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03/01/04-15
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寒い高気圧の夜

今日は朝から夜まで風が冷たかったけどおかげでクリアな月をたくさん眺めることがきたのでよかった。
上を見ながら歩いていたら職務質問された。なんかここんとこほぼ1日おきに呼び止められてる気がする。挙動不審だからな。警官は天気のはなしをおれにして、おれは月のはなしを警官にした。

あー、月がおれを追い越していく。

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CD屋めぐりをしたいんだけどその暇がない。

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DOOMIIIもそろそろ現実的な問題になりつつあるから適当なビデオカードを見繕って備えておかないといけない気がしてきた。GeForce FXなのかー、ギニャー。もの買うときあんまし値段見ないひとなのでいくらぐらいになるのか知らんけど、どうせXBOX3台とか4台とか買える値段なんだろうな。どうしたもんかな。貧乏人はMX買ってろと指導されたので素直に従っとくかな。しかし安物買うと銭を失うのであんま中途半端には買いたくないよな。ぬー。

23:01 2003/01/15

日々

GCパッドの十字ボタンはないほうがマシなくらいぞんざいなのでパネポンがGCで出ても結局SFCをTVの前から片付けられないような気がしている。Aボタン大きくするひまあったらちゃんとした十字ボタンつけておくれよお。

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DCパッドもあれはあれで相当よかったんだけど、最近はもうXBOXパッドに慣れすぎたのかこないだDC「Rez」やってみたらめちゃくちゃ違和感があって苦しかった。現在のところおれにとっての最高のパッドはサターンパッドできまりなんだけどXBOXパッド(国内版及び初期出荷以外の海外版同梱サイズのやつ)も相当いいとこいってるってことなのか、まあDCパッドをブラッシュアップしたようなもんだからそれに近い感触ではある。白黒ボタンだけは、いまだに慣れないけど。
PS/PS2パッドはあれがゲームを操作するために作られた物体とはとても思えないんだけどまあ複雑なリモコンとして解釈すれば納得できないこともないというかんじか。いい思い出といえば「海腹川背」と「WIPEOUT XL」の2本のそれぞれのL2R2の感触は悪くなかったかなあという程度。

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あれ、そういえばゲーム数えるときに「本」って言うようになったのっていつぐらいからなんだろう。カセットテープが1本2本だからそれに準じたのかな。だとすればゲームタイトルに対する認識ってマイコン+データレコーダの時代から変わってないのかな。
基盤は1枚2枚だから1本2本っていうのは明確にコンシューマゲーム分野の数え方だよなと思った。

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池袋にもふらんす亭ができたという情報は昨年末の時点でTATEから得ていたんだけどその場所をこないだまで知らなかったので今日っていうか昨日調べて食ってきた。地図。わりと雑然としてる路地の一角とかにあるのかなと思ってたらめちゃめちゃ駅前大通り沿い(地価1階だけど)でびっくりした。
つうかすげえ混んでた。行列のできる店ってやつなのかー。

写真 写真

で、肉を食った。ハンバーグ。うわーいモシャモシャ。
メニューを見てこの店は肉+レギュラーカレー+本日のサラダというオーダーが定番なのかという気がしたので次来るときもそうすることにする。ハーフカレーだとちと食いたりなさそう。肉はうまいし、23:30まで開いてるし、ちょっと高い晩飯食いたいときにちょうどいい。

2:25 2003/01/15

日々

映画「インディペンデンス・デイ」でおれがなんといってもしびれたのは、主人公格の片割れである黒人パイロットが小型UFOから出てきた宇宙人とのファーストコンタクト(一応そうとも言えるはず)を果たすシーンだった。
ハッチから飛び出してきた正体不明の未知の敵である宇宙人に出会いがしらのパンチ一発、宇宙人ノックダウン、黒人そのままへたり込んで葉巻で一服、知性を感じさせる要素の一切含まれないそのありさま。ふつうもうちょっとほかに何かやりようがあるだろとか思うんだけどこの映画は考えない。逃げるとか対話を試みてみるとか戦うにしてもほかに武器はなかったのかとか放射線とか接近や接触によるなにかの感染とか考えといたほうがよさそうなことは次々出てくるんじゃないかと思うんだけどそんなことじゃなくてあの場はとにかく一発殴ってやらにゃ気が済まないから殴ったと言わんばかりに傲岸不遜なその態度。おれがだめだったら次のやつがなんとかするだろみたいないい加減なテンションでがけっぷちを飛べる連中。
額縁に入れて飾っておきたいくらいものすごく馬鹿なアメリカのイメージ。

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いまどきはわりとCSSも普及してきているのかなと思うし、なんでもかんでもHTMLでガシガシ組んでいた時代を懐かしく思ったので適当にそれっぽい単語などで検索して調べていたら柳ひろひこ氏によるHTMLだけでできる装飾をがんばってるページ(親ページは18禁注意)とかを見つけたりした。ゴリゴリ手書きしとる、すげー。
柳氏はたしかBGM担当:岩田匡治氏なPC-FX用1画面アクションゲーム「チップちゃんキィーック!」のキャラデザをやったひとだったと記憶してるんだけど、HTML装飾で検索してても妙なふうに脳内リンクがつながったりもするのだなっていうか、やってるひとはいろんなことやってんだな実際と遠い目をしてみたりした。

6:51 2003/01/14

日々

いや違った。あらゆるサービスは色あいを持っている。
その色あいこそサービスそのものだ。無色透明なサービスが提供されていたとしても、ひとがそれをサービスと認識することはないと思う。

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あと人間の足の裏の皮が弱いから人間は靴を作ったわけじゃない、はだしだったら皮がむけて血まみれになってそれ以上歩けなくなってしまうその先までサクっとたどり着きたいから人間は靴を作ったのだ、と思っておくのは悪くない。その靴が人間の足の裏の皮をなおさらに薄くしていったわけだけどそれはそれだ。
そうした、かつてなくいまはある弱さっていうようなものは人類に延々とついてまわる脆弱性なんだろうな。これある限りとにかく今持ってる荷物と一緒に前に進んでいくしかない。かつて居たところに今戻っても時間を巻き戻したことにはならない。

