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03/02/01-15
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日々

だいたい冗談で冗談をやっているというありさまがおもしろいわけがない。いとうせいこうだって言っている、TVで芸人が「ヤベー」と言ってるときそこに本当に危険な状況などはないと。笑いながら電源を引っこ抜いて放送事故を起こすようなやつこそが本当にやばいのだ。特別な気分でやべーやべー言いながら盛り立てて行事を行ってる連中はその時点でつまらない連中だということが大決定されているのだ、それは自分自身でそのことを保障する行為だからだ。
普通にやっていることが冗談にしか見えないからおそろしいし、おもしろいのだ。おもしろさは危険さで、狂気の副産物だ。安全な娯楽などというものはないのだ。レトリックだ。複雑系の時代が生んだ錯覚だ。特別なものでなく狂気はどこにでもだれにでもある。普通こそ狂気だ。死の予感だ。いずれ死ぬから生きているのだ。そうした現実を詳らかにしてしまうから狂気は普段あまり意識すべきものではないのだ。
マリリンマンソンが危ないという、なるほどそりゃあぶない。間違いない。当然ボーリングもあぶないのだ。狂気だ。ボーリングを規制しないならマリリンマンソンを規制するのはどうよ?とかいうような半端な温度の論理ではない。ボーリングだって規制すべきなのだ。いたって正常な判断というものだ。もし「普通に」そうならないなら、それこそが狂気の理というものだ。きちがいが常識をふりかざして普通をドラマに、ドキュメンタリーをエンタテインメントに変えていく。固着したフィルムの意味さえ塗り替える。そうして安全に受け止めたつもりでいる。なにも変わっちゃいない。現実は危険だ、本当はやばい、彼ら自身こそがだ。
世界は狂っている。

とかなんとかものすげえ適当な言葉遊びで見たこともない「Bowling for Columbine」などを肴に知ったふうな口を叩いてみる夜。

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Aさんが映画に関しておれが共感する部分はないがそれはそれとしてとてもいいっていうかすごいシャープな分析をしていたような気がするんだが会話の内容を思い出せない。筋道だった話ではなくてなにか会話の間でボロっと出てきたような一言だったような気がする。

12:07 2003/02/15

日々

自転車がペダルを踏むたびヒキガエルのうめき声みたいな音を出すようになっている。オイルでどうにかなる問題だろうか。

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昼と夕方の間の月。

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なんか最近夜中路地裏などをほっつき歩いててもみかけねーなと思ってたら昼間出ていた。

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CDとかDVDを買った。

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ADFに関していえばおれこのアルバムの海外版もってるので買う必要なかったんだけど新譜買うのが微妙にためらわれたのでせめて久々に名前見たし印税払っとくか的なあれだ。スーパーミルクチャンはDVD特典とかはあるけど大筋はshockwave.comで見ちゃったものだっていうかこれは是非swfで見ていきたいものでどっちかっていうとDVD VIDEOで見るのは仮にそのほうがよくてもなんか妙な気がする。世界のCMフェスティバルはどっちかっていうろDVD買うよりはイベント行きたかったなっていうか。要するに今日の買い物はちょっと残念だった。
残念だろうとなんだろうと金を消費するのは気持ちがいいことだしそれぞれいいものなんだから大筋問題はないのだ。ていうかやっぱしCMフェスティバルの映像はおもしろい。

8:35 2003/02/14

バチカンが宣言!――『ハリー・ポッター』を読むのは「罪」にあらず

あー、そういえばハリーポッターくんは魔法使いだから普段キリシト応答せよ!とかいうかんじで暮らしているひとからすれば結構ひどいおはなしにも見えたりしたのかもしれないのなと思った。ずいぶん原則的な話だなと思ったけど地球の向こう側とかにもなればそういう現実があっても全然不思議には感じない(いや向こうでもそういう主張は変だったからこそバチカンが宣言したってことなのか)。まあそれはそれとして2億冊弱(?)売れてる本ともなるとわざわざバチカンが宣言出すとかいう騒ぎにもなるんだな。つうかハリーポッターてGAMEBOY本体より普及してんのか(GAMEBOY本体は全世界シリーズ通算で確か1億台くらい出荷してたはず)。このあたりの桁になるとどっちがすごいんだかそれとも凄くないんだかどうでもよくなる。

なんかちょっとなつかしい話になるけどもエヴァンゲリオン放映時に似たような話題がNiftyかどこかでちょっとあったとかなかったとかいうなおぼえもあるようなないような。まあそれはべつにいいっていうかあんまりおぼえてない。

21:35 2003/02/13

Movie / MEMENTO / CHRISTOPHER NOLAN

おもしろかった。

こういう映画は一般的に一回みたら結構疲れるので、連続で二度はなかなか見れないんだけど、MEMENTOの場合は2回続けて見ても苦痛じゃなかった。非常にこなれた構成だと思う。しかも2回見てもまだ完全には記憶がつながってない。そしてそのことをどうでもよく感じる。

わかる、これならおれにもわかるぞ、突飛な設定のようでいてそうじゃない。というかそもそもアイディア自体そう奇抜じゃない、飲み屋で一晩明かせば1回くらいポロっと浮かびそうなものだ、ただそれを映画一本というかたちに組み上げるのはとても難しいだろう、そしてこの映画の監督はそれを実際にやったのだから、その点でとても偉い。見事なやつだ。
まったくいい話ではないし救いようのないどうしようもない連中ばかりが描かれる映画だが、見終わってみればどうにも「いい話を見たかのような気分」にさせられる。それはたとえばパルプフィクションなどにも見ることのできる演出技法が持つ力の誇示であり、ある種「物語にすることの残酷さ」でもあるような気がするんだけど、それはそういうものだしそのことが嫌だとは感じない。おそらくこの映画には何らかの救済がある。見えざる救いの手だ。映画の神は現実を救済しないが、魂のようなものは気まぐれにすくいあげる。
おれにとってMEMENTOは、ある種仏教的な映画のように思えた。

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雑感1。
おれはそうだしきっと大抵のひともそうなんじゃないかと思ってるんだけど、自分が5分前になにやってたのかを鮮明に覚えているひとは実はあんまし居ないんじゃないかと思う。順番に時間を辿って、現在の状態から過去を類推するだけだ。興味を惹かない出来事は片っ端から忘れる、というか最初から記憶しない。肉体は覚えているのかもしれないけどそれを掘り起こす手段を知らない。
興味がない、つまり、おれの日常はおれの興味をさして惹かない。おれは普段自分を取り巻いている環境についてとても基本的なことさえ理解どころか把握さえしようとしていない。こういうことをおれは3ヶ月に一度は考えるのにいまだこういう状態を続けているということはおれは今後も(現状が続く限り)ずっとそうあり続ける。たとえばおれは1年以上住んでいる家の、2階への階段が何段あるのかさえ今もって知らない。家を間違えず、鍵が合い、階段はきちんと登ることさえできればあとはどうでもいい。

