子高生の声が黄色い。うわーまっきいろってかんじだ。彼女たちは日本語で喋ってるはずなんだけどその内容を聞き取ることができない。鼓膜が震えてもその奥まで伝わってこないかんじ。これは相手の声の色とは関係ない、最近よくある。
黄色い声っていうのもしかし、いまとなっては古風な表現になってしまったな。
そのあと秋葉原に戻ってしばらく歩き回ったらやけに疲れた。
小岩あたりの空気を吸ったあとに歩く秋葉は、なんというか機圧が高い。
昨日の23時半頃までは白かった月だけど、今見上げると異様に黄色い。
そういえば日本の葬式色って黒白だけど、キョンシーが出没するあたりの中国の葬式色て黄色黒なのかな。キョンシーの服って黄色だったし。なんかそれ関係のことを昔ひとに聞いたような気がする。世界各国の死のイメージの色はー、みたいなの。なんだったっけな。
前々からそうなんじゃないかとずっと疑ってたんだけどもう疑うのはやめた。おれは規則的な生活を送る能力が、ないとは言わないがかなり低い。1日とか1週間とかそのへんの長さでのリズム感がない。少なくとも地球の自転周期とは明らかにタイミングが合ってない。
たぶん28〜30時間くらいが基本だ。
通常でも人間は実際には地球とはズレてて25時間周期くらいらしいので、1時間ぶんのズレをどこか適当なタイミングに折り込むことで調整してるかんじらしいんだけど、おれの場合25時間よりもうちょっと長いので24時間に合わせるのが大変なんだろう。思えば昔からそうだった。中学高校とか、一応どうにかはなってたけどあれは体力にものを言わせて帳尻合わせてただけだよなと。
これまで主にやってきたような仕事は時間帯超不規則だし労働条件もへったくれもないようなのばっかりだったから、おれの側での問題が顕在化することがなかったんだけど、最近は世間から比べればまだ全然ゆるいけどそれはそれとして一応規則的になってきたから、その規則的っていう部分におれの寸法が全然合ってくれない。合えよ。がんばってるか。そうですか。
かふんしょおのせいかもね。
なんかあほくさい活動がやりたいと思ったので脳内運動部っていうものを考えてみたけど相当難度が高そうだったので、考えるのをやめた。
どうにもだめで、体調が、睡眠時間も足りず、15KHzが頭を苛むのでTVつけるわけにもいかず、やはりプロジェクタはいいなあと思ったりして、天井を睨みつつわっしょんわっしょん言って、もそもそと起き出して薬と栄養ドリンクを混ぜて飲んで、ものすごく早めに仕事に行って、頭痛いのがどうにもならず、昼飯も食い逃し、とにかくなにか腹に入れようと夜になってモスバーガーに行ったら渡された番号札が4。死死死死。
テーブルとかの番号は4とか9とか避けるっていうけど、待ち番号札の場合だと歯抜けがあったらお客さんが不審に思うかもしれないからそういうのナシで、みたいな配慮があってんのかなあ。
味はほとんどわからなかった。トマトが冷たかったことだけわかった。
で、そのあと「ブラッディ・マロリー」のレイトショーを見に行って、力尽きて帰ってきた。
フランス人のアニオタ監督ジュリアン・マニア氏が、このうえなく適当にでっち上げたあほあほ映画っていうかんじだった。
ちょっと笑って、ドッと疲れた。しかしまあ食いやすくはあった。DVDで買ったりレンタルしてしまったりすると見終わるまでに何度も後悔したり鑑賞をやめようかと悩んでしまうと思うので、こういう映画は映画館で見なきゃだめだ。映画館で見るなら、ちょうどいい。
あたりまえだが怖くもなんともない。全編取ってつけたよーな展開。すべてにおいて既視感のあるシーンが、鉄の意志を感じさせるほどチープかつ楽しげに再現される(リスペクト魂っていうのか、丸パクリにならないよう注意を払っているようには感じられた)。最初から最後まで気が抜けまくり。セーラームーン、パワーレンジャー、車田正美、その他もろもろ、実際には違うのかもしれないっていうかたぶん違うんだろうけど、まあたぶん似たようなもの、そのすべてだ。まとめると、愛すべき駄作。
映画の神が間違ってこの映画を見てしまったら、なんともいえない微妙な顔をして黙って神罰を落とすかもしれない。でもこの映画を監督した男なら映画の地獄に落とされて悪魔に「貴様に今後一生駄作しか撮れなくなる呪いをかけてやる!」とか宣告されても眉ひとつ動かさずその呪いを受けるだろう。そんな程度の呪いなど彼はとっくに通過しているはずだ。
あーあと、なんか妙に懐かしく馴染むかんじがするなあと思ってたら、音楽が川井憲次氏だった。
「ブラッディ・マロリー」は、3回見にいってスタンプがたまったらTシャツかポスターをもらえるっていうキャンペーンをやってるみたいなんだけどっていうか、たぶんこれ1人が3回見るってんじゃなくて見たひとが後日別のひとに「なんかへんな映画やってたんだよ、チープだったけどそれなりに味わいがあったから見てみなよ」とかいうかんじで友人などに薦めてもらって、合わせ技一本的な口コミ効果に軽く期待するみたいな戦略なのかなと思ったんだけど、もしそうだったら結構厳しいよなと思った。ちょっとひとに薦めるのはむずかしい映画だから。
自分の感想ってだけならいくらでも「おもしろかった!」「最低っす!」とか言えるんだけど…。公式BBS見てても、なんとなく他人にもおすすめできるみたいなことを書いてるひと居ないかんじだ。んー、やっぱ1人が3回見にきてねってことなのかな。いやしかし1回でも見ればもうおなかいっぱいだしなあ。
世界を「セカイ」と読み換えるオタと金を「カネ」と読み替えるルポライターは、それぞれ全然違うことをやろうとしてる途中で似たようなことをやっているのかもしれない。かたや教室の机3m圏内で、かたや政界周辺などで、場の状況を(主観的に)表現する手段としてカタカナを選んでいる。
元来意味を内包している漢字では場の状況を適切に表現できない(したことにならない)という判断がなければ「世界」「金」でもよかったはずだから、おそらく「セカイ≒世界」であり、「カネ≒金」だ。大体あってるが、同一ではない。状況限定語(状況を限定することによって生じ、限定された状況を維持させる方向に働く言葉)としてセカイやカネは存在している。と思う。
ではなにが違うから状況限定なのか。
「カネ」は「金」に包括される意味の内なにを含まず、「金」は「カネ」に包括されている意味の内なにを含まないのか。
「セカイ」は「世界」に包括される意味の内なにを含まず、「世界」は「セカイ」に包括されている意味の内なにを含まないのか。
逆銀河鉄道999妄想追記。
機械の身体の少女が肉の身体を取り戻そうとする動機付けとしてはたとえば「(肉体的に)大人になる確かな可能性を持ちたい」などが考えられる。機械の身体でも精神は成長し、やがては老いて精神的な死を迎える(などといった適当な設定をつくっとけばいい)が、かれらは機械種なので生まれて死ぬまで身体的には変容することがない、みたいな。彼女にはそうでなくなりたいという願望、精神と共に成長しやがて共に老いていく肉体への欲望があるわけだ。
どういう動機付けがあればよいか?