23:53 2003/01/13

アンテナ設置

一昔前はふつうのひとがプロバイダのサービスもその他の金も使わずインターネットにホームページを作るぞうと思い立ったらGeocitiesでアカウント取ってTeacupで掲示板を借りるという様式があったように思うんだけどもっていうか、おれの場合これがTripodOTDにシフトしただけであって全然進歩はないんだけど、最近はこれに追加してはてなアンテナに登録してブックマークっていうかリンクっていうか更新チェッカっていうかそういうものをごっちゃに管理するっていうやりかたが普及してるのかなと思っていたので登録してみた。
いやべつにアンテナはまさしくアンテナであって、リンクでもブックマークでもないよな。個人で無料でweb上で簡単にアンテナを編集できるって便利だなあ。しかしこの便利さはまたなにかしらの色付けをしてしまうのかな。

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はてなアンテナは確かに便利なんだけどもおれの用途ではあんまりその利便性をうまいこと使いこなせないかもしれないのでしばらくあーだこーだとやりくりしてみる予定。

22:08 2003/01/13

03年初頭の萌え妄想

「萌え」を解釈しようという動きが常に流動的になってしまうのは、オタの一般的な「定義することが好き。そして誰かに定義されたら「いやいやそうじゃなくてこれだ」と再定義するのがより一層好き」という形質のはなしで片付けられる問題なのかなとも思っていたんだけど、いやそれだけじゃなくてもっと違う、性差の問題がそこにはあるんじゃないかとも思ったりもしてみた。
原理的には男が言語のみによって(仮想上の)女のセックスを説明しようとしてるようなものなんじゃないかというのか、そのものではなくて、それに近い何らかの障壁が常にそこにあったんじゃないかということだ。だとするなら延々と定義が重ねられたにも関らず相変わらずまさにこれだというような「萌え」が定義されていない現状は簡単に説明できる。つまり「萌え」を完全に表現するための言語をそもそも男は持っていないので、どれだけ言葉を重ねたあとにでも、誰でもが何とでも言える。だから終わらない。とか。

これはおれが、男性の女性化云々と叫ばれていた世情に対してわりと肯定的にそれを受け容れつつオタの世界を眺めてきたからそう思うんだろうなというか、明らかに根拠となるようなものはなにもないんだけど。
「萌え」は、80年代から90年代初頭までで物質文明的なオタ快楽を(高度経済成長的な熱狂によって)ほぼむさぼり尽くしてしまった男オタが90年代中期あたりから自身の進化(=より取り返しのつかない状態への衝動)の行き詰まりを薄々感じはじめ、おれたちのこれまでの進路にはもうそろそろ先がないから次を探さないと、という戸惑いと模索の時期がしばらくあり、ほとんどの男オタにとってはいまだ未開拓の分野であった精神文明において古くから権勢を誇り一大版図を築いていた女ヤオイの形質を知り、なら次はあすこに学べとがんばってそれを取り込もうとしていく過程で生まれた「男性の中の女性」的感覚がその発端だったのではないかとか疑うことができるし、そういうことを書いてる文章をけっこう前に読んだことがあるような気がするから、たぶん自己言及大好きっ子な男オタならそうした説のうえでの自分自身のありかたに関しても自覚的だ。
進化に行き詰った男オタたちは女やおいに学び、約10年をかけて自身の体内に精神オタ文明に適応するための器官を作った、それが萌えだ、という。完全な意味でやおい化し(つまり萌えを必要とすることなく)、ナチュラルにやおいに適応した男オタも僅かには居たようだがやはりそれは少数派に留まり、だから人工器官であるところの萌えは精神的に稼動こそすれその外殻は物質的なロジックによって形成され、かつ傍から見ると異形のものとなった。やおいはきっかけでありモデルケースではあったが萌えがそれを模倣することはなかった、それはできない相談だったし、やる必要のないことだった、とにかく結果的に適応さえできればいいのだから中身まで理解する必要はない、そうしてオタは見よう見まねで作り出した、自分でもどういう仕組みで動いてるのか実は全然よくわかってない「萌え」というブラックボックスを躊躇なく体内にインプラントした。その結果が現在ではないだろうか。

萌えは男オタにとって新しい概念だったから既存男性語にその意味はなく、かといって女性語ではなかったし、なりえなかった。現時点ではまだそれを説明する言語を持った人間は生まれていないのではないか。いやそれはおれの勘違いに過ぎず、本当は見事な説明がすでにそこにあるのかもしれないが、既存男性語しか理解することのできない男オタであるおれがそれを解釈することができずノイズにしか感じられていないだけなのかもしれない。

ともあれ結果男オタは新たなフロンティアを得て、萌えの力であらたな地平を開拓し、ここまできた。異質の器官によって新天地に適応することになったオタは先住民であるやおいとは似て非なるものになり、だから衝突も融和も劇的には起こらず、しかしまったくないわけでなく、じわじわとその境界線は揺らいでいる。

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しかし、やはり、これはまだ次のステップへの前段階と言えるんじゃないだろうか。ガシガシと勢いにまかせて先へ進んできてはみたが男オタの精神文明はやはりまだまだ単調で、底が浅く、野蛮な面を多く持っている。文明に深みが加わるには世代がかさなり熟成されなければならないだろう。やがて萌えが解体され、かといってやおいでもなく、それでいて普通に物質も精神も自在にするような、いうなればキニスンとクリスの息子キットのような、第三水準知性的なオタが…と、そこでサムライレンズマンがまた読みたくなった。
ともあれ「強引」や「不自然」、「極端」が売りにできる世代は開拓民的だと思うし、それがいつまでも続くようではつまらない、はずだ。あたりまえのことをあたりまえにやってる連中は着実に増えていると思う。

いやそうじゃないかな。この考え方でいくなら萌えの現象は、結局オタが大きく変容することはできないという事実を示すもので、徐々にじわじわとやっていくしかないのだということだから、現在からみて劇的な連中はやはり、うんざりするくらい長い時間をかけないと登場してはくれないんだろう。もちろんそれは、近い将来おれなどの古オタからすればわけのわかりようもない後発で優秀なオタがいきなりドカンと現れるだろう、というような未来予想図よりはおれによって住みやすいオタ社会が今後も当分続くという予想で、それはそれで悪くない。