しかしそれはもちろん「辿っていけば思い出せる、あるいは本当にはわからなくとも困らない程度に推定できる」という保障のうえでのことだ。

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雑感2。
最近「忘れること」っていうのがおれのひまひま妄想テーマのひとつなのでちょっとそのへんでこの映画から拾えるものがあったかもしれない。

たとえばポストイットがある。付箋紙ともいう。
なにかメモしておくべきことがあればそれを使う。そして書き留めたら目立つところに貼って、忘れる。ごく短い単語や短文でいい。他人から見ればほとんど暗号みたいなもので構わない。シチュエーションすべてを書き留める必要はない、思い出すきっかけとしての役割を負えばいい、おれはMEMENTOの主人公ではないからそうした能力を失っていない。メモする時というのはそれを即時実行することができない、またはその必要がない場合で、次にそれを見たときにそれをすぐ実行できる状態になっていれば実行するし、それがまだできなければやらない、またはそれを実行できる状態に近づけるための処理を行い、必要があればその付箋紙に現状を追記し、そしてまた忘れる。
付箋紙が大量に貼ってある机にまず座る、それが初期状態だ。まずザッとメモ群に目を通し、それぞれの単語や短文が何を意味しているのかを思い出し、形成体としての機能を果たせなくなっている(なんのためのメモだったのか思い出せなくなっている)ような古いメモがあれば「未処理のまま抹消」としてはがして捨て、生きているメモの中で最もプライオリティの高そうなものに手をつけ、それを処理し終えたらはがして捨てる。それら作業の中でなにかまた思いついたら次の新しい付箋にメモして、空いてる場所に貼る。
実行体と構造体をなるべく切り離すようにするやりかたっていうのか、データベースっていうかサーチエンジンっていうか。このやりかたもいい加減旧世代で非効率なもののような気もするんだけどなかなか代替となる新しい考え方がわからないので移行できない、とかなんとか延々脱線していくのでやめ。

ここでおれが突然MEMENTOの主人公状態になってしまったとしたらどうなるかというと、メモの内容やその書き方を根本的に変えなければならないだろう。思い出すためのきっかけや脳内検索ワードのようなものをメモするという現行のやりかたでは意味不明の紙屑を生産するだけだ。肝心の、核心となる最も重要なことを端的に表現する能力を要求されるだろう。おれ式とMEMENTO式ではポストイットの使い方が見た目同じようでいてその実がまるで違う。

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雑感3。
おれはMEMENTOを見てぼんやりと「前世」とか「来世」とかを連想した。
おれはそうした考え方を実際問題信じてはいないし信じるようなものではないと思っているけど(←もし転生云々を信じていないこのおれが実際のところ転生を繰り返しているのだとしたらそのシステムの動作はひとの信心と無関係ということになるので、今後もおれは信じる信じないに関らず自動的に転生されるはずで、ならば意識的にはどう考えようと問題ない)それはそれでよく妄想の材料に使う。

健常な人間は普通記憶を喪失しないが、健常な人間でもあたりまえに記憶を喪失する状況があるとすればそれはそうした生まれ変わりの時だと考えられる。前世記憶は持っていない、あるいはそれを持っていたとしても通常自覚できないのが自然だし(なにしろおれは前世の記憶など意識できたためしがないし「前世記憶を持っている」って言うようなひとはそれが特別だと自覚しているからセンセーショナルに訴えるわけで)、輪廻転生を信じるなら前世→現世の記憶初期化の状況から推測して現世→来世でも同様に記憶は継続できないだろうと考えるのがおそらく妥当だ、地獄の場合は…あれはどうなってんのかよく知らんのだけど。宗派とか違う別の思想をごっちゃにしてるっぽいなおれが。
MEMENTOの主人公は10分ですべて忘れてしまうから特別だがこれを一生というスパンに置き換えてみればそれは特別でもなんでもない。普通人間は自分の記憶を次の世まではもっていけない。とするなら彼は一生のうちに何度も転生し、しかしそうでありながら己の魂のようなものの業に従って生きている男と理解できる。ほかに特にやることがあるでなし彼にはそうするよりほかない。まさしく業というものだ。
彼を通常の人間と見た場合に特殊なのは「彼以外のすべての人間は彼と違って前世以前の記憶もすべて連続して持っている」ことだ。自分だけが前世記憶を持っていない、持つことができないので騙されたり利用されたりしてもそうだとはわからない、気付かない。

しかし彼にも前世記憶の欠片はある。刺青とポラロイド写真とメモだ。誰と会ったか、どういうやつか、なにをすればいいか、か細くはあるが辛うじてリレーすることができる。そこに拠って立ち自分を過去を記憶を現実を現在を世界を認識し、そしてなにをすべきかを判断して行う。なにもかも操られたりはしない。無力ではない。世界がどうあるか、現実はなにか、彼は自分を信じる。危ういがそれよりほかにない。そういうことをできるっていうのはとても強い。並みの業ではない。
自分が「KILL HIM」とメモした相手を躊躇なく殺せるほどの自分の現実に従う力。

彼は刺青を彫り写真を撮りメモを書いたが、それではおれはどうだ。おれには前世からの指令はないのか?刺青はない。写真もない。メモもない。母に産まれたときに持ってきたものは体ひとつのほかにはない。ならばこの体自体がなにかの指示、その表現であると理解することはできないか。そういう可能性はある。
それがどういったものかおれが知ることはできないし知ったことではないが、この体そのものに何らかの表現が含まれていたのだとすればそれはこの体が進むまま自然に生きて過ごせば自然に体現されるだろう。でなければ前世のおれはメッセージの伝え方、あるは要約の仕方を間違えたのだ。そうだったとしても現世のおれにはどうしようもないのでそれはそれだ。ノイズによって淘汰されるものもあるだろう。

ともかく、なんていうか、疑ったり心配してもしょうがない、記憶は連続しないんだから過去と現在を信じることしかできない、うまく生きる自信はないが自然に生きればどうにかなる、目の前にある自然なことを実行していけばいい、と考えることもできるなと思ってみれば、なんか坊さんとかに説法されたときみたいな清々しい気分にもなれるのかもしれない。

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というかこういう理解の仕方っていうのは神林長平っぽいのかなとか思った。んー。

9:09 2003/02/13

FFよく聞こえる

「FFX-2」はエフエフテンツーと読むと今日知った。

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テンツーだったのかよ。エックスツーかとおもってた。
そういえばそうなのだった。FF9をエフエフナインと読んでFFXIをエフエフイレブンと読むのは自然なんだからFFXはエフエフテンであたりまえだ。その2だからテンツー。あたりまえ…なのか、ちょっと不思議だ。もともとあたりまえな動機で制作されてなさそうなタイトルだなあとかいう偏見がおれの中にあるのかもしれない。