精神のかたちと肉体のかたちとか、そういったかんじのテーマ性を突っ込んでおけばそれっぽくなる。十分な構造体を受け皿とすれば肉体の変容がなくともその死に至るまで成熟する精神(つまり少女の属する機械種がそれ)がありうると仮定してみたうえで、それが一体どういった状態のことなのかをまず想像し、そこから展長して「それでもやっぱり肉体的にも成長したい(そしてやがては老いて死にたい、とかまで少女が想像しているかどうか?)」とする少女の欲求を想像してみる試みだ。
そして少女を保護する男はどうだ。彼の目的や意識、欲望や憧れはどういうものがありうるか?
まあなんというかエロゲーとかを想定するなら話は簡単なんだが。その悩みや葛藤も。
普段はそれほどでもないんだけど、たまにMSゴシックがものすごく角張ったフォントに見えるときがある。今がそう。
ふつうに感じるときと角ばって感じるときと、どちらも同じMSゴシックで形は違わない(あたりまえだ)のに違うもののように感じるってことは、感性っていうものはほんの些細な状態変化でも揺らぐんだなあとわかっておもしろい。
MSゴシックが角ばってみえるとき、大抵おれの舌はざらざらしている。
逆銀河鉄道999は萌えるかっていうと、たぶん萌えるだろう。機械に生まれたメカ少女とその保護者的存在のでかい男が、次々生まれゆく銀河のありさまを横目に眺めたりちょっと干渉したりしながら、少女がその肉の器に還るための旅。でかい男&幼女キャラっていうとやっぱ大槍葦人氏とかか。あの取り合わせは、おれにとってメーテルと鉄郎の逆だったのかな。
そんなわきゃねえか、寝るねる。
薬が効かなくなってきた。もう適応したか。ボーグなみだ。
昨夜は頭が痛くてくしゃみもすごかったので結局眠れなかった。おかげでレゴラスがレベル10になったりした。薬はいろんな銘柄をとっかえひっかえ飲んでるけどこれといった決め手になりそうなものは見つからない。あと公園のトイレで用を足してる最中に明け方の消灯時間を過ぎたのか電気が消えて、ちょっとびっくりした。
風の音に耳を澄ませて、遠くでいつもの街の音が聞こえるのを確認して安心する。ものには順番てものがあるし仮に日本が今後またそういう状態になってしまうとしてもまあたった今からってことはないだろうとは思っているけども、もしかしておれが知らないうちに戦争でもはじまったのかとか一瞬だけ思ってしまったのだ。高空を飛ぶ飛行機に感じる漠然とした原爆妄想の不安みたいなのといっしょで、こういう感覚に理由はない。
ひさびさにTHE BIG MONEYやったら$38,266-。CEOまでいった。たぶん自己最高記録?
ひまつぶしにちょうどよすぎて頭働かなくなるゲームだよな。ゲーム脳の恐怖っていうか。
思考の垢がたまってるのでいい加減書き出しておきたいんだけど、頭痛いので寝る。
ワリオ様のブリブリ日記がすごいのでこのノリで今後ともしばらく更新されるならはてなアンテナに登録しておこう。
というかこのゲームやりたい。おれがけっこう欲しかったようなゲームなのかもしれない。「1ゲーム5秒」、なんていう完全に正しいコンセプトだ。おれのために作られたようなものだ。いよいよGBAを買うか。GCからパネポンもDLできることだし。
日本語を勉強したいの?
けっこう前に教えてもらったんだけどたまに読みたくなるのでメモ。
GoogleでDoodleを検索。最近たまにこのページが9位くらいにランクインすることがあるらしい。すぐ戻るだろう。
結局かたちにならなさそうだから、バックグラウンドタスクになんとなーく沈殿していた雑想をメモ。
相変わらず萌え関連。
メモ1。
生産者と流通者と消費者でいうと萌えは明らかに消費者の側で作ったもんだからこの仕組みを流通がすくい上げ利用しようとするのは非常にまっとうなことだと思う。アニメショップとかオタ向け雑誌とかすごくまっとうな商売だ、ああいった商売で間違ったことをやったら即座に死ぬが正しくまっとうなやりくちで売ってるぶんに死ぬことはない。牛肉をひき肉に加工してハンバーガーとして最終的に客の胃袋に入るって仕組みのことだからそれはわかりやすい。
だけど生産者側にまでその装置を持って行くっていうのは無理があるよな。客はハンバーガーが食いたいんだからハンバーガーのなる木を栽培しましょうみたいな話に感じる。とすればこういう考えは最初から違和のものであると自分で納得すべくおれの脳内に浮かんできたもので、おれがなんとなく恐れるフリークス牧場の遺伝子加工肉問題が実際に発生することはない。のだろうか?