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で、予測可能っていうかすでにいくつもの実例があがってるのが「萌えテロリズム」の台頭だ。
萌えに関するスーパーハカー、劇場版パトレイバーの帆場英一か、はたまたOVAジャイアントロボのフォーグラー博士みたいなオタがいきなり萌え爆弾を爆発させ、日々アニメに漫画にゲームに小説にと忙しくオタ活動にいそしんでいる平凡で善良なオタたちを同時多発的に萌え殺す。萌え器官はこの場合HOSなりシズマドライブに相当する。これを組み込んでしまっている人間は例外なく抵抗不能で、そして大半の人間がなにが起こったのかもわからぬまま死ぬ。
広く一般に普及し、しかし「誰もその仕組みについて完全に理解していない」状態、これが危ない。ハカーに衝かれればすべてアウト、予測不能の大規模人害が起きる。「はじめてのおるすばん」事件のように。

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…ああ、そうか。おれがいっしょうけんめい自分のあたまの仕組みについて考えようとしているのは、つまり、テロによってわけもわからず殺されるのがいやだからなのか。どのみちテロは起きて、運悪くその渦中に居合わせてしまったらおれも死ぬしかないんだろうけど、それでもおれはそこにおいて、せめてわけがわかって死にたい種類の人間なのだろう。
ハカーといえども所詮は同じ人間、同じ人間である以上萌えエンジンを完全に解明することはできないだろう、であれば、そのハカーと同じ程度まで自分の中の萌えエンジンに対する理解があれば、それによって殺されても自分がどうやって死んでいくのかだけは理解することができる。はずだ。

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と、そういうふうに脱線してみてちょっと思ったんだけど、こういうおれの志向っていうのは萌えエンジンをわざわざ自分に組み込むっていう意義を薄めているよな。ジェットコースターのような日常を楽しみたい、日々発見があるとうれしい、そういうふうに生きるためにはどうすればいいか、それには自分のこころの仕組みに対して無理解であるのが一番だ、とはならないだろうか。
萌えの組み込みっていう状況は、「萌えはブラックボックスだからこそおれたちの日常を面白くする働きを持つ、いやむしろ、たとえ完全に理解できるものだとしてもブラックボックスだというふうにしたほうが楽しめるからそういうふうにしておこう」とかいう心理が働いているんじゃないだろうか。かつてはともかく現在においては、萌えテロに遭遇したいがために、オタは萌えているんじゃないだろうか。

驚きたい、爆死したいからわざわざ自分で死角を作ってみせているんじゃないだろうか。
だとすればやっぱし萌えテロリストが神なり救世主なりと呼ばれている状況は非常に納得しやすい。のか、ぬう。

20:50 2003/01/13

いろいろ映画を見た

「家政婦は見た」で有名な市原悦子氏の若い頃をめちゃくちゃ可愛くしてフランス風にしたら「アメリ」の主人公のひとにならないだろうか?なるよな。でもおれがそうだと信じて疑わない「押井守氏とビョーク氏は似てる」説は賛同を得たためしがないし、似てないのかもな。おれの目おかしいのかな。

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ところでこの日記では女性に対する敬称も男性に対するそれと同じく「氏」で統一することにしていてそういう使い方は用法として一応OKだったはずといううろ覚えなんだけどだいたい合ってるよな。べつに合ってなくても今後もそれでいくんだけど今度確認してみよう。ジェンダーとかフェミニズムとかなんとかそこいらへんのむずかしい判定的に正解ってどういうかたちなんだろう。全員「さん」とか?それもいいよな。

11:34 2003/01/13

Animation / 魔法遣いに大切なこと

魔法「遣い」に大切なこと。
こういう言語感覚でいつもとちょっとちがうかも感を演出しているお話がおれをしあわせにした例はほとんどなく、ゆえにタイトルの時点でおれの脳内警報がワンワン真っ赤に鳴りまくってるわけだがここは敢えて火中に飛び込んで栗を拾ってみようと思ったけど、やっぱりだめだった。苦手苦手苦手苦手、不得手。

というかこれの漫画のほうは先に読んだことがあって、着色は好きだがほかはどうにも好きになれなかったのでっていうかそもそもおれがこの毛色の漫画やアニメやその他作品をまったく受け容れられないことはもうだいたいわかっているんだけど、おれがだめで世間にはいいというその感覚の差を埋めることさえできればおれは低コストにしあわせを得られることになるわけだからおれが知りたい、いや近づきたいのはおれが感じている嫌悪感そのものだと言える。要するにこのアニメを見ているようでいておれはこのアニメなんかどうでもいいと思っているわけで、そのうえでおれはこの作品を受け容れることができないと考えているわけで、こんなに失礼な話はない。その点でおれは反省すべきだが、その反省は誰に向けてすべきか。

変わりたいなら必死で変わろうとしなければそれはオナニーにしかならないというのに。そしてそれは下手をすると、こうした(おれがほとんど本能的に忌避する)アニメや漫画が繰り返し言っている内容そのものであるかもしれないのに。ただ、おれはそれらの内容が正確にそのまんま視聴者に伝わるべく画策されているのかどうかについては、疑問を持っている。むう。
このあたりについての暫定的な安心はもうちょっとで得られそうなんだけど、現状あと一歩半くらい踏み込みきれない。

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交差点で車吹っ飛ばした時点であの女の子がハシッと警官に取り押さえられてなんだかしらんがとにかく暗くて狭い監獄に30年ぶち込まれてこのお話での彼女の出番はそこでおしまい、彼女の困難で偉大な物語は後々に語られることになるがそれはまた別のお話となる、それはそれとして一方その頃世田谷区の路上で、あるささやかな事件が起ころうとしていた、これがいずれ全世界を揺るがす大事件の発端になろうなどとその時点で予見しうる者は誰一人としてなかった、ただひとり、交差点の一端に立つひとりの少女を除いては、なぜなら彼女はこの事件の一方の当事者であり、そして彼女はまさに今日、短くも長かった人生において最も重大で困難な計画を実行に移そうと決意を固めていたからだ、つまり事件は、起こるべくして起こったのだ…。