タイトルとしての「FFX-2」の前半部、FFに限って言えば、これは255っていうか256番目っていうか(電卓を関数電卓モードにして10進数で255と入力したあと16進数に切り替えてみるなどすればわかりやすい)これはもう2字最上級の強さの表現であってMAXIMUM(←縦書きで左右対称になる単語)なのであり、オタ感性的な俗っぽさでいうと最強の部類なのでそういうイメージはFFのブランド感に似合うなあと思っているんだけどそこへもってきてエックスツーはどうか。
語感がなんとなくfox-two(=「sidewinder一発撃ったよ」)に似てるっていうかあなたのオタハートを地獄の底まで赤外線追尾してズギューンと大命中よ系のギャル風味大爆発ですかみたいな非常にどうでもいい勝手な解釈によってあーそういうのもありかなラインにとどまっていたんだけどテンツーだとおれがこのタイトルに魅力を感じることは一層むずかくなった。せめてFF Xtremeとかならよかったかもしれない。南国でエロバレーやってそうだし。

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そういえばテンツーってテラホークスだと現在地確認だったっけ、違ったかも、ていうかそれはテントゥエンティ(←21:30 2003/02/13誤字修正とほほ)か。そもそも10-2じゃなかった。
それでは10-2にあたるコードはないのかと探してみると、無線用語で10-2(Receiving well)=「良く聞こえる」となるらしい。FF良く聞こえる、んー、これはこれでいいのかも。

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あと関係ないけど東京ディズニーランドの通話コード(ページ下のほう)とかを収集しているページがあっておもしろかった。TDLの場合10-10で「勤務終了(連絡可)」になってる(?)のか。実際には違ってるのかもしれないけど。

21:09 2003/02/12

日々

昨日。

気分一新、髪を切る。
髪が頭に当たる外気を防がなくなったので途端に体力の消耗が激しくなった。手袋の防寒効果は高いという。手先から抜けていく体温は思いのほか多いのだそうだ。頭の表面積は手と比べても大きい。頭に髪のバリアがないときには帽子が役に立つだろう。ともあれおれは今それを持っていないので街中を2時間歩き回っただけでかなり疲れてしまった。擬似的に風邪になってゆく状態を体感できるようだ。

適当に目につくDVDボックスでもあれば買ってみるかとHMVに立ち寄ったりしたが結局なにも買わなかった。せめて「Oh!スーパーミルクチャン ミルクのIT革命」くらいは買えばよかったかもしれない。十分に繁華街を離れてから立ち寄ったコンビニでWTM第3シリーズを3個買った。半端だ。

飯をたらふく食って、ひさしぶりに食後胃が重くなるくらい食って、そしてSさんからDVDを借りた。「マルコヴィッチの穴」と「MEMENTO」。どちらも公開時見たいと思ったが結局見なかった映画だ。借りずに自分で買ってもよかった。今後買うかもしれない。
今日は寝る。

7:05 2003/02/12

コードレス 030202

五反田の鳩

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目黒の鴉

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渋谷の犬

写真 写真

池袋の鳩

写真 写真

10:22 2003/02/11

メモ:01/08/16

親友が死ぬということは、そいつは確実におれの葬式には来ないということだ。
だから誰からも送られたくないやつは誰よりも長生きしなきゃいけない。

8:39 2003/02/11

COPY CONTROLED

CD買うかと思い立って店にいってみたらASIAN DUB FOUNDATIONが3年ぶりの新作「ENEMY OF THE ENEMY」をリリースしていたのでよしまずこれをと思って手に取ろうと思ったらCOPY CONTROLEDのマークが。

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隣にMASSIVE ATTACK「100th WINDOW」が平積みされてたんだけどこちらもCOPY CONTROLED。

世間からどれくらい遅れてるのかわからないが、ともかくおれは今日はじめてCCCD問題と直面した。あーこの微妙な気分かCCCD問題っていうのは。結局CDもCCCDも買うことなく店を出た。

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よく知らないがCCCDはCDみたいなものなんだけど普通のCDとは違うものらしい。CDプレイヤでは聴けたり聴けなかったりするらしい(傷みが早くなってしまったり、場合によっては壊れたりするようだ)。半端に互換する部分もあるけど無保障っていうかんじなのか。そういう場合「非対応」と理解するのが妥当だ。
ということはおれは(そういうものがリリースされるのかどうか知らないが)CCCDプレイヤを買うまでCCCDを買う必要がない。CCCDプレイヤを買う必要が出てくるのはCCCDプレイヤ向けのコンテンツでなにをどうやっても欲しいものが出たときで、それっていうのはつまりゲーム機を買うときの判断と変わりないのでそういうことならおれは多分今後納得してCCCDプレイヤを買うことができるだろう。
PC向けにはCCCD同梱の専用プレイヤっていうものを使えば普通に聴けるらしいんだけどRealとかQuickTimeとかプレイヤを使い分ける生活はうんざりなのでまた新しいプレイヤをインストールするのは勘弁だ。

ADFやMASSIVE ATTACKのそれぞれのアルバムは、CCCDメディアをはじめて買うという敷居をおれにまたがせるほどの求心力を持たなかった。しかしそういう認識と直面するのはちょっと悲しいかもしれない。「好きだから購入を検討するそれらの音楽」<「調べるのがめんどくさいCCCD」という構図が面白かろうはずもないのだ。パッシブを理由にアクティブを殺している。あーなんてつまんねえことをするおれ。

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よくよく考えたらこないだ小島真由美「愛のポルターガイスト」を買ったときに既におれがCCCD問題と直面する機会はあったわけだけど気付かなかった、小島真由美はいまのところCCCDを選択していないから。視聴者を視聴以外のめんどくさい問題から遠ざけてくれるこうした姿勢はありがたいなあと改めて思った。

当分は非CCCDのメジャーのひととインディーズものだけ買う生活になるんかな。
ていうかいまの環境で普通にCCCD聴けるってことが確認できたらCCCDものも買うんだけどそれを確認するのがめんどくさい。音楽は好きだけどべつに音楽メディアはそんなに好きってわけでもないので調べなきゃならないくらいなら調べる気が起きるきっかけができるまで過去の資産で暮らす。
…と思ったけどいまどきはGoogleが便利なのでさくっと糸口は見つけれらるのだった。とりあえずCCCD Channel @ JAYFREAK ONLINEをメモ。便利な時代だ。しかしこの便利さがCCCDを生んでいるわけだよなと思うとなかなかむずかしい心境。

6:14 2003/02/10

GAMECUBE / パネルでポン / INTELLIGENT SYSTEMS

もしかしてINTELLIGENT SYSTEMSってフレームバッファ機上のゲーム開発が苦手なんじゃないだろうか。いやまさかな。単にちょっと方針とかめぐり合わせの問題だよな。

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ゲーム自体はパネポンなのでとても面白いわけだがなんとなく画面まわりなどでSFC→PSへのプラットフォーム転換期にみられたような微妙感が漂っている気がする(当時あったようなめちゃくちゃひどい状態などでは無論ないけど)。用意されたライブラリがパズルゲーム用としてはちょっと不向きな仕様だったってことなのかもしれない。たまに処理落ちっていうかコマ落ちしてるような気が…。気のせいか?