メモ2。
萌えっていうものを考えながら生産するのはつらいよな。
だって「世間のことなんざ全然知らねえんだけどとにかくおれが作りたいもんはこれなんだけど、おまえらこれってどおよ!?」とかやってるぶんにはその作品に対して客が一人でもつけばそっから先全部勝ちだけど、「おまえらってこんなのに萌えてるよーな気がすんだけどそのへんどうよ?」とかいうかんじのことも考えながら作ってしまったら、実際ついた客がなんとなく脳内で設定しておいたボーダーに満たなかった場合負けになるもんな。そんなの勝ち負けじゃないんだけどでもそこでやんなくてもいいジャッジを自分でしてしまうかんじ。
売り上げがとか資金繰りがとか、生業としての問題は置いといても制作者としてのモチベーションがそこんところで磨り減っていくかんじがする。それをやんなきゃいけないのが商売ってものなんだからまあそれはそれだけど、だからってそのことをはっきりと意識的に頭ん中に置いとかなきゃいけないような状態に自分を置いてしまうのは(つまり自縛的な萌え強迫)、それは苦痛だ。
つまり萌えは「客側の心理」というものをあまりに明確に表現する、便利すぎる単語として生産者を縛るんじゃないかなっていう不安だ。その意味について規定できる人間などいない、それでいてその存在自体を否定しうる人間もまたどこにも居ない。かたちがなくただ存在するだけの力なんてのは幽霊と変わらない。守護天使にでもできれば心強いがいつ背後霊になるとも限らない。
無自覚な人間ほど長生きするってのも、道理だ。
あー、あれか?TV業界でいうところの「視聴率」っていう幽霊みたいなものなのかな。これっていうのは。
メモ3。
現在は消費者のほうが優位な時期だろう。生産者側にまで消費者の理屈が達しているってことからもうどうしようもなく明らかだ。どのジャンルにでも王は相変わらず君臨するが群雄割拠にもほどがあり、しかもかれらはその流れをコントロールするちからを持っていない。
ただそれはちょっとでもまっとうな業界ならどこだって普通はそうであるはずで、現代で王様になったからって力が振るえるなんていう原始的な状況はオタ関連でしかありえなかったはずだ。だから「多少マトモになった」ということかもしれない。
たとえばなんというか10年前マイケルジャクソンとかものすごかったわけだけど(客観的に一世を風靡したとかまではいかないだろうとは思うけど、それでも現在から見れば比類ない)、彼の凄さを支えた力というものは、その卓越した才能もさることながら世間の状況も巨大であったはずだ(それに乗っかる天賦があればこそともいう)。新しい、音と光の流通のしくみにのっかる武器としてのパフォーマンスが群を抜いて先鋭的だというアドバンテージもあったろうし、ビートルズとかなんとかが世界を制するための仕組みとして当時すでに脂が乗りまくっていた既存の流通体制にも力を発揮しえたろう。
世界的にインフラもコンテンツも個々の消費者の意識もキャパシティも全然ヘボヘボだったから、なんかすげえやつが来たとなればその他諸々の連中は十把一絡げに投げ捨てられてスーパースターに諸手を挙げて大歓迎、適当にレコード屋行って10人居たら10人とも名前知ってて8人くらいは聴いたことあって4人くらいは私ファンですとか言っちゃうような状況。それだけの人間が同じ音楽を受け容れてるっていうのはそれはファンとしては奇跡的にうれしい事件だけど、客観的にそれを鳥瞰してみれば「おまえらそれしか聴くものないんかい」とも言える。
貧困だからひとつにまとまるし、ちからは集まっていくはずだ。みんなに暮らしの余裕があったらでっかい元気玉なんかできない。そんなことしなくても十分楽しいから。
だからだんだんべつにショボい環境というわけでもなくなってきているオタ周辺事情の中でスーパースターなんか生まれる余地はなくなってきているだろうし、作られなくなっていくだろうと思う。それがまた出るようなことがあれば、それはそのスーパースターが消費者たちの慢心を衝いて度肝を抜くような見事で自然なパフォーマンスをやらかした場合か、それでなければ消費者がそろそろ弱くなって停滞と頽廃を過ぎて一周してショボい時代に戻りつつありますよーというサインだと思う。
生産者がだんだん兼業農家ばかりになり、消費者もだんだん家庭栽培とかやって、立場は結局同じにはならないんだけどなんとなく境界線が曖昧になっていくかんじ。プロフェッショナルもプロ市民も必要ない溶け合ったコミュニティ。
現在スーパースターは居ないだろう。そう見えるひとが居るとすれば、それは形骸化された過去のスーパースター文法を、実際にはそうでもないひとに対して適用しているメディアが残存しているだけで(ことばや文法は使えば使うほど消費されてしまうものだけど、かといって使わないでいると腐るし錆びていざという時使い物にならなくなってしまうから、手段に頼って暮らしているひとはそういうことをやらざるをえないだろう)、たぶん彼らの周辺に熱量はない。まぶしく熱い力の結集みたいなものがあったほうがそりゃ楽しいから、そういうものを「んー」とか横目で流して通り過ぎていくのはさびしいことだけど、でもそれができている現状っていうのはかれらに力を送らなくても十分世界が暖かいというありがたさの証明でもあると思うからおれはさびしくない。
というのはしかし、やっぱりちょっと強がりっぽいなあ。
去年あたり特に2chで見ることのできた「神」の台頭→消費の流れというものは、あれは粗製濫造→大量消費のシステムでガンガン大安売りをしつつも「それでもやっぱり手ごろな神仏を手元にいっこ置いときたいっていう欲求だけは捨てきれない」みたいなボンクラの情念のあらわれなのかもしれないし。
名前のまんま。ワールドタンクミュージアムの戦車フィギュアを駒にしてチェスを遊ぼうってことなんだけど、駒もプレイヤも環境も揃ってないのでいまだ遊んだことはない。だから計画。
なぜチェスなのかといえば、あれがWTMを使うに相応なボードゲームだと思ったからだ。
チェスといえばなんというか政略的な戦いになりがちだけどもルール自体は単純でわりと普及してる(と思ってる)のであまり相手に不自由しない(はず)という目算。なら将棋でもいいじゃないかとも思ったけど、あれはチェスより要する駒数が多くなってしまううえに「成り」の概念があるので駒の管理が面倒になる(交換用の駒と持ち駒を混同しないよう別々に管理しないといけない)。挟み将棋とかチェッカーなんてのもあるけど、あれでは駒同士で性能差がないのがつまらない。
ちなみに軍人将棋はどうだというと、今度は駒の種類が戦車しかないってのがゲーム性に対して問題になるし、第一「その駒がどの戦車だかわからないよう伏せておく必要がある」というのではフィギュアを使う意味がない。
というわけでチェスなんだけど、チェスでやるにしても問題は山積だ。
要するに駒集めが大変ということだ。特にポーンは最低8輌(自分だけで1セット作るなら白軍8輌+黒軍8輌=計16輌)、しかも僚車はなるべく同じ塗装のもので揃えたいとくればかなり大変。
ともあれ大変大変言っててもしょうがないのでまずは手持ちの駒で一軍をつくってみた。