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とかなんとか全然別のおはなしにつながっていってくれればそれはそれでおもしろく見れたのかもしれないな、おれが。ああだめだだめだ、頭を冷やそう。

ただ、勧善懲悪から懲悪を抜いては勧善が曖昧なものになり、勧善懲悪を補強するためには信賞必罰もきっちり描いとかないと地に足がつかないはずだ、とは言えると思う。そしてただ漠然と勧善を曖昧に描いてみせるだけのものは、それはもう十分に市場に行き渡ってると思うのでそれは新しくないんじゃないだろうか。いやそういうことじゃないんだ。
現状の魔法遣いに大切なことは最終兵器彼女がコメットさん☆をやってるだけにしか感じられず、コメットさん☆は4クール近くかけて感情でいえばただ漠然とした善意だけを持ってる世間知らずのお姫様が人間味みたいなものを獲得するまでを描いてみせて、それはけっこう見事な仕業だとも思えるんだけど、たぶん魔法遣いに大切なことは4クール近くもはやらんのだろうし、であれば13話だか26話だかそんなかんじか、おまけに後発で、であればこそ下北沢なり役所なりのディテールやリアリティを必要としたんだろうし、その現実と非現実のブレンド感覚は間違っていないと思うけど、しかし負けないだけでなく勝つためには、いきなり主人公を30年ぶち込んでみせるくらいのドラスティックっぷりがどこかの場面で必要なんじゃないかと思ったりもしてみたのだ、おれがおれのバランス感覚を取り戻すために。

2:17 2003/01/13

自アン+で得た雑学

ロケット打ち上げものとして名作映画の誉れ高い「OCTOBER SKY」(邦題:「遠い空の向こうに」)は、アナグラムすると「ROCKET BOYS」になる。うひゃあ、気づかんかった、洒落ていやがるなあ。

19:11 2003/01/11

高橋敏幸 / エレクトリック娑婆世界 / 追いつめられた青春の爆発

Mくんオススメの高橋敏幸「追いつめられた青春の爆発」を聴く。あー。
危うく今が21世紀ってことを忘れるところだった。現在に足をつけ歩くことに成功したひとはどのようにでも人生を完成できる気がするから、このひとはこの先いつまで生きても、いつ死んでもいいんじゃないか。
余裕を破壊し、脈絡を拒む。所詮で流石60km/hの疾走。ロックンロール、フリーダム、レボリューション、ピース&ラブ。壊したいけど壊せない。信じてるけど信じてない。どれをとってもすべて大切だが実はたったひとつ解決できればほかはどうでもいい。だから青春であり、ゆえに当然爆発する。それをわざわざ歌にして、気持ちよさそうなリードギターがギュンギュンうなるのだ。結局なんのかんのいいつつ自分にきもちいいことやってんじゃねえか、それは逃避というのだ、しかし、きもちいいことできもちよくないことは超えられないか、それについておれは関係ないからなんとも言えない、高橋敏幸氏の、青春であり、爆発だ。ほかのだれのものでもない。

オナニイー。イエエエエエエー

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高橋敏幸氏という人物が一体どんなひとであるのかおれは寡聞にしてまったく知らないんだけど、この曲は、きっと彼の天才性によってではなく、時代性とそれを切り取って漬け込んでみせる個性をないまぜにしたなんらかの才能でもって青春を完璧に表現していると感じられた。社会÷個人=個性であるのだから、つまりこのひとは間違いなく音楽を自分のものにしているということだ。
密室における彼の支配力が窺い知れる曲だ。ライブ行きたい音楽家だなあ。

18:11 2003/01/11

日々

熱、のど、頭痛、はき気、悪寒。
服やふとんの感触がすべて不自然に感じられる。体調が悪いとき異物を異物だとはっきり感じる気がする。なにかとしっくりいくためにはお互いがお互いに歩み寄らなければならないが、今のおれにその元気はなく、自分の体でさえままならない。モニタごしに感じる痛みのようだ。

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なんかもうわりとどうしようもなくだめなお話でもそれをもとにして結構いい話に仕上げてしまうことは、たとえばシナリオ技術などの腕前によって可能になるだろう。だけどそれじゃだめなんだ。もともといいお話を、なおさらおもしろいお話としてまとめあげたものが欲しいんだ。
ということは、もともといいお話を作る、その環境、それをいかにして作るかというのが、考えてもしょうがないようなことだけども考えねばならないことであるはずだ。それは理論化がむずかしいのかもしれないが、人間が納得し駆使できるのは理屈だけではないのだから、それを理論というかたちで理解する必要はないはずで、だから、そのあたりにヒントが隠されているはずだ。

1:09 2003/01/11

日々

風邪がひどい。熱、のど。
明日までには直す。仕事がたまっている。
頭が痛くなるのでFM音源を鳴らせない。

17:06 2003/01/09

スローメールをはじめよう

近所のLAWSONに新年から郵便ポスト設置されたので、ふと思い立ってハガキを10枚買ってみた(ポストがあるんだから当然ハガキも売っている)。電話なりメールなりでしか一切の連絡を取らなくなって久しいおれなので、ここらでアナログな通信手段の味わいを取り戻しておくのも悪くないかなと思ったからだ。

とりあえず、なんでもいいから誰かにハガキを送ってみようと思う。
滅多に連絡を取らないよーなひとに、近況報告とかひさしぶり元気?とか、届いても届かなくてもどうでもよさそうなやつを送ってみるのもいいかもしれない。投げたハガキはゆっくり届く、そういう猶予があってもいい。要するに1回50円使いきりのメール送信サービスだ(手紙じゃなくてハガキなわけだが)。

と思ったところで、おれは友人知人などの「住所」に関するデータを一切保存していないことに気がついた。あーいかん、電話番号とかメールアドレスとかUINとかなんとか、そんなのしか手元にない。誰にもハガキが送れないぞ、困った。いやいままでそれで困ったことはないから実際今後も困らないと思うんだが、ハガキや手紙といった地理情報を媒介するメディアを一度捨ててる人間がそれをもう一度取り戻すのは容易なことではないんだなと思った。
スローメール計画はやくも暗礁に乗り上げる。ドシャーン。