なんとなくだけどほとんどの素材がNintendo64向けに作られたもののような気がしてならない。全般的に。色抜きの甘さとかぼかし具合とか含めて。この目疲れそうなかんじってなつかしいよなっていうか。ドットくっきりスキーなのでなんでもぼかし画面はつらいですよ。

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SFC版と交互に遊んでみたらSFC版のほうがきもちいい。ぐはー。SFC片付けられねえよ。

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GC版パネポンはSFCに上位移植すべきと思った。3Dはむずかしそうだけど。
V-HARDの苛烈さでGBC版も捨てがたいしな。GBA買っても結局操作感の問題でGBCで「ポケモンでパネポン」やってそう。うぬぬう。

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取り急ぎのプレイメモ。

対戦したいよな。せっかく新機種になったんだし記念に。

5:03 2003/02/10

Sleeping-hours modulation

今週こそはちゃんと睡眠時間をきっちりばっちり体調に対して最適な長さに調整していきたいので今日は徹夜したまま夜まで起きておくことに決めた。徹夜したり寝過ぎたりとかそういうのは正しくないはずだ。ていうか今日も結局そういう意味で正しくない調整のしかたをするわけだから正しいおれの生活は今週っていうか明日からだ。
「明日から」か。保留の人生をまた積み重ねてしまった。

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高本伸一郎氏の日記を読んでもpolygon prompt氏のレビューを読んでもどっちもいまいち微妙な(っていうかコントローラ問題がどうしようもなさそうな)印象のGC版パネポンなのだがしかしとりあえず買っとこう。HORIから出てるっていう十字パッドを同時購入して検証予定。おれの場合現時点でSFC版とGBC版がどちらも稼動状態なのでべつにいまGC版買う必要って全然ないんだけど一応正調パネポンの続編っていうのか新版っていうのかそういうものなのでご祝儀みたいなものだ。

10:29 2003/02/09

キャラクタ作成の順番とかで再考

いやちがうな。順番が逆だ。さっきのPPGの話題。
PPGの主役はどう考えてもガールズであって博士じゃない。アメリカアニメは中途半端なことをしない、なにかをやる場合には徹底的にやる。とすればPPGはいかに魅力的なスーパーヒロイン像をぶちあげるかっていう部分から組み立てられ、しかもその方式を完全に遂行したと考えるほうが自然だ。
こっちを作ってあっちを作り、あっちが立たないのでこっちをちょっと壊し、などという行ったり来たりの生ぬるい(日本の場合はこういうやりかたがわりと多いと思うけど)方法ではこうまでシャープな(逆にいうと物語世界自体が産みえる雑多なノイズのおもしろみは含まない)作品は生まれないだろう。
するどい物事は、どんなに境目の見極めや切り分けが困難であろうとそこに絶対的な順番を持つ。思考の順番であり設定の順番だ。その最上位はガールズ、間違いない。まずガールズといういびつでかっこいい不動の主役を作り上げ、それからその型がバッチリ収まるような環境や世界のピースを設定していったと見たほうがいい。

ユートニウム博士はピースだ。ガールズにバッチリはまるピースで、ガールズあっての博士であって博士あってのガールズではない。もちろんだからといって彼のキャラクタが死んでいるとか虚像とかいうことはない、ガールズとバッチリ合致してかつ個性を発揮するようでなければ彼が作られようはずもない。だからたとえば「独身男と三人娘」像はきっかけではなく結果として選択されたものと考えることができる。さっき例に挙げた「白詰草話」とはそのありようが全く違う。
本当に結果的に同じ様式になっているだけでその内部に働いたロジックは全然違うものであったはずだと思う。おれは白詰草話をPPGとは逆の「設定や思考の筋道を行ったり来たりして作ったお話」だと思うから。世界と人物とがそれぞれに動かせない部分を持ちながら各個できあがり、それをひとつのお話に収めるために試行錯誤したであろう箇所が、どことはいえないがなんとなく垣間見える。魅力の比重が分散しているかんじ。
もちろんそれはそれが理由でつまらないってことではなく単にそういうふうなお話っていうことなんだけど。

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むー、たとえば帝政と王政の違いなのか。
あーしかしこのへんの考えかたをこないだのでかい嘘つくのが苦手話とくっつけていくとだんだん宗教話とかになっていきそうでめんどくさいな。

3:44 2003/02/09

Animation / THE POWER PUFF GIRLS MOVIE

おもしろかった。
ガールズかわいいなー、以外に特に感想のない映画。その点でアニメーション映画としてかなりの純度ってことなのかもしれない。臭みも嫌みもない。さすがエンタテインメントの本場はかくあるのだな。アホもボンクラもこの映画の前では同様に笑う。

お話としてのきちんと転がって畳まれたかんじはいまいちだと思うけどそんなこた重要じゃないっていうことが見ていればわかる。

内容はガールズ誕生秘話のようなものなのでPPG未見のオタにも安心しておすすめできる。

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あとこの映画の監督の劇場映画っていうものに対する姿勢っていうかありかたっていうかマインドっていうかスタンスっていうか気分っていうかなんというかそういうものは、劇場版「美少女戦士セーラームーンR」制作時の幾原邦彦監督のそれにすごく近いものがあるんじゃないかなあと見てて思った。いろんな点で全然違う2本の映画だけど、なにかどこかで(その制作姿勢のようなものの一部が)通じている気がする。

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あとMさんがPPGと「白詰草話」の共通点(博士と幼女3人)を指摘して、ああいわれてみればそうなのかーとか思った。「白詰草話」は同人時代(PPG放映前っていうか制作前)からあった設定のようだし別にその成り立ちはPPGとつながりはなかろうけども実際のおはなしづくりのモチーフはかなり拾える部分があるっていうか。

家庭のイメージのない独身男のもとに突然娘が沸いて出るというシチュエーションはおいしい、んじゃその独身男が学者かなにかでふとした拍子に娘を人工的に作っちまうってのはどうだ、とかいうのはどっからでも引っ張り出せるアイディアだし、娘もどうせなら一人より三人のほうが話もひろがるし客層のいろんな好みを包括できるぞ、というのも商売的に(または工業デザイン的な模倣行動から)ものすごく自然な話だ。
ほんといままで頭ん中で全然つながってなかったのが不思議。

1:35 2003/02/09

日照天象儀

サンシャインシティのプラネタリウム6月に閉館するというので行ってきた。
というかニュース見るまで存在を知らなかった。sunshineのplanetariumってのもなんかへんなかんじだ。星は太陽と一緒に見るもんじゃない。ちょっとおしゃれなのか。

プラネタリウムで見る星は確かに普段東京では見られないほど多かったけどしかし儚い光でなんともいえず寂しかった。直接光と間接光ではそりゃ直接光がまぶしいにきまってるもんな。というか年末年始に九州で(夜中ガタガタ震えつつ山道で)見上げた夜空があんまりすごかったもんだから星の印象としては今回なにも残らなかった。天然ものに人工ものが敵うわけがないものな。
それを考えると日ごろロクな星見てないよな。

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今回見たのは一般番組「ペガサス」という品目で、スキー旅行に来たカップルの男のほうが夜空を見上げながら延々と冬の星座のうんちくを語るという形式だったんだけども、これがもーなんともいえずベタベタなおはなしでギャーとかゲエェーとか脳内でうめきながら黙って鑑賞。これ一体何年前の脚本だっつーか「ハワイのすばる望遠鏡がこないだできた」みたいな台詞があったから調べてみたら91年建築開始で99年ファーストライト。わりと新しい…のか?