今回の編成は以下のとおり。
![]() |
ポーン: III号突撃砲G後期型 単色迷彩&三色迷彩混成 |
| いきなり戦車じゃないけどまあこれはこれで。塗装も揃ってない。 ていうかドイツ軍ものでIII号突撃砲以外に8輌以上持ってるのはあとヤクトパンターとティーガーIIしかなかったけどポーンがそんな強そうではアレだろと思って必然的にこうなった。 |
|
![]() |
ルーク: ティーガーIIヘンシェル型重戦車 単色迷彩 |
| ティーガーIIは、なにしろ「キングタイガー」と呼ばれてたくらいだしその機動力の低さも全方向1マス進行のキングには相応しそうではあるんだけど、なにぶんにこの強さがキングには相応しくないと思ったのでここは両翼を担うルークに。 | |
![]() |
ナイト: ヤクトパンター重駆逐戦車 単色迷彩 |
| ナイトの変則的な動きには戦車狩り戦車が相応と思ったのでヤクトパンター。おれはこのヤクトパンターが一番好きだ。 | |
![]() |
ビショップ: パンターG型中戦車 3色迷彩 |
| ビショップはなんとなくパンターだろうと思っていたのでわりとすんなり。単色迷彩を持ってないのが口惜しいところ。場合によっては海洋堂のWTMじゃなくてドラゴンのマイクロアーマーシリーズのパンターを使うのもいいかも。 | |
![]() |
クイーン: ティーガーI後期型重戦車 ミヒャエル・ヴィットマン007号車 |
| クイーンはチェス中最強の駒(将棋でいう飛車と角の動きを合わせたやつ)なのでなんかとりあえずレアで強そうなやつっていうとヴィットマンつきティーガーIだろということで順当に。 | |
![]() |
キング: キューベルワーゲン 砂漠迷彩 |
| キングのイメージだとシュトルヒ(写真左の飛行機)が相応かと思ったんだけど、シュトルヒを入れたらそれだけでマスが相当でかくなってしまうという理由により除外し、ならキューベルワーゲンとかどうだとなって今回はこれに。 ちょっと見栄えが弱そうだけどキングなんてのはそんなもんだと思うのでまあよし。 |
今回はたまたまこんなかんじにしてみたけど、88mm高射砲とかII号戦車とかIV号戦車とか、持ってる駒にあわせていろいろ編成してみるのが楽しいだろう。詳しいひととか改造できるひとなら時期とか戦場にあわせた編成とかもやれるだろうし。
次はソヴィエト軍だな。
あーしかし対ソヴィエトだったらドイツ軍も冬季迷彩に揃えてみたいよな。んー。
とかなんとか遊ぶ以前の段階でけっこう楽しめる。というか実際遊ぶとなるとそれは単なるチェスになるのでチェス自体を楽しめる(つまり強さが似たり寄ったりな)プレイヤのひとをつかまえてこないと難しいのでまた難度が高くなるっていうか。
アラゴルンで(一応)クリア。難度はNORMALのまま。HARDはきつそうだ。
あたらしい気分で再スタート、これまでのステージはもうだいたいわかってるのでサクサク進み、そのままの勢いで難関だった対カタパルト戦もサクっとクリアして、迎えた最終ステージがまた大変だったのでこりゃ今日クリア無理かなと思ったけどどうにかなった。レベルは10まできてるしスキルもだいたい取ってたから(体力強化だけは1個しか取ってないので打たれ弱いのがネック)これで問題があるとすればおれの技量と戦術だけのはずだった。
相当泥臭い(=連打に頼った)勝利だったので、再プレイしてもうすこし戦いを組み立てていったほうがいいだろう。
延々終わる気配のない乱戦が続くのが辛かった(普通に討ち死にしたり城門破られたりして途中6,7回ミッション失敗していた)から、最後のトロル2匹がやってきたときはあーやっと出口が見えたと思った。一条の希望の光だ。連中は確かに脅威だけど出現さえしてくれればどうとでも殺せる。こいつらさえ殺せばたぶん出口が見えるだろう、と思って元気よく斬り殺したら案の定そこでステージクリア。はしょりまくりのエンディング。
次はギムリとレゴラスだ。
GC版LOTR TTTのセーブデータを一旦消去して最初からやり直したりしている。
モリアの玄室の戦闘中盤でケイヴトロルを殺さず延々と出現するオークなどをプチプチ殺しまわったりして経験値稼ぎとか。たぶん時間制限なし(?)で雑魚的が無限(?)に出現するポイントってここだけな気がするので、ここで延々戦ってると実は後半結構楽ができるのかもしれないなっていうか。
「春の行楽シーズン」っていうけど花粉症が蔓延してる現状っていうのは地域の観光関係業者には結構なダメージになってるんじゃなかろうかとか思った。レジャーとしてはむしろ規模がでかくなって沖縄などの花粉の飛んでこない地方に退避するひとまで居るとか、そういうニュースはちょっと前あったけど。だいじょうぶ?
sawadaspecial.comの「もの凄い勢いで発売される「僕たちの好きな」シリーズ一覧」を見て、以前このシリーズを本屋で見かけたとき素通りしつつ抱いた感想を思い出したのでメモ。
「僕たちの好きな」っていうフレーズは、そのタイトルとしての趣旨説明の明快さ(どういう層にどういう方向性でどう読んでもらうことを目的としてその本が作成されたかがタイトルを一目見ただけでわかるようになっているという点)において他に類を見ないほど優れていると思う。それゆえにおれはこのシリーズを買うことがない。
スピルバーグ氏の映画のCMと同じでその商品が自分にとって「おもしろいか」「つまらないか」が一目見ただけでわかる仕組みになっており、そして「僕たちの好きな」という企画意図はおれにとって有意義な時間を提供しないだろうと一目で判断できるので素通りする。情報→判断に時間を取られないのでたいへんありがたい。
他人がしこしこ作ったエロ本を買うぶんにはやぶさかでないが他人がせこせこ作ったズリネタ集を買うってのはどうなんだと思うわけだ。そんなもの自分で作ればいい。でもあれだな、こういう本がなんのかんのと続いてしまうっていうのは、それだけ世間のひとが自分で自分用のズリネタ集なんか作ってるひまがないからそこいらへん全部とはいかないだろうけど大多数の部分をフォローできてそうな市販品買って済ましとくかみたいな気分になってしまいがちなほどに忙しいってことなのかな。
なんかこう多様化と画一化が同時に進んでいてどっちが主流ともいえそうにないからオタ周辺の状況もむつかしくなってきた。浅オタと濃オタの乖離並行状態みたいななんとかかんとかとかもよく言われるが、そういうことじゃなくて朝まで生テレビみたいなこの現状のつまんなさっていうのは、まさしくこういう状態のことなんだなというか。まだよくわからん。
朝寝て起きたら夜だったのであーちくしょうこの週末なにしようかとか考えながら煙草を吸って、今年はひつじの年だからひつじの肉を食おうと思ってたけどまだ食ってなかったので今日食いに行くことにした。
サグマトン(カレー)、マトンコルマ(カレー)、パコーラ(天ぷらみたいなもの)、ふつうのナンとガーリックナン、それにインドビール。うまかった。TATEがアメリカから帰ってきたらまた行こう。
さてなにやろうか。なにもしないっていうのも、いいんだけど。
1メーテルは何メートルか?