19:27 2003/01/08

ユビキタスハガキをちょっとだけ妄想してみる

郵便も、アドレスに住基番号みたいなのを書いて送ったら相手が現在どこに住んでても必ずそいつの手元に届くとか、そういうサービスになってくれないかね。
現在の郵便システムはあくまで地理情報を基調としていて「そこに住んでいるひと」は正誤を判定するための材料でしかないわけだから、「ものを送り手から受け手へ届ける」っていう考え方を相当根っこから作り変えないと(というか現在は「送り元から届け先へ運ぶ」っていう発想のサービスで、ようするに土地と物がその主役だ)そういうふうにはできないような気もするし、当然新しいリスクも生まれると思うけど。

ていうかこのへんもいずれうわさのユビキタスなんとかとかが解決してくれるのかね。ハガキに埋め込まれたチップに送り先のIDを吹き込んでポストしたら、振り分けサーバがどんどん中継して現在地まで誘導してくれるというよーな。

手紙でもメールでも電話でもメッセンジャでも、全部同じIDが使えたらラクでいいんだけどな。でもそんなのが使えるようになったらSPAMとかセールスとか犯罪とかが想像を絶するほどウザくなりそうだから、そのサービスを使うための認証のシステムや条件は相当に強固でなければならんのだろうか。

あるひとの名前が、たとえば山田太郎だとしたら、電話でのそのひとは090-xxxx-xxxx、メールだとyamada@xxx.xxx、住所だとxx県xx市xx町xx-xxとか、いろいろ変わってしまうのがめんどくさいのは、現代的で、現代的っていうのは未来的でないってことで、これは今後どうにかなってほしいけど、難しいのかな。
めんどくせからたとえば「山田太郎:xxx.xxx.xxx.xxx.xx」みたいなかんじで一括管理しちまえと。人間相手にIPを振ろうっていうような計画はやっぱあちこち障害が伴うのだなあ、住基ネットも、たくさん問題抱えてるみたいだし(単に管理が杜撰っていうだけならまだ救いがあるような気もする)。

どうなったって結局相手に直接手渡す手紙とか無人島に漂着してしまってひまでひまでしょうがねえからボトルに手紙詰めて流してみるとかそういう文化はなくならんのだろうし、科学が魔法化していくのは悪くないことじゃないかなあ。
ここでおれが書いてる科学っていうのはひとやものが無個性化していくことで、魔法化っていうのはひとやものが個性化していくっていうような、すごくいい加減な表現なんだけども。それはどっちも結構きもちのいいことなので、どっちがいいってことではなくて。

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すごく余談だけど最近しばらくユビキタスがどうっていうニュースとか記事とか読んでると、なんか昔、安田均氏とか黒田幸弘氏とかが大活躍していた時代のファンタジーRPG解説本かなにかに載ってた魔法使い小咄とかを思い出すね。確か「ロケーション」っていう魔法の使い方で、マジックアイテムか何かをどこに仕舞ったかド忘れしちゃった魔法使いの師匠みたいなひとがその呪文を唱えてそれがどこにあるかつきとめるっていうようなのがあった。
その状況を具体的に現在に置き換えるとフィギュアとかディスクとかグッズとかであふれかえったオタの魔窟の中で携帯電話をどこに置いたかわからなくなっちゃって、一緒に居た友人オタに「ごめん俺の携帯鳴らしてくれない?」と頼むっていうよーな状況そのまんまであって、おれがそうした現場を実地に体験したのは確か1996年頃だったかで、そのときもその小咄を思い出して「あー科学の魔法化はだんだん進んでおるのだなあ」とまったく同じ感想を抱いたっていうことを今思い出した。
あー。

19:47 2003/01/08

バリアフリーインターフェースデザイン、バリアフリーゲームデザイン

なんかモヤモヤ思っているうちにDIの02/12/23付の日記を読んだりして漠然と脳内バックグラウンドタスクでチリチリしている問題。最近、というかGCゼルダ以降、ゲーミングインターフェースのバリアフリー化みたいなはなしが具体的に言及されるようになってきているようなかんじがする。

ゲームを運営するにあたって可能な限りすべての挑戦者を公平に扱おうとするという姿勢は優れて正しいものだから、そうした向きに対する「バリアフリー」っていう単語はなかなか適正な気もする。意味にことばを与える場合それがバッチリ重なることはほとんどなくてどちらもが微妙なズレを生じていくものだけど、まあそれはそれとして別のはなしになる。

ここにおいておれが履き違えをしてはならないよなと思うのは、公平に扱うのはあくまでも挑戦者としてのプレイヤであって、勝者としてのプレイヤでも敗者としてのプレイヤでもないことだ。同じだけのチャンスを与えるのはいいが、勝ったやつと負けたやつを等しく扱うようではゲームでなくなる。

徒競走は1位のやつだけが旗を取れるから走る。1位でも最下位でも全員旗が持てるというのならおれは歩く。そんなものはレースではないし、ゲームでもない。インターフェースをデザインするという意識は大事だがそれを意識しすぎてなんか妙なことになってしまっては困る。機会を公正に与えるだけでいい、なんでも均質にするという意味ではないはずだ。ゲーム画面は銀行のATMの画面ではない。

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あんま関係ない話。

錯覚かもしれんと思っているので書くのをためらっていたが一応メモしておく。
おれがゼルダにいまいちハマりきれない理由は、あのものすごく丁寧なユーザインターフェースが、あまりに明快に「このゲーム内世界にリンクとして降り立ったゲームプレイヤであるおれ、自身は、このゲーム世界に対してものすごいハンディキャップを抱えているのだ」という事実をおれに意識させるからだ。
障害を抱えつつ世界と向き合う強さを現在のおれは意識的に持つことができないということだろうと思う。