しかしまあサンシャインシティを出たあとMさんに聞いてみればプラネタリウム番組のシナリオなんてものはだいたいあんなものらしいし「いまどきあの程度サラリと流せないようではエロゲーの一本もプレイ不能」とか言われたので、おれもまあ天文学的な世界においては人間の恋愛様相も天文学的な視点によってしか観測されないんだろうとか適当な憶測で対処することにして、そう考えてみれば随分オサレで小粋なフレーバアではないかとか思った。なんつーかサンシャイン60の時代にはばっちりはまってそうなんだけどなあ。
時は2003年。

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あと、長年どうでもいいんだけどずっと引っかかってる疑問があって、それは「プラネタリウムって光ってる星、つまり恒星を映す装置で、そしてプラネットって惑星じゃなかったっけかっつーか、要するになんで恒星映す装置なのにplanetって名前がついてるの?」というやつなんだけど、なにかの縁なので調べてみたらそれっぽいページがみつかった。

<ここから引用>

プラネタリウムの重要な機能の一つに,惑星の見かけの動きが自由に見られることです。

プラネタリウムという呼び名には,プラネット(惑星)を見せる機械という意味があります。直訳すれば惑星儀か,惑星運行儀ということになります。生みの親のドイツで「ステラリウミ(恒星儀)」という案もあったようですが,ただ星を写すだけでなく複雑な天体の運行が表現できる高度な機械であることを強調するため,「プラネタリウム」に落ち着いたようです。現在では丸天井の内側に実際の星空と同様な諸天体を映し出す装置をもっぱらプラネタリウムと呼んでいます。

<引用ここまで>
23:29 2003/02/08 採録

なるほど「ステラリウミ(恒星儀)」という案もあったのか、そっちもなんか強そうでいいよなしかし。
大雑把そうなのがいかんのだろうけど。

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追記。
上映がおわったあと、これが本日の最終上映だったからなのか、スカート短めな係員のおねえさんがスタスタとプラネタリウムを囲んでいる鉄柵を越えて台にのぼって機械を調整してたんだけども、あれがちょっとびっくりした。ぱんつ見えないのか、大丈夫か。

23:34 2003/02/08

平等の賽

サイコロはそれ自体成功も失敗もしない。
それ自体に成功と失敗が含まれているようならイカサマだ。
出た目によって一喜一憂するのは人間で、成功したり失敗したりするのは振る人間の手で、振れ幅があるのはサイコロに対してではなくその外側にあるルールに対してだ。サイコロはギャンブルに何の関係もない。

15:27 2003/02/08

雑想

なんかもうタイトルとしての「魔法遣いに大切なこと」には申し訳ない気持ちでいっぱいです。ていうのもなんか本末転倒してるかんじだけど今出てくる正直な気持ちは案外そのあたりかもしれない。そしておれは現在の心理状態を作ったおれ内ご都合主義装置の動作を検証し、警戒すべきだ。

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「魔法遣いに大切なこと」は極端な例だったがこれに似たもどかしさを以前感じた作品がある、「サトラレ」だ。おれはあれが1話読み切りの漫画だったなら傑作になりえたと思っていて、巻を重ねていくごとにどんどん辛く感じるようになっていった。

設定に無理があったからだ。物語上で共存している現実と非現実の要素を突き詰めていけば破綻する。サトラレは超天才で勘がいい、しかし周囲の努力によってサトラレ自身は自分がサトラレであることを知らない、そんな状況作りえるか、いや無理だ。
自分がサトラレであるかそうでないかを疑う時期はあるだろう、思考実験だけで「まさかそんな」と済ませられるほど鈍重な脳みそでもあるまい、確証を得ようとするはずだ、そうなれば検証するのは簡単、演技によってごまかせる領域以外の部分で検証すればいい、具体的には生理的な、たとえばものすごく下世話な話になるが男同士で一方がサトラレであった場合、もう一方の両肩をおさえつけてじっと相手の目をにらみ、考えつくかぎりのものすごくいやらしい妄想をふくらませたとしたらどうなる、そりゃ相手のちんこが勃っちゃうだろ、たったそれだけで十分に自分がサトラレである可能性を真剣に疑わねばならないということがわかる。
要するにおれは「サトラレに自分がサトラレであることを気付かせないようにする仕組み」のリアリティを信じることに失敗した。これはこのおはなしのかなり根幹の部分にある物語現実だったので、ここを信じることに失敗するとドラマの中のほとんどの現実は陰を失う。

読み切りならいい、多少無理無茶があっても構わない、短くスパっとへんだけどあったらおもしろそうな話を作るんですよっていう部分で多少の不整合は吸収できる。だがそうしたお約束魔法の効果時間は短い。話が長くなればなるほど味も素っ気もない引っ掛かりがあたまの中で大きくなっていく。物語時間が現実時間の長さに近くなるからだ。現実の支配力は徐々に増し、非現実が存在しうるためには理屈の支えが必要となる。
おれにとってサトラレは、がんばって引っ張っても単行本2巻分弱くらいまでの許容範囲しか持てない設定のお話だったと思う。3巻までくるとどうしようもなくそういうことばかり考えてしまってなかなか素直に楽しむことができなかった。これは残念だったとしかいいようがない。あとのほうになってもプロット自体は結構おもしろいものだったからだ。毎エピソードごとにちゃんと世界ならではのアイディアが出ていて、無理に伸ばしてるかんじがしなかった。

ということはすくなくともサトラレ程度まで仕組みのおもしろさを毎回作っているお話だったら、おれは「あー」とか「うー」とか「えー」とかうなりながらも結局ちゃんと読むことまではするわけだ。「魔法遣いに大切なこと」はいまのところそれより出来のよくない世界設定のうえに組み上げられたお話と思えるのでそうであればやはりつらい。よほど仕組みのおもしろさで盛り上げないとつらい。