感覚的には1メーテル=2メートルくらいだろうか?とか、鉄郎と一緒に立ってる絵とか見ながらまず適当に数字を当ててはみたがこの2メートルがおれに対して持つ納得力は完全に0であり、おそらく他人に対する説得力も限りなく0に近い。
昼間20分ばかりいっしょうけんめいネットで調べたりひとに電話で問い合わせたりしたんだけど、公式設定を探り当てることはできなかった。調べ方が甘いのかもしれないが、なんとなく「メーテル法は、仮に公式のものとして存在したとしても鉄郎との対比指標程度のもので、そもそも数値化されていないのではないか、というか仮に数値として存在したとしてもそれはたとえばアニメとかフィギュアとかを作る場合における「仮公式」的な便宜的な扱いに過ぎず松本零ニ氏に「この身長でOKですか?」と聞いたらたぶんNOと言われるのではないかな」とかものすげえ勝手に推測してみた。
メーテルが鉄郎より明らかに長身であるのにはそれだけの理由がある。キャラクタ同士の心理にとどまらずシーンとしての情景的な描写が彼女を長身にする。松本零ニ氏の漫画は現在主流にあるような視覚的リアリスティックとは相当にかけ離れているけど現在ほとんど見られなくなった個人の心象表現技術的な観点で比類なくリアルなものだと思うし、そしてその技術は氏の漫画のほとんどすべてを裏付けているが、ただ一点女性に関してだけは情景的な写実表現をはなっから捨てているように感じる。ただもうなんというか外見も内面も美しくある(っていうと語弊があるかもしれないがなんというかそんなかんじだ)。リアルを捨てているがゆえに等身大だ。
これから自分が描こうとする女は明らかにまぶしい光を放っていたが、自分が描く漫画において白よりまぶしい光を表現する技術がそこにないとあらかじめ知っていた松本氏は女をただ美しく描いた。生半可にまぶしさを表現しようとするよりはるかに正直だったし、結果的にそれは個人として最もリアルな情景を描くことにもなった。のではないか、みたいな松本零ニファンのひとにでも見られた日には即日監禁されて小刻みに膝蹴りを入れられながら永劫の説諭を喰らいそうな適当なことを酔っぱらった勢いで書いてみたりしたが、まあともおおむね方向性としてはかくそういったかんじの考えのうえでメーテルの身長を想像してみれば、それはメートル法とかいう地球の地点-地点の距離を何分の一してみたいな決め方でつくった度量とは最初から比較できるようなものではないとわかる。
メーテルの身長を知るためには、まず自分の身長を知らねばなるまい。そして自分のありさまやありかたを考えなければならないだろう。
表記するならたとえば「1メーテル=1.7おれ」というふうなかたちになるだろう。いや1.7とかまでではないか、1.5…1.65…あたりか。そんなものは日によって変わるだろう。2.3くらいの日もあるかもしれない。なにがあろうと1より小さくなる日は来るまい。ともかく第三の基準に委ねるのではなく、常に自分と対比させることが重要だ。メートル法でメーテルを捕まえようとしたところで、どこまで追っても逃げていく陽炎のようにメーテルを捉えることはできないだろう。あくまでも自分の目で見極めなければならない。メーテルは幻想だ。幻想を捉えることができるのは自分だけだ。幻想とは自分にしか見ることのできない現実だからだ。おれが見上げなければそこにメーテルは立たない。
おれは鉄郎になりかわることではじめてメーテルの大きさを特定することができるだろう。
ハーロックの位置に立つことができれば、メーテルをあんまし見上げなくても済むかもしれない。
とかいうことを、さっきまでやってた飲み会中延々と考えていた。
たった今から斧を持ち山へ行き、手当たり次第杉の木に打ち掛かってみて、己の無力を思い知るのもいいかもしれない。
なんかほんとどうでもいいんだけど現在目がおかしくなってて視界の端のほうでずっと蜘蛛のような虫が這いずり回っているように見える。ぶれてるかんじというか細かく波打ってるかんじというか。熱は下がったが頭は揺れている。
赤松健氏の新連載「魔法先生ネギま!」という漫画には31人のヒロインが登場するらしいのだが先週号の表紙のアオリ文句には『30人のヒロインが君の恋人』と書いてあった(3/5付参照)と中里一氏の日記で触れられていた。萩尾望都氏「11人いる!」では10人のはずが11人居て問題だったが「ネギま!」では31人のはずが30人。一人少ないぞ!問題だ。
それはそれとして、中里氏の独特の文調は読んでてきもちがいい。
おれの場合は単純に、
のうちどちらかが妥当なところだと思ってみた。
まあそれはそれとして、赤松氏はどのような勝ちを見込んで31人ヒロインという大看板をぶちあげる気になったのかについては興味がある。ヒロイン1クラスぶんと聞いておれが最初に連想するのは園田英樹氏の「絶対無敵ライジンオー」における1クラス全員主人公必勝説であり実際あれは実に優れて正しい理論だったと思うが、ネギまのケースはライジンオーとは違って抱える大テーマが「クラスvsジャーク獣」のような対外のものでなく「ネギまvsヒロイン31人」という集約的な構図であり31人内の相互関係の多様化にはあまり期待できそうもない。
つまるところ、頑張ればなんとか全員ぶん名前を覚えられないこともない人数のメインキャラが居るドラマの利点は内部にコンフリクトをいくらでも突っ込める点にあるが、登場人物にありうる大ハッピーエンドが1種類しかないという状況ではその利点がうまく活きないのではないかという懸念だ。おそらくそれぞれのヒロインに想定しうるハッピーエンドを長い連載のうちに多様化させ、うまいこと読者に対して散らしていく作業があるのではないかなあと予測するところだけど、それはやはりボンクラの矮小な想像に過ぎないので未来を見据えた大ヒット作家赤松氏になら21世紀型の勝てるラブコメ理論がすでに眼中にあるのかもしれない。あるいはすでにここでおれは勘違いをしていて、物語の構図は最初から「ネギまvs31人」ではないのかもしれない。
すくなくとも「だんだん影の薄いヒロインから順にフェードアウトしていき、結局メインヒロインが数名まで絞られる、とにかく最後に全員集合でハッピーな一枚絵があればなんとなく多幸感があり満足」みたいな事態はありふれているので見たくない。いやありふれているものを見たくないというのがすでにマイナー志向かもしれないのでここですでにおれは罠にはまっているのか。
「どんなのでもいいから、とにかく女を描けないやつはウケない」とはよく言われることだし、それはおれも正しいと思うけど、赤松氏がそのジンクスを三歩くらい進めて「とにかく紙面に女キャラの占める比率を上げればウケる、そして読者の「それがどのキャラクタであるか」についての興味は実はそれほど強くない」みたいな仮説に基づいて実験してんだったらすごいなと思うけど、そんなことはないよなさすがに。
あと、Mさんが数年前から「これからのギャルゲーは萌える男キャラを組み込まなければ絶対にウケない」と力説していて、たとえば「おねがいティーチャー」の主人公とか「マブラブ」の主人公の友人とかは明らかに意図してそのような要素となるべく作品に組み入れられており、最近になって一部エロゲオタの間で「To Heart」の雅史の再評価が進んでいるのは時流の覚醒の顕れであろうなあとか思うので、「ネギま!」の主人公にも当然萌え男としての性能を期待している。むしろ赤松氏が今後もラブコメのエッジを突っ走るためには31人のヒロインたちが全員ブラフに過ぎなくて真の萌えキャラはネギまでしたよーみたいなことを公然とやってみせるくらいの悪辣さも必要になるだろう。めざせ萌え男キャラまみれハーレム漫画。
その意味「ネギま!」には主人公以外にまた別の萌え男が登場するのではないかと予測してもいて、それが「31人の中の30人以外の1人」なのではないか、とも一瞬思ったんだけどちがうかなやっぱ。自分が男であるという表明をしながら無理やり女装させられて困った顔をする男キャラはオタにとって萌え男になりうるけど、男であることを隠して男に接する女装男というのはメジャー少年誌において萌え男として成立しうるのか(その過程をどう描写するかによってどうとでもできはするだろうけど、取りうる手法ってのが掲載誌によって制限されはしないかみたいな懸念とか含めて)。
あと「ネギま」で検索したらかもネギまつりが上位に。カモ汁が大好評だったらしい。
ページ下に鴨写真が配してあるが、カモ汁化したのはかれらではないよな?