なんでもかんでもサポートしてくれる。端から飛べば勝手にジャンプ、水に入れば勝手に泳ぎ、カメラはすごく親切で、世界は愛に包まれて、とかまでいってしまいかねない勢いでゼルダのユーザインターフェースはおれの意思をゲーム世界になるべく無理なく伝えようと支援する。そこまでやってくれるのか、ということは、そこまでやってもらわなきゃならないこのおれっていうのは、すごく不自由なやつなんだなあ、ということ。
もちろんそんなのはもともとコンピュータゲームである限りあたりまえの話で、きちんとばっちり操作系がプログラムされていない限りプレイヤはゲームに1イントたりと干渉することはできないわけなんだけど、なんかこう、ふとそういうことを考えさせられてしまってみじめな気分になる。

煩雑でもいい、難しくて構わない、操作に失敗してもいい、それで死にまくってもいい、やり直すことはできる、だから、自分でやらせてくれ、と、思うことがある。こんなのできるかよと苛立ちながらコントローラを投げつける自由、それをくれ。「できないのは自分のせいだ」と、ゼルダにおいて実感することはほとんどなく、だからたぶんおれはそれが気持ち悪く、そしてそうまでダメかおれはこのゲームに対して、と絶望するのだ。
そしてたぶん実際におれはとてつもなく不自由であり、ゼルダのシステムのサポートは、ものすごく適切なのだよなあ。コントローラ投げつけるようなゲームは、ダメって言うだろうしなあ。つくづくわがままだなあ。

2:18 2003/01/08

よりぬき年末年始写真

全部まとめておこうと悪戦苦闘していたんだけどめんどくさくなったので一旦破棄して適当によりぬきしてみることにした。

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連絡用ブザ。

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男の子の科学へのあこがれは2種類あって、ひとつは科学者(化学者)へのそれであり、もうひとつは技術者へのそれであると思う。少年にとっては未来も明日も等しくまぶしい。
おれのこの胸の「ブザ」に感じる燃え上がりは、おそらく技術者的なものへの憧れだろう。

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未来へ!

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とかなんとか格好いいこと言ってみたが単にこの場所に立ったときふと萩尾望都「11人いる!」の最後のコマを思い出しただけ。
JSRF的グラインドにわりと適した構造体ではある。実際使うにはループになるような構造をいくつか追加する必要があるだろうけど。とか余計な妄想をしてみたりする。

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親不孝→親富孝。

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結構前の話だったような気もするが、今回はじめて福岡天神「親不孝通り」が「親富孝通り」に改名されているのを目視確認。あーそりゃねーよ、下品なことするなあ、せっかくいい名前の通りだったのに。

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福岡DOOM。

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がんばれホークス。

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2000年後の未来人に発掘されたらどう見えるかねこの球場。

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おまけ。球場横のショッピングセンター・ホークスタウンのゲーセンにて。

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スペースワールド駅。

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鉄の街から宇宙を見上げる。
年末で、スペースワールドの鉄柵の向こうではカウントダウンパーティのリハーサルとかが行われている様子だった。

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八幡製鉄所東田第一高炉

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1901年稼動開始。

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おれが最も好きな麻雀(…?)漫画の中のひとつ、「ナイトストーン」。2巻完結。

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漫画原作者っていう商売をやってるひとは大抵ものすごい曲者な性格をしているっていうけども、原作付漫画家と漫画原作者の配合に失敗するととんでもない漫画が出来上がってしまうこともあるという格好のケーススタディ。時代のこと、ひとのこと、麻雀漫画という土壌、などなど、諸般の要素がこの漫画のブレーキを緩くしてしまった結果このコンビは崖からハイジャンプをかましてしまったようであり、好きだ。

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麻雀漫画至上屈指の名台詞「この中にワシの反物質が」。
組長の反物質はシャア。約束だ。
この1コマを生む流れを作ったというだけでも十分歴史的価値のある漫画といえる。もちろんこの漫画の魅力はこれだけに収まるものではないので、未読の方は是非一度手にとってみることを強くお勧めする。

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道はどこへでも続いている。

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農道をてくてくてくてく延々歩いたりとかもした。
山も、遠くまで遮蔽されない視野も、障害物のかけらもなくすべてのパースが連続しているでかすぎる空も、ものすごくひさしぶりで、圧倒されて、押しつぶされそうになったり、はじけそうになったりとかした。地球でいながら宇宙のようだ。いやここも宇宙だとインディアンのおっさんもプラネテスで言っていたな。

あと、写真はないが、夜中一晩中山道や湖畔のようなところとかを歩いたりもした。星がまたものすごくまぶしく、多くて、それが理由でおれは死ぬと思ったりした。弱い人間は星空に殺される。東京に慣れるとそんなあたりまえのことにさえ畏れを感じてしまうのかもな。宇宙が強くなってるんじゃなくておれの感覚がヤワになってるんだ。宇宙はもともと圧倒的に強いので、おれが感じることのできるスケールではあれ以上強くも弱くもならないはずで、だから、東京の夜と昼は、おれを弱くしていると思った。

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「金日成のパレード」DVD版。

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なんといいようもない。
おれなどにしてみればこの映像は笑うしかないはずなんだが笑えない。冗談とはとてもじゃないが言えない。事実としては重過ぎる。近いといえども遠すぎる。
なんといいようもないおれが居るというのはつまり、現在のおれというのは非常にあいまいな存在としてあるということであり、世界の事実と対するためには事実としての肉体が必要なのだなあ。

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ラーメン。

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今回九州に行ったのはラーメンをいやというほど食うためだったのだが、うまいラーメンを食うという側面から言うと正直あまり高い達成度を得たとは言えない。目当ての店のいずれもが閉まっていたからだ。年末年始だし。
結局そのへんにあった店で満足してしまった。
なので、特にうまいということもない普通のラーメンだった。

しかしそんなことはいい、まずいとかうまいとかそういうのは贅沢な判断というべきだ、なぜならこれらのラーメンは、間違いなくラーメンであり、間違いのないラーメンというのは、つまり豚骨のことだからだ。

23:27 2003/01/07

1とZERO

忘れていたわけではないが書いとくのを忘れていたので忘れないうちに書いておく。
年末にTくんの家で「ENTERPRISE」1〜8話と「MACROSS ZERO」1話を見た。
取り急ぎ感想。