おれは設定が曖昧なものの存在をなかなか信じることができない種類のオタなのでそこいらへんで単純な楽しみ方がなかなかできなくて困るんだけど、しかしまあべつに物語を消費するだけならおれにだってできないわけじゃないっていうかその行動は自動的なのでわざわざ意識することもない。
むずかしいのは読者として「物語を消費しない」ことなんだけどこれは設定がきっちりしてないとまだ無理だ、おれには。おれもオタである以上目や耳や手に触れるあらゆるものを消費してしまうこの肉体を呪うわけだしコンシューマとして作品を陵辱する現場にはなるべく居合わせたくないしなにをどうやったって消費されない見事な作品のある場にいずれは立ち会いたいという希望(っていうか宗教的理想みたいなものか)を捨ててはいないが、だからといってメディアを捨てて隠遁するのはもっといやなのだ。
手に触れるものすべてを純金に変えてしまう呪いを受けたじいさんは最初喜び次に悲しみ最期は自分自身をその手に触れることで自分の幕を下ろしたわけだが、オタがオタを消費したところで自分自身を消し去ることすらできやしないだろう。せいぜい萌えキャラ化するくらいが関の山だ。

なんだどこを切り取っても全然いい話にできないじゃないかおれは。

7:46 2003/02/07

MSがXboxの「格闘超人」を全世界で回収へ

ただでさえひっそりしてたのにこれでもう市場から完全に消えてしまうのか格闘超人。

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宗教がらみっていうとこのひとなのかな。ASAD、ソマリア(アフリカ)出身のムエタイのひと。
国内版ではそのあたりの部分は修正済だったようなので、どのみちその痕跡は手元のパッケージでは確認できないんだけど。ASADであるにせよないにせよ、ステージ開始時の台詞か勝利メッセージか、んでなかったらエンディングのストーリー描写か、まずそうなのが出る可能性のある部分ってそんなもんだよな。
あまり満足のいくゲームでなかっただけに、へんないわくがついてしまった結果としてのレアゲー扱いというのはなんとも悲しい。ていうかそもそも数が出なかったから自主回収って決断もあったのかな、そういうのは関係ないか。

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そういえばXBOXで「女神転生 NINE」て出てたけどあれはみっちりチェックして通したっていうことなのかなっつーか国内発売だけとかだったらある程度甘くてOKなのかな。ていうかそういうふうな意味での宗教色って薄そうだからそれはそれでOKなのか。さすがに「真・女神転生II」とかの時代のやつはアメリカでは発売しにくそうな気がするけど。

6:08 2003/02/07

日々

今日はビックカメラのポイントがたまってたのでDVDに換えてきた。

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「AMADEUS」と「THE POWER PUFF GIRLS MOVIE」と「π(パイ)」。一本ずつならふつうのひとも買うかもしれんがこの三本まとめて買うやつは間違いなくオタという組み合わせだなあとレジにもってきながらしみじみ思った。積極的に買うというかんじでもないけど家にあったらうれしい3タイトルだったのでこの機会にまとめてゲット。

23:02 2003/02/05

夜々

魔法遣いはいまからでも遅くないから30年ぶちこまれるべきだと思った。
そしておれはやはり速やかに眠るべきだった。いやだめだ遅すぎる。おれは今夜の過ごし方で一方的に失敗したことを認めなければならない。なにもかも遅すぎるのでおれはこのまま徹夜して、魔法遣いはこのまま物語世界の加護をうけて祝福されてあるのがいいのだろう。
しかしそれは幸せだろうか?

もちろん真ん中に居るやつはしあわせだ。幸不幸は相対なので周囲が不幸になればなるほど真ん中は幸福を享受することになる。多幸感とは違う。それは高まれば高まるほどむしろささやかなものになるだろう。
しかしそこでもし真ん中で幸福を享受しているやつがその幸福を感じ取ることがなかったらどうなる、あるいは不幸を吐いたら。場をいっぺんに不幸か幸にひっくりかえして平均化できるチャンスでありリスクになる。
そういう仕掛けは物語上でのどんでん返しと呼ばれるのかもしれないな。

悪意的にアニメを作れるひとがもし居たとしたら、アニメも漫画なみには成熟してきたってことなのかなあとか思ってみたりするんだけどそれはなさそうだよな。見極めは肝心なのだが見極めると楽しめないから未成熟のエンタテインメントというのは保留の快楽なのかもしれないとかなんとかいまおれ不思議自動書記状態。自分がなに入力してんだか全然意識してないよー。

4:36 2003/02/06

日々

昨日の朝、誤差+10分でだいたいまともな生活サイクルに戻せたと思ったんだけどそこからまたちょっとずつズレていきそうなかんじ。明日は誤差何分になってしまうんだろうかっつーか、そんなのは寝言同然だ寝るねる。

2:38 2003/02/06

次に来る灰色の光景…

去年だったか一昨年だったか忘れたけど、その時点での「来年流行しているであろうエロゲーの舞台の象徴的光景はどういったものであるか」という雑談をしたことがある。当時すでに地方都市を舞台としたエロゲーは蔓延していたと思うし「もういい加減地方都市じゃねえだろ」といった意識がおれの中にあって、だからといってじゃあ次はどういうものを舞台とするかというあたりについてまともに考えてみたことがなかったからちょっとやってみるかといった程度の馬鹿話だった。

過程は忘れたけど結論は「大都市のど真ん中にある廃墟のような裏路地にひとり立つ少女」だった。恐らく東京だろう、ただしひとは過密じゃない、すくなくともエロゲは大状況を描けるようなシステムでは制作されないだろうから、となると廃墟、もしくは裏路地、ゴミがなく廃材や瓦礫があるだけの閑散とした風景(エロゲオタは臭気のもとになりそうなゴミや汚物を忌避すると判断して)、生っぽさの抜け落ちた灰色の光景。
ちょっと歩けば表通りで雑踏もあふれかえっているだろうけどそちらには行かない、少女に誘われるまま路地の奥の深く深く静かな場所へ迷い込んでいくというような話。純愛も鬼畜も問題なし。オカルト風味もアリだろう。ファンタジックもOKだ。奇跡は都市にこそふさわしい。生活に必要なすべてのパーツへのアクセスがよく、しかし「興味のないほかの誰も気づくことなく入ってこない隙間」の中での彼女との邂逅。そこにはなにがある?発見があるだろう、街が夜に見せる顔、橋の裏側、旧地下鉄のトンネル、誰も知らない猫の会合場所、倉庫の裏口、ビルの谷間のちいさな公園、忘れられた桜の木。
エロゲが求める平易なギミックはほとんどすべて突っ込む余地がある。

とかおもったけどそれから1年後だか1.5年後だかの今現在になっても結局そんなものは来なかったな。やっぱだめだな予想とかできんなおれは。
つうか結局エロゲーってのは青空型か地下室型のどっちかしかできんのかな。自分で作った檻に自分で入っちゃったっていうかんじなのかなあの案外あたらしい隙間を狙いにくい顧客層を次々と生んでしまうシステムは。

23:34 2003/02/05

日々

WTM。Kさんが持っていた第1シリーズの2台を譲ってもらえることになった。T34/85とヴィットマン007号車(シークレット)。やったー。

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んー、やっぱ人間入るとまたいいのう。
ミヒャエル・ヴィットマンというのがいかにすごいおっさんであったかというのはGoogleでヴィットマンとかビットマンとか適当に検索してみるとだいたいわかるかと。

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で、WTM蒐集状況更新。
探し回ったら第2シリーズをまだ売ってる店があったのでそっちも補完。