風邪がひどくなって一日寝込んでしまった。
というか、ただの風邪だよな?よくわからない。
正月にちょっとだけ見ていたSTの流れを汲むTVシリーズ「ENTERPRISE」の続きを見たくて悶々としていたんだけど、このたびHさん経由でお願いして録画分をまとまった量送ってもらえることになった。で、届いたので早速見ようと思ってTVつけたら頭痛がひどくなって、昨夜さわりだけ見て止まってる。
ENTERPRISEは逃げないから体調がよくなってから見ればいいんだけど、せっかく届いたんだから速攻見たいじゃないかという気分があってそれが理由で口惜しさを感じる。しかしこういった状況で安易に先走ってしまえば第4話「STRANGE NEW WORLD」でクルーが遭遇したような自滅危機に見舞われることは必至だ。
トゥポルの意見は正しい。正しいが、ままならないものだな。
全然関係ないけど、ジョナサン・アーチャー船長の第2話でのこの台詞(wav/28KB)でちょっと笑ってしまった。
いやこれ自体べつにおもしろおかしい台詞ではないんだけどっていうか、あーおれはこのシーン(真面目で重要なシーンだ)でちょっと笑ってしまったことを恥じるべきだなあと思ったので念のためにクリップ。
英語喋るとき日本語でものを考えていてはしょうもないのと同じように、ドラマを見るときにはドラマの根底にある(と推定できる)制作的脚本的脚色的演出的そのほか様々な世界観や価値観に自身のそれを同調させるべく心がけていき、最終的にドラマと気分を共有しながらドラマを見れる状態になったほうがより楽しめるのは間違いない。それは架空のものであるドラマをその場に限っては事実として、現実として捉え自分もその当事者であるかのように追い、状況に立ち会う(その気分に没入する)ことのできる状態にほかならないからだ。
おれはオタだから普通の人間よりは多くへんてこりんな作品を見ている。それは結果として普通に考えたら相当無茶苦茶な作品を見ても自己を失うことがなく、見終ったあとにまで作品内にあったような考え方に引きずられずに元の自分に帰ってくることができるということでもある。経験と慣れ、そして意識的な防御だ。逆にいえば作品を見ている最中には作品世界へ普通の人間にとっての回帰不可能線を超えてインサイドできる(=それをしても大丈夫な)のが強みだ。
こと作品鑑賞に関するかぎり、限度を超えればおれもまた発狂するだろうが、滅多なことではそうならない。より深くまで潜れるよう訓練を積んできた、つもりだ。
作品によっては同調が困難だったり不可能だったりもする。対象に一貫性がないのでこちら側がなんらかの人格の形状を維持したまま同調するのが困難(多くの場合これだ)、深く潜るほどの余地がない(深くないならそこから先を自分で勝手に掘ればいいわけなので、これを理由にするときは大抵「掘ってもあまりおもしろくならないだろう」と判断した場合だ)、投射できるほど世界や価値が大きくない(いい歳こいて対象年齢3歳〜5歳のソフビのおもちゃなどを買って、おもちゃの出来が悪かった場合などに抱く気分がこれにあたる)、そういうふうに感じられる場合。
またはそれらの要素を十分備えていると感じられるものの自分の側の原因で同調能力が及ばない作品。要するに趣味が合わないものや、同調しようとしてもとっかかりを探すことができなかったもの。
そういう場合はオタでも非オタでもかわらない。部分的な理解とか同調によって楽しんだり楽しめなかったり共感したり反発したりとかしかできることがない。いまひとつ満足感や心地よい疲労感から遠くなってしまう。
その意味おれにとってこの「アーチャー船長の台詞でちょっと笑ってしまった事件」は屈辱的といってもいい。今回のケースで作品側に不備はなかった、真面目なシーンで観客を笑わせる意図やノイズが挿まれる余地はなく、あの台詞はごく自然のものだし邦訳として妥当なものだろうと判断できる。ここでおれが笑ってしまった理由は一方的に自分の側にある。おれだ。おれが問題だ。おれの同調能力がこんなしょーもないきっかけで乱れた。滝に打たれるべきだろう。
原因がプリミティブであるほど問題の解決は困難になっていくものだし、死ぬまで完全な同調などはできないだろうと思ってもいるが、やはり実地に失敗があったという事実は大事だ。
なんかまた熱が出てきたので、寝る。
以前Sさんに見せてもらった、ブッシュ氏がひとつの指輪をはめている写真(もちろんコラージュ)。んー、よくできてる。しかしこの指輪を嵌めて姿が消えないっていうことはブッシュ氏が冥王っていうことになるんじゃないかと思うんだけど、それはどうなのかな。
(ブッシュ氏とクリントン氏を間違えてしまったので訂正。すごい勘違いだ。クリントン氏はこっち)。
消える消えゆく日本の言葉。ひとつ消えたってふたつ生まれる勢いだからべつに困ることはないとはいえやっぱり失われていくっていうそれ自体は勿体なくも感じてしまう。背広。とっくりセーター。ジーパン。ところでズボンは日本語なんだそうだ。
ジーパンに関して占領時米兵(GI)が穿いていたパンツという意味でGパンと命名されたという説。あとジーンズメーカー側では「ジーパン」ではなく「ジーンズ」を公称とする申し合わせがあったとか。べつに各社自然とそうなったんじゃなくてかたくなにジーンズである理由にはそうした業界の意思統一があったのか。
なんかもう日を追ってひどくなってきてるかんじなので花粉症対策本部をメモ。スギの野郎どもは花粉飛ばしまくってお盛んだ。動物だろうが植物だろうがおれたちゃ子孫をバンバン作っていきたいんだぜみたいな心意気はそれ自体まことに結構なことだと思うんだけど、このままではおれがたまらんので迷惑セックスには是非反対していきたい。
杉とかにこの時期でかいコンドームみたいなのをおっかぶせるわけにはいかないんだろうか。効果がないか、金がかかりすぎるか。
伊藤園のジャスミン茶っていうのがコンビニで売ってるのでてたまに飲む。わりと好きだ。
でもあれがカスミン茶だったらたまにとかじゃなくてそれはもう毎日浴びるようにがぶがぶ飲みまくるよね絶対、みたいなくだらねえ話をした。
そういえばTVシリーズの「カスミン」はあの荒ぶる荒俣宏大先生が監修しているというのになぜあんなに普通におもしろかったんだろうかっていうのがいまだ不明のままだった。
なんかものすごく聞き上手で観音力の権化みたいな凄腕プロデューサーのひととかが居て「大先生のお話は私が伺っておきますからあなたがたはいまのうちに制作しなさい」みたいなかんじで大先生の情報の渦(普通のひとだと30分で溺死する)を水際で喰い止めたりとかするいい仕事が裏側でこっそり光ってたりするんだろうかとかそういう説を立ててそのままだったな。
カスミンついでになんとなく似た単語で調べていたらみつけたガスまる&ガスミンの地震ハンドブック。…ガスミン?そう、ガスミン。これがガスミンらしい。