あー、いかん考えがまとまってないー、またかきかけで寝てしまう気がする。

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短いほうから。MACROSS ZERO。
完全3DCGの戦闘シーンはLightwave臭(?)がきつめの印象だが「戦闘妖精 雪風」(こちらを鑑賞するにあたっては残念ながらほとんど激痛に近い感覚を伴う、おれは雪風自体の描写とか非常に淡々としててわりと好きなんだけど)とかと比較して明らかに隙を少なく具を多く仕上げることに成功している、予算とか期間とか編成とか、なんかいろいろ違うんかいな。
2D原画のクオリティもいい具合であり、鑑賞に耐える。
見るべきキャラクタは主人公(「エリア88」の風間真と「戦闘妖精雪風」の深井零を足して2で割ってちょっと砕いたかんじ)と若いロイフォッカー少佐(当時から昇進してないのな)、声優:神谷明。一応ヒロインキャラは南国孤島の巫女姉妹(陰のある宗教ねえさん+ショートカット明るめ妹)なのだろうか。マクロスなのでどうせあとでオペレータ三人娘とかなんとか賑やかしは増えそうな気がする。

驚くほどすごいわけではないがいろいろ丁寧に調べたり実験したり作り込んだりしてる印象、悪くない。ギャル臭も嫌味なほどではなかったし。こうした重さと軽さ、浅さと深さの肌感覚がマクロス的っていうことなのかなあと考えてみれば、毎度なんだか違った方角を向いて時折迷走しがちにも見えたりする(歴史から抹殺されてしまったらしい「2」とか)マクロスのシリーズにもきっちり一本のラインは引かれているのかなと感じさせる。つづきを見てみたいと思った。
2話で力尽きてなければいいが。

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で、ENTERPRISE。スタートレックTVシリーズ最新作。Hさんの話によると従来のシリーズのファンからはあんまし評判がよくなかったりもするらしい。実際んとこどうなんだ。

このシリーズの舞台は22世紀、初代(キャプテンカークの時代、いはゆるTOS)よりさらに前のおはなし。TNG派生の劇場版「ファーストコンタクト」でコクレーン博士がワープエンジンを作ってバルカン人とファーストコンタクトを果たすというエピソードが紹介されたが、あれから数十年後、「地球人の宇宙進出は時期尚早」とするバルカン人たちの制止を振り払い、地球製当時最新鋭の宇宙船(TNGとかとは比較にならないオンボロ宇宙船)エンタープライズで未知の宇宙を探索するぜー、イエー!というかんじ。
もうね、このエンタープライズが愛らしい。すぐ故障する。牽引ビームも光子魚雷もなし。ドアの開閉さえ自動ではなくボタン式。転送技術は実験中でまだまだ不安定。当然レプリケータもないのでメシや水は頑張って分解再利用。ボロい。ボロすぎる!24世紀の快適な探検旅行が嘘のようだ。最高速はワープ4.5とか自慢気に言ってるし。これだけでニヤニヤもんですよ(TNGだと逆に「永遠への旅」で未来のクラッシャーが「ワープ13」とか言ってるのに驚きニヤニヤしたものだったが)。
しかも航路は完全に未知の領域というわけではなく、所詮未開の地球人の宇宙船のやることだからバルカン人がとっくに調査を終えてる宙域をヘコヘコ改めて探検して回ってるというショボさ加減(宇宙は広いのでそれでもいろいろ残ってるみたいだけど)。地球人宇宙開拓の黄金時代は遠く、それはまだカークの時代を待たねばならない。
とかなんとか書いてみたけどどうも書き方が下手くそでいかんな。このあたり参照、でいいのか、うう。

で、感想。満足できない点もあるのだがとてもおもしろかった。なんか最近このパターン多いけどそういうバイオリズムなのかなおれ。やな周期にあたっちまってるなあ。
ともあれ、結局一晩休まずグイグイ8話まで見た。

「従来のファンからあんまし評判がよくない」と言われる理由はしばらく見ていてなんとなくわかったと思う。脚本のテンションが高くて、反面粗が多くなってる気がする。テンションっていうよりなんていうのか、磁力や重力のようにさまざまな要素が絡み合い、ドラマが徐々にクライマックスへと編み上げられていく深く静かで大きなうねり、といったスタートレック的ドラマの魅力とは若干ズラしたドラマづくりなのだろうか。よくも悪くも時代が古く、宇宙船もボロで、感覚が野卑で、アメリカ人のアクが強烈に出ている。
なにしろあのむちゃくちゃやってた宇宙英雄キャプテンカークよりさらに大昔の話だからな、わけのわからん異星人とのコンタクトがむずかしくあるように、そうした未知との接触以前の問題として、TNG以降の温和な地球人に慣らされているとまずこの22世紀地球人の感覚と同調するのに苦労する。
バルカン人も22世紀当時ではまだ未成熟な部分があるのか、わりと激しい行動を取ったりする(バルカン人の性質については、地球人とのハーフであるMr.スポックがそれを気にして極端にバルカン的に振舞おうとしていたということらしいが)。それにいやみで、鼻もちならない。このあたりはドラマづくりとしての、22世紀当時の地球人的感覚を加味したカメラごしの印象ってことだよなあ。

あと特筆すべき点がある。ENTERPRISEにおいては、登場人物がわりとよく「走る」。
走るなんて!なんて野蛮な!

設定やストーリー、キャラクタの立ち居振る舞い、シリーズ自体の展開など、ひっくるめて粗く激しく、これまでのスタートレックではなく、だからタイトルに「STAR TREK」が入ってないのだろうし、それが新しい魅力だ。こういうアメリカっぽい横柄さというのが、最近の世情と相俟って胡散臭いといかキナくさく感じてしまうむきがやっぱしあるんじゃないかと思う。
スタートレック世界においてはヒューマノイド型でない宇宙人の人権は尊重されないというか、劇中の人物たちは基本的に五体備えた人間型の生物にしか格を認めないし、その博愛精神は「生命皆兄弟」的にはひろがっていかないのだが、それはこのドラマの制作国であるアメリカがキリスト教国だからなのかもしれないし、というかそれ以前にどうしようもなくアメリカ人っぽいし、わけのわからない不定形宇宙生命体とかじゃなくて登場キャラはすべて人間+特殊メイク程度ですませられないと撮影に支障が出るっていう単なる制作上の都合なのかもしれず、これはシリーズ共通でわりあいずっとそうなんだけど、それさえも特に今回なんか引っ掛かりとして感じてしまう。