23:02 2003/02/05

「魔法遣いに大切なこと」とインド式世界認識

十年ほど前、オタの大先輩から「あらゆる意味と無意味はすべて「インド」という単語ひとつに包括される」と教わったことがある。
これは言ったそのままの教えではなく、得体のしれないものや奥まで触れたくないものに接してしまったとき、人間がおもいつくこともおもいつかないこともすべてインドには含まれているのだと一旦想定してみることによって把握や判断や保留にかかる心理的負荷を軽減する方法のひとつと説明できる。
単語はなんでもいい、アラビアでも中国でも構わない。だいたいの場合自国(または地球)以外の「謎の○○人」の「○○」にあてはまりそうな国なり星なりが適当だ。とにかく何にでも名前を与えてみる、たとえばインド、それが仮でも構わないしむしろ仮であることを忘れてはならないが、対象に名を与えるというのは結果的に冷静さを取り戻すための効果的な手段なので、そうした仕組みを意識的に利用することで一旦無責任に安心してみせ、そうして得られる一呼吸ぶんのインターバルで相手をではなく自分自身をよく分析し考え、そしてわかる範囲での自分自身とわからない部分を含めた対象とその他諸々を包括している周囲の状況をひっくるめて脳内バックグラウンドタスクに置いといて、リアルな状況のもとで対象にしかるべき措置を取れ、ということだ。
以上を一言でいうと、インド。またはアラビア、ないし中国。そのほか。

「魔法遣いに大切なこと」は現在で漫画で雑誌でTVでアニメで見知ったようなパーツでオタ向けにインドをやっている作品なのだろう。インドだったらしょうがない、あるがままがすべて、逆にいえばそれ以上ではないということだ。異文化コミニュケーションはなにもきもちのいいことばかりではないが、考えてみればそれは同文化相互消費よりずっと健全なありさまではないか。
だからやっぱりおれは魔法遣いに大切なことを見ておいたほうがいい。

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あと月に飛んでいく話が相当突飛だったという感想がネットのあちこちに上がっていて、そうだったのかなあとちょっと首をかしげた。おれはそのエピソードのアニメ版は未見で漫画のほうを適当にパラパラ読み流しただけなんだけど、そんなに変だなあという印象はなかった。…単に漫画自体の印象が薄かっただけなのかもしれない。ちゃんと読んだらふざけんじゃねえよと思うのかも。
でもそれとは別にして多少アニメと漫画っていうメディアの差があるんじゃないかなと思った。月に行っちゃうっていう物語的なスキップはアニメというより漫画というより絵本に近いものがあるんじゃないかと思う。そんでもって漫画はアニメよりは絵本に近い表現ができるから、たぶんアニメで見るよりは漫画のほうが違和感を強く感じることはないんじゃないかなとか。

ていうかおれ子供の頃に先生と生徒が月へハイキングに行くーみたいな絵本を読んだことあるような気がするんだよな。記憶曖昧だけど、確かそのおはなしでは先生の正体がロボか何かで不思議な力を使えてとかなんとかだったような。違ったかな、うー、わからんな。

ともかくその絵本はいい話だったし、そうした「絵本だったらいい話」の筋道を違った角度と時系で辿ることで解体しつつ現実の重さも同時並行させることで落差を表現してみせるという演出意図があるのなら、その骨組み自体はたぶんおれにとっても十分おもしろいものであるはずだ。実際どうなったのかは見てみないことにはわからないけど。
ていうかこうしたシーン構築の発想っていうのは確かに演劇的とも言える気もして、そういうふうに見知った「魔法遣いに大切なこと」に関するキーワードを適当につなげてみることでおれはひとまずの安心を得たいんだろうなと思った。

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というようにとにかくなんでもいいから取っ掛かりを探して安心しようとするパターンにはまっているようではオタとしてのおれはいよいよ終わっていくしかない。インドを捨てて不安と共存するためにどうすればいいか。

23:45 2003/02/04

日々

WTM。なんか1日2個とかかっこいいこと言ってられませんな。
で、シュトルヒがやっと出た。

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第3シリーズも20個くらい買ってんだけどようやく1個。引きが弱いなおれ。
それにしてもヤンキー犬みたいな顔してるな。

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リストつくった。WTM蒐集状況
だいたいいいかんじかなと思ってても案外歯抜けがあるもんだな。

23:02 2003/02/04

日々乱調

サクっと帰って風呂入って寝ようと思ってたのに前川たけし「新・鉄拳チンミ」の最初の話を最後まで通そうと読み始めたら13巻までありやがんのよ。月刊で60pもあればそりゃここまで引っ張るか。結局ズルズルと2時間ほど。

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ぐったりして帰ってきてさあ寝るぞと思ったけど今度は無性にWTMが買いたくなって夜中もいい時間に第2シリーズ買いに自転車を走らせる始末。結局店にあるだけ買っちゃったよ。といっても13個だけど。あーちくしょう過ぎたシリーズのリカバリって絶望的だよな、なんか第1シリーズはあんまし出回ってなくてレアだとかいうし。

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そろそろ遊びじゃなくなってきた。いやこれからがまさしく遊びなんだけど。
ともかくリストが必要な頃合だな。

2:30 2003/02/04

先生が再び宇宙へ 小学校教師モーガンさん 04年シャトル搭乗

先日、おれが日本でDISCOVERYを聴いてる頃、COLUMBIAが爆散してしまったらしいんだけど、この先生の宇宙行きはどうなるんだろう。

それはそれとして今回のスペースシャトル事故で思い出されるのがCHALLANGER事故だ。あの事件の年おれが何歳だったかのおぼえていない。しかしチャレンジャーには女の先生が乗っていたということを覚えている。日本でも報道されていた。事件前にもニュースになったし、事件後はよりいっそうそのことが強調されて報じられた。今回の事故関連の記事でもあの事故のことが引き合いに出され、「チャレンジャーには女教師が搭乗していた」という記述を何度か目にした。
しかしおれはその先生の名前を忘れてしまっていた。あのころは何度も耳にして覚えていたはずなのに。今回の事件に関する記事ではなぜか「女教師」までは触れられていてもその名前まで記されている記事を探すことができなかった。

クリスタ・マコーリフだった。この記事を探して約15年ぶりに思い出した名前だった。
当時のニュースでは「マコーレフ」と発声されていたように思う。
ただそれだけの話。

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Googleで「チャレンジャー 女教師」を検索すると結構な数のアダルトページがヒットして、なんともいえない気分だ。
しかしこの分別のなさこそがネットの力なのだよな。自動的だから偶然がある、機械的だから発見がある。

22:46 2003/02/03

翼はほしくない、むしろ、ないほうがいい

「翼をください」という歌があって、おれはこの歌をあまり好きになれない。

小学校とか中学校時代に学校で歌った歌で、歌唱自体きらいじゃないし大声出すのはきもちいいことなんだからそれはそれなんだけど、その歌詞がどうやったって他人事にしか感じられないのだ。翼ほしいーむしろくれー翼があったら自由だぜーみたいな内容、その歌詞におれが共感する部分がない。
人間は空を飛ぶ生き物じゃないと知っている。飛ぶとすれば機械的な補助をもってだろう、翼によってではない。肉体の一部としての翼っていうものをイメージすることができない、またはそうしたイメージを気持ち悪いと感じる。