なんだ、かわいいじゃん。
あとキャスミンはジュエリーメーカーらしい。
もうちょっと遊んだ感想っていうか妄想。といっても遊んだのはまだ1-3まで。
サクサク短いステージを数こなすのかと思ってたら1ステージを結構長く感じるので、ちょっときついかもしれないと思った。
もうすげえ眠たいから寝る!すげええええええええ寝る!目標10時間くらい。と思って寝てみて実際ものすごく寝たという気分で目覚めてみたら1時間ちょっとしか寝てなくて、そんな馬鹿なと寝なおしてみたが追加で2時間ばかり寝れただけ。馬鹿な。
昨日。そろそろ岡昌平「アポなし3」も同人ショップに委託されてる頃合だろうとものすごく適当に見当をつけてとらのあなに行ってみたらあったので買った。ついでにいろいろ買った。
けっこう金つかったな。
岡昌平氏の本はとりあえずなんでも買うつもりなのでふつうに買った。おもしろかった。
「APOCALYPSE NOW 3」は今年春頃、今度こそ出るらしい。
神林長平氏の本はたぶん中身すごく前に読んだことあるんだけど一応買った。
いつ読んだのか、またはじつはまだ読んだことなかったのか覚えてない。
上田大王氏の中古同人誌は、これは一連のセーラームーン変形創作のまとめ本(3冊in1)だったのでおれはこれずっと欲しかったので買った。6,7年ごしくらいか。正確にいうとおれが自分で持ってたことがないのが「Teen's Road」と「Olive」で、「家族リセット」は確か2回くらい買った記憶がある(それぞれ2年間隔くらいだったと思う。買うたびどっかいくんだ不思議と)。
でも上田大王氏の同人誌はいつも欲しいからあったら買おうと思うわりに見当たらなくて手に入らなかったり中古価格が高かったりすると買わなかったりせっかく買ってもちゃんと末永くとっておくっていうことをしなくてどっかいったりひとにあげたりするので同じの何度も買ったりシリーズっぽいものの最新刊がきたと思ったら前の本がもうどっかいってたりで改めてまとめて読み直すっていうようなことができないんだよな。だからおれこのひとの漫画好きで追っかけてるわりにあんまり数読んでない気がする。というかこれまでに何冊描いてるのかも知らないし、あまり知りたいとも思ってない。んー。
だからセーラームーンのシリーズも何冊出たのかよくわからんのよね。ほかにフジンコーロンとかもあったと思うんだけど。ちょっとでかい版で。あとコピーとかだったらもっとあんだろうな多分。セーラームーン虫とか。あーあとそういえばこのひとのVガンダム関係の本とかカットとかも機会さえあれば全部まとめて読んでみたいんだけど、たぶんそういう機会は一生ないだろうな。
へんなかんじだ。なんていうのか「いいよおれが読めなくても好きだけどこの世のどっかに固着しているってことがわかりさえすれば」みたいなかんじの、おれの中でへんなポジションを占める漫画だ。
「あかキき」っていうのはPC向けの同人ACTで、このあたりをまじめに作っているひとには今後ともがんばってもらわないと困るので一応買っておいた。
アクションゲームはただでさえ制作難度高めなゲームジャンルであるうえにこれがおもしろいアクションゲームとなると制作するのは本当に至難(というか名作ACTなんか作った日にはそれだけでゲーム史に残っちゃうくらい希少だと思う)、そのへんを同人ゲームに期待するのは酷と思うのでゲーム自体には正直あまり期待していないっていうかそこで同人のひとにおもしろいアクションゲームなんか期待するのはいくらなんでも酷だ。で、それはそれとしてわりと丁寧に作ってあるかんじで好感触だったので買う気なかったんだけどなんとなく買ってみたのだった。
とか言ってるとあーこれだからうんちく垂れぞうの腐れゲーオタは鼻もちならねえなとか思うけどまあしかしそれがおれだ。
ちょっと遊んでみた。
2Dスクロールアクションゲームで3ボタンは多すぎると思うのでそのへんどうかと思ったけど、同人ゲームだからそこいらへんは構わないのかもしれないなっていうか逆にこのゲームはご覧のとおり3ボタンなので多少の甘さをあらかじめ覚悟しておくれという一種の制作者さんからのスタンス表明的な仕様とも解釈できるわけだし、あと最初はいかにもチュートリアルなアクション練習なのであとのほうになったらちゃんと3ボタン操作の必然も出してくるのかなと思っておく。攻撃にボタンを振る必要はないんじゃないかなと思うんだけど掴んで投げボタンに攻撃も織り込んじゃうとまんまクロノアですみたいな話になってしまうのでそれはそれでアレだったのかっていうかそもそも違うとこ目指してるのかな。しかしいまのところプレイ感はWS版クロノアのそれが一番近い。
んーしかしやっぱり3ボタンは多く感じてしまうな。古いかおれは。
一応クリアするまでは遊んでみようと思った。
「君が望む永遠」はさっぱりなのでストーリーとかはよくわからない。ストーリーがおもしろくないと楽しめないようなアクションゲームを遊ぶのは辛いので、そういう意味でストーリーに興味がわかないというのはおれがこのゲームを気楽に遊ぶためのプラス要素に働くんじゃないかなと期待している。
新文芸座の「旧ソ連産 奇想天外!! 空想科学映画集」というのがおもしろそうだ。3/15。ひまならいってみよう。
今日ものすごくひさしぶりに、3年ぶりくらいで街中で学生服を見かけて感動した。都内でも学生服の学校てまだあったんだな。いやもうなくて、ファッションだったり実は大学の応援団だったりとかしたのかもしれないけど。
今日ものすごくひさしぶりに、2年ぶりくらいでネットで「オタッキー」て単語を見かけて感動した。ネットといえども現実と同じように古いものは新しいものに覆われてどんどん隠れて消えていってしまうのでそうやってなくなっていくものには多少の注意を払わないといけないな。
おれのこの日記をWindowsのメモ帳で書いていて、メモ帳はF5キーを押すと現在時刻がスタンプされる仕組みを持っている。だからおれはこの日記を書くとき、いっこまえの日記のかたまりをコピペしてきて、タイトルを書き換えて中身を消して新しい日記を書いて、最後にタイムスタンプの部分を消して新しくF5キーを押す。そうすることで日記と日付が積み重なっていくという仕組み。
この、最後にF5を押すっていう現在のやりかたをわりと気に入ってる。作業行程としてはまだその先にCtrl+Sでセーブしてftpソフトを立ち上げてTripodにつないで日記のindex.htmlをドラッグ&ドロップするっていうのが残ってんだけど一応文章編集作業っていうか脳みそに負荷のかかってるまたは脳みその負荷を抜かす作業はこれにておしまいっていう部分で区切りをつけるのが、このF5キーだからだ。
あー書き終わった、のサイン。おれはF5キーが好きだ。
3:03 2003/03/03, Press F5.