しかしなあ、それをつなげてしまうのはおれの勝手な連想なんだし、単体で見るならこういうノリも当然アリだと思うわけで、これはこれでひとつの引き込まれるかたちなのだ。話の途中でSTOPボタン押せないし。むう。
なんだろう、人間走るのはあたりまえじゃないか、それを忘れてはいかんのだという、それもまた優れて正しいことなんだよなとか思いつつとりとめなく。

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ああーやっぱり寝てしまう。寝る。

2:19 2003/01/07

日々

なんのかんのと難癖をつけつつ今日も遊んでいるドリルランドなわけだけどこれのオープニング曲の「すすめ!ドリラー」はあれだね、なんか少年ロボットアニメの曲みたいな風情があるね。サンライズ勇者シリーズとかからは微妙に外れたあたりの、えーとたとえば「熱血最強ゴウザウラー」あたりの後番組の主題歌です、とか言われたら何のひっかかりもなく納得しそうになった。あぶないあぶない。

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サターンで灰色になったり白になったり黒になったり透明になったりしてよくわからん時期があったけどDCでなんかああいうかんじの清潔っぽい白がいまどきのゲーム機色なのかなとか思った時期もあったが今ふとTVの前を見てみればXBOXもGCも真っ黒であってなんだか時代がメガドラとX68kのあの頃に追いついたようで嬉しくなったりそんなわけあるかとしょんぼりしたりした。

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今日のメモ。

4半世紀続いたワープロも終わり、そして気がつけば4年も続いていたどれみも、終わってゆくのだな。

22:24 2003/01/06

猫の年末

旅行先で撮った猫写真でもまとめておこう。

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かれらは、人文社会学的にわりとめんどうなことになっているらしいところに住んでいるので、かれらを取り巻く環境というものはなかなか複雑みたいなんだけど、かれらは猫であってひとではないからかれら自身がひとのそうした絡み合いに頓着することはないんだろうし、おれもそれをどうこうする立場に居ないので、おれはかれらといたってシンプルに邂逅し、去ったのだった。

22:24 2003/01/06

年末年始の買いもの

今野緒雪:「マリア様がみてる」2〜6巻

1巻は忘年会でTさんにもらっているのでこれで1〜6巻が揃ったことになる。
結局移動中に読了。7巻以降を買うかどうかは現在思案中。
いまのところ単体でそんなにおもしろいものではなかったのだが(オタとしてこの歳まで生きおきながらいまさらコバルト文庫から「発見」があるようではそれはそれで大問題というべきだし)、でも先日の冬コミで上田ハジメ氏が「マリみて」本を出したっていうのでこれも何かの縁だ、全部読んでみることに今決めた。

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TAKARA:電脳迷路ゲーム「A〜!」

Mくんに薦められてやってみたらすごかったので買った。とにかくよくできてる。

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こういうかんじの球状立体迷路(といっても一本道)の中でパチンコ玉を転がすゲーム。
1から100まで順路にナンバーが振られており、行程ごとにさっきまで床だった部分を壁にしたり、壁だったのを床にしたりと、球をクルクル回しながらゴールまで玉を運ぶ。
まだクリアできたのは初級のみ、中級はもう少しでクリアできそう。

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羽子板。

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盤面の絵のインチキくさい少女漫画っぷりが気に入ったので。
3種類あったので目をつぶって選んで、結局写真一番左のやつを買った。

2:05 2003/01/06

日々

あー日付かわったので今日から仕事だってよ信じられねえー。

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のたりくたりと今日は、年末にdimaniaxでなかなかよいと言っていたので信じて買ったGC「ミスタードリラー ドリルランド」をちまちま遊んだりした。

「僕の→地球 僕らの地球」はよい唄だ。ゲームの雰囲気もなかなかよい。
なかなかよいのだが、クリア記録(クリアスタンプ)以外の記録(何メートル掘って死んだか)とかは記録してくれんのかなこのゲーム。あとモード決定したりとかなんとか肝心のゲームに入るために押さなきゃならないボタンの回数が多いのが徐々にストレスに感じられてくる。つーかゲームの単純さと飾りつけの複雑さがちょっと乖離気味かもしれんよなこれ。
とかなんとかいう具合のなかなか感。デコレーションの出来は悪くはないのだが、それあるがために気持ちよさからは遠く感じてしまう。

コンシューマNAMCOゲーにみられがちな企画展開の弊害なのだろうか。
なんでもいいからモード増やして、とにかくコレクション要素を入れてみて、全部埋めさせていけば満腹にはなるだろう的な。そういうの、プレゼンテーションとかなら減点要素にはならんだろうけど、場合によって使い分けないと加点要素にはならんのじゃないのかなあ。

不満はありつつ、そこそこ満足している。

0:53 2003/01/06

日々

寝た寝た。すげえ寝た。
昨日かえってきてMさんとSさんとめし食って自転車で帰りつつ青空を眺めてあーやっぱ東京の雲は九州の雲より気合が足りんかんじだよな、九州は冬でもモクモクってかんじだけど東京はサーサーってかんじ…いやスイスイかもしれん、とか適当極まりないことを考えつつかえってそのままバタンと寝て起きて時計を見たら12:32。

おれはいつも時計を24時間表示にしているはずなのにそのことを思い出せないまま12:32が午前か午後かわからず、外に出て一服しつつ青空を見るまで昼か夜中かわからなかかったくらいに血圧も落ちていた。正月ボケっていうのか。だいたい丸1日寝ていた計算。

12:52 2003/01/05

謹賀新年

今年もよろしくおねがいします。
03年は未年ということで、忘れないうちに、02年最大の未(っぽいもの)画像を転載。
ほんとはビルの爆破解体の様子みたいなんだけど、こりゃひつじだ。

写真
元ページへ(http://news.yahoo.com/news?tmpl=story2&u=/021209/222/2u2m1.html&e=1&ncid=441)

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しまった、正月あたりに「羊達の沈黙」を見る予定を忘れていた。

12:51 2003/01/04