第一もしほんとに翼なんか生えてしまったらどうなるんだ、まっとうに暮らすことができないんじゃないか、腕が翼になるんならペンも箸もコントローラも持てないから専用のインターフェースの開発が必要だろう、背中に生えるのならあおむけに寝ることができなくなるかもしれない、わりとそういう変身をするひとが多ければ企業や国が開発してくれるのかもしれないが、変身するのがおれひとりだったら費用は自分持ちだ、そんな金どこにある、それに寝返りとかどうするんだ、鳥みたいに立ったまま寝るのか、重さとかで首や腰や肩が凝らないか、ひと一人が飛ぶために必要な翼面はどれくらいか、すごくでかいんじゃないか、そうなったらドアとかどうるすんだ、ちゃんと建物に入れるサイズで収まるのか、とかなんとか瑣末な部分をはじめとして日常のあらゆることがとてつもなく不自由になる、あるいはそれを送ることが不可能になる、そんなリスクを負ってまで翼を得たいか、意思如何にかかわらず無理矢理翼つきの状態になってしまうとかそういう不可抗力な状況であるならともかく、翼を得て空を飛ぶことをわざわざ自発的に欲するというビジョンは日常を捨て去ってまで得たいものなのか、おれはそんなものほしくない、おれが期待しているおもしろさやたのしさはそんな妄想の先にあるようなものではなく、翼など持たない日常の先にこそあるはずだ。

ドラゴンとロケットのはなしをまとめようと思って漠然と頭の中を整理していく過程で、わりとずっとそういうふうに考えて生きてきたっていうことを、さっきふと思い出した。おれのこうした感想っていうのは実に大人気ないんだけどもしかしまあそういう人間はけっこう居るんじゃないかな。自己投射の逆属性みたいなの。さらりと物語を楽しむことのできない人間。

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この歌詞にあるようなささやかでかわいらしい希望っていうようなものは、昔から言われている「日本人は物語を作る際にデカい嘘をつくのが下手っていうか、デカい嘘のうえに物語をのっけていくことをあまり気持ちよいと感じない」みたいなはなしにつながっていくんだろうか?なんか筋合いが違う気がするからちがうのかも。
まあそれはともかくとして、主にファンタジー分野などでこうした問題はよく言われるとおり。あるべき流れの存在に無神経に、とにかく現実との共通項を増やすことで視聴者に対する最初の敷居を低くする戦術によって設定が軽視されがちな現状というのはそれはそれで国内創作のお家芸のようなものなんだろうか。集約すると藤子不二夫「ドラえもん」はおもしろくて、そして「ドラえもん」のようでない世界はなかなか受け容れられていないってことなんだけど。

4:42 2003/02/03

日々

DAFT PUNK「DISCOVERY」を延々とループ再生していた週末だったんだけどあーそういえばと思ってELO「TIME」を引っ張り出して聞いてみたら実に馴染むのだった。ていうかもしかして「ONE MORE TIME」って「TIME」とひっかけてんの?オマージュ?リスペクト?とかいまさらな疑問を持ったりした。
べつにどうでもよい。

3:16 2003/02/03

[別頁]TOKYO TOWERS 030202

主に大きめの縦長ビル写真だけを暫定的に取りまとめ。ファイルサイズ合計500KBほど。

2:03 2003/02/03

夜明けの自転車(帰着後)

かえってきた。3:55〜9:20。
ちょっと寄り道したり迷ったりしていたので5時間30分くらいかかってしまった。おまけに品川から大崎をスキップして五反田に出てしまった、がっくし。やはりあのへんの道はよくわからん。
次やるときは完全制覇したい。

9:57 2003/02/02

夜明けの自転車(出発前)

結局二晩つづけて酒のんで肉くっていい気分になったりとかしてそうした自堕落な状態は大好きだ!というか堕落なんていうものはどれをとっても気持ちのいいものでそれをみずからやってしまうというこのウロボロス状態っていうのは銀河最強重力生命体みたいなものじゃないかっていうかこうやってひとは緩慢に滅んでいくんだなと反省してみたけど実際のところ物質はなにをどうやっても滅ぶのでべつにそれについておれが反省したところで自堕落をやっている時と何らかわり映えがしない。

要するにフィジカルな苦痛=刺激=快楽が最近足りてないからだめなんだと考えてみたので今夜から今朝にかけてひさしぶりに自転車で山手線沿線一周することにした。内まわりは以前やったから今回は外まわりで。あーしかしトイレいったり自転車のタイヤに空気いれたり煙草買いにいったりしたいからいますぐは無理だ。ええと、いま3:15だから出発予定時刻4:30、スタート地点JR池袋駅。DMC-FZ1あるんだから三脚でも持っていくかな、しかし自転車だといちいち降りて撮影してるの面倒なんだよな。んー、使わないかもしれないけど一応ウェイトと思ってかついでいくか。

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出先で交通事故に遭って即死する可能性を考慮すると、ちょっと遠出するときにネットに一言書いていくってのは実際かなり心理的負担を軽くするよなと、今これを書いてて思っている。どちらも可能性に過ぎないけど、可能性には可能性を拮抗させることで安心を得ることができる場合もあるっていうか。

3:25 2003/02/02

日々

数日もたずにこのありさま。
第2シリーズはもう売ってないもんだろうと思ってたら売ってたのでまとめ買いしてしまった。

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そろそろ収納について真面目に考えなければならなくなってきたのかも。
パッケージは捨てたほうがいいのか。それとも捨てずに個別に収納していったほうが実は最終的に取り回しがよかったりするのか。

1:53 2003/02/02

鬼戦車大王

月並だがお手軽4コマまんが(写真)を作れないかという実験。
元ネタはあずまきよひこ「あずまんが大王」を参照されたい。

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んー、やっぱし当初考えていた「機関車トーマス」みたいなのがいいのかな。
ていうか4コマまんがで本当に大変なのはネタを考える部分なわけだから、それをスキップして実験しても手を動かす時間の見積もりにしかならないのだよな。なんともいえずみじめな気分だ。

4:46 2003/02/01

日々

宴会。鍋。

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物置を掘り返していたらどっかいったと思ってたDAFT PUNK「DISCOVERY」がみつかったので週末はこのアルバムばかり聴くことにする。

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小林源文「CAT SHIT ONE」を読んでたらなんとなく読みたくなったので田尻水泡「のらくろ上等兵」とかも併読。

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そういえば考えてみるまでもなくこの二作は同じどうぶつ軍隊漫画なのだった。なぜかこれまで両作を並べてみたことがなかったな。

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明日はどっか行きてえけどどうしようかな。

2:09 2003/02/01