森薫「エマ」2巻と「シャーリー」を読んだ。普通におもしろかった。
この、普通におもしろいってあたりのポジションていうのはしかし、またむつかしいところにあるな。「エマ」を読んでいて、そういえば「少女ネム」もコミックビーム連載だったけどあれもへんなリズムの漫画だったなと思い出したりした。
ヴィクトリア朝時代の漫画といえば、もとなおこ「レディー・ヴィクトリアン」とかもあるわけなので併読してみたけどこりゃまた全然違うね当たり前だけど。かたやメイド、かたやガヴァネス。だけど近い部分てのも結構あるわけなんだよなこれまた当たり前だけど。
エマ。んー。メイドのエマ(エマの)。エマ中尉(ガンダムの)。エマ・ワトソン(ハーマイオニーの)。メイドのエマ・ワトソン中尉。んんー。とか、夕方自転車こぎながらどうしようもなく下衆なボンクラ妄想をしてしまったので反省しきり。
イメージのカスケーディングなんていうのは精神乾燥の最果てだ思うので自分がそれをやっている様は愉快なものではないっていうかもう絶望的にどうしようもねーなこれだからオタってやつはみたいな突き放した気分になる、ひとつのつまらなさを隠すためたくさんのおもしろくなさを振り撒くようなかんじ。おれのオタとしての限界を見るようだ。
というかおれの限界、境界線っていうのはまさしくここなんだろうな。線っていうものは誰かが引くからそこに現れるものなんだし、そして自分の境界線を引くやつといったら自分しか居ない。それをわざわざ踏み越えるようなやつもまた自分しか居ないわけだが…。
先週TVでMichael Jacksonの特番があったというので録画してあるやつを見た。結構な評判であったらしい。
久々のマイケル新映像ではあったけども、Mさんは「MJのファンならいまさら驚くようなものではない」と言っていたがそのとおりで、これまでにMJのPVを3本でも見たことがあれば「あーさすがマイケル全然変わってねええー」っていうような内容だった。全般的に内容が薄い。わざとだろうけど空回り感の高い演出が多く、しかしそのわざとらしさを差っ引いても随分間延びした印象。しかしこれは、おれにとってのマイケルがこれまで常にPVの圧縮感と共にあったからかもしれない。そういう意味ではあらゆるTVドキュメンタリーはPVより間延びしていて当然なのでそれで正しいのか。んー。
ただまあしかしPV集の冒頭とかでよく出てくる、マイケル見て気絶する女とか感極まって絶叫する女とかショックで腰抜かす女とか、いまでもやっぱ普通に居るんすねさすがキンゴブポップっすねみたいな部分が第三者(レポータ側)視点で確認できたのは収穫といえば収穫だったのかも。
続けて「DANGEROUS : THE SHORT FILMS」を見たんだけどやっぱすげえのな。
すごいうえにドキュメンタリー番組のほうで描かれていたような秘密の疑惑の異常のスーパースターのMJっていうよりはるかに高い奇天烈野郎マイケルジャクソンの本領発揮という内容なわけだからドキュメンタリーとか流してるひまあったらDANGEROUS THE SHORT FILMS見たようがよっぽどおもしろいし退屈しないし濃いしたのしいじゃんと思った。
いやあんましおもしろくないドキュメンタリーはTV放送用で回答編のDVDは「DANGEROUS THE SHORT FILMS」だからTV見て気になったみんなはこれ買ってねっていうプロモーションかもしれないからそれでいいのかも。これだけのものは金取らなきゃいかんよなと。
ところで「In The Closet」のPVで共演してるナオミ・キャンベルは何回見てもとにかく異常だ。
もちろん「BLACK OR WHITE」はすごいし「REMEMBER THE TIME」も好きなんだけど、DANGEROUSを語るうえで忘れちゃいけないのはいつだって「IN THE CLOSET」だ。ナオミ・キャンベルの、歩く冗談みたいなプロポーションと圧倒的なエロっぽさ(「=エロさ」ではないかんじの)。普通の人類は猿から進化してきたと思えるんだけどナオミだけはなんとなく先祖が猿ってかんじがしない。なんだろう、たぶん、牛。ひとりだけ牛科の人類やってますみたいなかんじ。放ってるオーラの質量だけじゃなくて実は種類まで違ってましたとかだったら納得できる。
「DANGEROUS」でマイケルと共演するいろんなひとたちの中でマイケルの存在を唯一「食ってる」と感じる。ほかのひとたちだって当代きっての連中なんだけど彼らはマイケルと同じ「動く」ことによってのみマイケルと拮抗せざるをえなかったのでただの共演者に収まったが、ナオミだけは「ただ存在する」という戦闘力によってもマイケルと勝負することができたので、一面において彼に勝利することに成功したんだろうなと思う。
主役×時代現象としての共演者、という構図によってそれぞれが十二分に魅力を発揮しつつ拮抗し、かつ最終的に半歩だけ主役が先んじる、というくらいでなければスーパースターの共演というかたちでPVを作る意味などないからナオミをものすごく撮って演出するのはマイケルをものすごく撮って演出するのと同じくらい重要で肝心なことなんだろうけど、それにしたって思わずちょっとやりすぎちゃったというような感がある、ような気がする。
MECHASSAULTをMULTIPLAYで二人寂しく遊んだりした。
LOTR TTTの、外人の攻略やってる掲示板を適当に見て、国内で攻略やってる掲示板を適当に探してみて、評判通り全般的にやっぱ外人の攻略のほうが言ってることの難度が普通に高いなと思った。こんなの出来てあたりまえみたいな厳しい言い方がほとんどなくて、できないやつが居るなんて最初から想像もしてないよーな和やかな対話。あー、こういう対話ができるようになるまでの階段っていうのが、これがすげえ遠くて高いんだ。
普段から速いゲームやり慣れてんだろうな畜生、ゲームうまい連中っていうのはもう。
Regularクリア。脅威順に的確に殺せの鉄則。
MULTI PLAYERを一人寂しく遊ぶということなどをしてみる。
一応難度Veteranのプロファイルを作成しておくけど、Veteran以降はLOTRをクリアしてからだな。
風邪はどうにか片付いたけど花粉症が。かふんしょお。
MECH。Greenではクリアしており、現在Regularの最終面。最後の猛攻がとにかくきつい。一応段階的にだけど敵側最強クラスのMECHが2機ずつ現れるので、ぐずぐずしてると1対4とかいう状況になってしまい集中砲火で即死。Greenだとそれなりにきつかったけどなんとなーく勢いでクリアできたんだけどな。Regularだとこういう状況でごまかしがきかない。
ファイアボールの使いどころとかもうちょっと考えないとだめっぽいし、あとはバリアの使い方が肝かな。
つうかMECHASSAULTの最強MECHは「RAGNAROK」っていうやつなんだけどこの機体にはロストテクノロジーも使われているらしいのでははぁこれはギャラクシーエンジェルと同じ世界を共有しとるのだねと思ってみればそれなりになごやかな気分になった。
雨がうっとうしいので、明日日曜だし、まだ電車でおでかけできる時間でもあることだし、特にあてどなく雨の降ってなさそうな方向に電車小旅行でもして、晴天の夜を適当に散歩などして明かすのもいいかと思ったので東京アメッシュで現在の空模様を調べてみた。
ギャー、全域雨じゃん。これだと雨天脱出のためには新幹線とか使わにゃいかんのかな。
とたんになにもかもめんどくさくなったのでやめ。