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02/12/01-14
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TMJ、その後。

先日、やっとみつけたTMJ。

TMJ

どこに移転したのかと思ってたら、こんなところにあったのかよー、ははは。
探すのに4年もかかっちゃったよ。

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こう個人ニュースが発達してしまっている国内webの現在では、TMJみたいなネタが成立するのは難しいかもしれないな。ネタに「嵌める」派が大多数あったとしても「ネタバレする」派が僅かでも存在してしまえばあとはあっという間にそれが広がるし、広げざるをえない。あれはやっぱしなんのかんのでネットの流れが不案内であった時代だから成立した娯楽であったような気もする。

とはいえ、こういうふうな形で発達してしまっているネットの情報流通のしくみ自体をうまいこと使ってその関係者のほとんど全員をだまくらかすってのは、まったく無理なことでもないとも思う。まったく別のやりかたになるかもしれないけど、情報系というものは、それがどんな規模のものであっても「アホな熱病」に対する免疫力は弱いと思うからだ。すくなくとも情報系の利用者がひとの集まりであるかぎりは。

2:20 2002/12/14

日々

トランプゲームの大富豪(土地によっては大貧民っていうのか)に関して、Fさんは「1位を取って逃げまくる」ゲームだと考えており、おれは「2位を取ってそれを維持する」ゲームだとそれぞれに考えている。
もちろんおれは、おれの考えのほうが正解だと思っているし、それを補強する理論もある。Fさんが脳内でそうしたものを用意しているかどうかは知らないけど、まあそんなもののあるなしはこの場合重要じゃない。どういった経緯であれ人間は自分がそう思った(考えた)ことを正しいと認識する性能を持っているから、おれとFさんが互いのゲームに対する考えかたを傍目に見ながら「あいつはあんなこと言ってるけど、おれの遊び方こそが正しいにきまってる」と思っているという状態は正常な関係といえる。

対戦要素のからむゲームのうち長年生き残れてきているものは、そのほとんどがプレイヤ同士でそのゲームの遊び方に食い違いを出せる程度の幅の広さというか、懐の広いルールを持っている。というかゲームのルールはルールでしかなくてゲームそのものではなく、ひとつのルールに対してある各プレイヤ単位の無数の見解こそがそのゲームを対戦ゲームとして成立させていると思う。

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自アンで実際に大局将棋を復元した写真が紹介されてたんだけど、ほかにねえのかなと思って調べてみたらほぼ全体を収めた写真があった。こまかすぎて見えねえよ。

どうやるんだろ。こんな駒多いと個人ではもはや好手悪手とか判断できないレベルにも思える(実際やってみると案外そうでもないのかもしれんけど)。
チーム内で部隊編成みたいなものを適当に割り振って、集団で軍議とかしつつ戦局を進めていくかんじにしないとまともには遊べないかんじじゃないのかな。そうした場合のゲーム性っていうのは「思考と分析をどういうふうに分業化するか」と「全体会議をどのように進行させるか」の方法論とかそのあたりになるのか。前線分析とか大局を見る役とか、参謀としての知略や政治力によって勝敗を左右するというよーな。

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IBM.comの編集室ではトラフィック量の表示系に風車を使っている(リンク先ページの下のほう)らしく、なるほどネットワークに関する感覚器官っていうかそんな試行はいろいろやられてんだなーとかちょっと感動した。

<ここから引用>

写真の一番右側の風車がリアルタイムのトラフィックを示し,その左隣の風車は5秒前のトラフィックを表している。風車は全部で12個あり,左端の風車は1分前のトラフィックということになる。

なぜ,そんなややこしいものがあるかといえば,「ディスプレイで監視するだけでは分からないものを五感で感じるため」(日本IBM)だとか。

<引用ここまで>
0:40 2002/12/13 採録

USB接続のIrvineあたりと連携する風鈴とか作れんものか。
夏なら涼やかでいいかもしれんけど冬は寒々しいか。ていうかヘヴィダウンローダーなひとの風鈴は鳴りっぱなしで鬱陶しいか。ならUSB扇風機で…。むー。

0:44 2002/12/13

線と時間

珍しくひとの顔を写真に収めていたときに発見したこと。
シャッター時間とまばたきの開始から終了までの時間がかぶったとき、そのひとの目元は天野喜孝氏が描くキャラのそれと非常に似る。目を閉じている状態と開けている状態が一枚のJPEGの中に混在しており、ていうか単にブレてる写真なんだけど、全体のアクションではなくて目の部分だけそういうふうになっているというのがなかなかおもしろく、ちょっといい写真が撮れたんかいなと思った。
ていうか天野氏の絵にあるあの目元の描写っていうのはそのキャラクタのまばたき時間を二次元に封じ込めた表現なんじゃないだろうかと仮説を立ててみたけどなんかいきなり突飛すぎるかなと思ってすごすごとこころの引き出しに仕舞いこんだりした。

おれは、ものの絵にただよう微妙な色気っていうのはそれに対してどういうふうな時間をどういうふうに封じ込めるかという絵描きの腕前にかかっていると思っているので、天野氏の絵にあるそれもやっぱり時間という切り口でながめてみるとおもしろいのかもしれないっていうか、そういうふうに眺めてみると大抵の絵はおもしろく見ることができるのでまあおもしろかろう。目元のはなしはまあ、置いておくとして。

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漫画でよく言われる「アクションを描きたければデッサンをちょっと崩したほうがいい」っていうのはそういうふうな意味で解釈すれば実に論理的だ。アクションを描くならコマとコマの間の時間、だけではなくて、同じコマの中も時間の流れを視線の流れに沿って徐々にズラしていったほうがより効果的な場合がある。たとえば仮に胴体の位置と動きをゼロとしてみて、足元は実は胴体時間から0.3秒前のポーズ、腕は0.2秒後、指先は0.5秒後、目つきは0.5秒前、背中でなびいてる服のあまりの部分は0.7秒後とか、まあ例えは滅茶苦茶だけども、そんなかんじに「同じ流れに沿ってはいるけどパーツごとに静止している瞬間が違う」みたいな技法。例えは無茶苦茶だけど、一応そんなかんじで。

3D格闘をやったことのあるひとなら1秒間を60フレームで分割するという考え方がわりと自然に身についていると思うのでもっとわかりやすい。ひとつのポーズに対して、それが紙面に占める割合と、そのアクションに含まれている本来バラバラなはずのフレームの数、その連続、流れによって成立しているアクションシーン、リズムを解体してみる作業だ。それは逆に言うと「すべて1コマ1フレームで描いた場合には、この流れを説明するためには本来何コマ、何ページ必要であったのか」を割り出す作業でもある。
普通に読んでるぶんにアクション漫画はほかのジャンルのものよりページをめくるスピードが速めだけど、その気になればそこから汲み取れる情報量は相当に多い。そしてその省略、ひとまとめの比率が高ければ高いほどにその漫画は「アクション密度の高い漫画」と言うことができるんじゃないだろうか(一概に高ければよいというものでもないと思うけど)。

最近じゃもう見かけなくなったのであれだけども、一昔前にちょっと流行ったアニメのフィルムコミック(アニメの絵を無理やり漫画のコマのように切り取ってならべたもの)とかを見るとまたおもしろいのだ。どっちがいいというはなしではなくて、漫画と動画のメディアの特性差がよくわかる(というかフィルムコミックという形態はどう考えても動画に不利な見せ方なのであれで動画の魅力を理解するのはむずかしいと思う)。

そういうふうな文脈でいくなら当然、違う瞬間を捉えたポーズの集合体である「そのコマでアクションしてるキャラクタ」の全体としてのデッサンが合うわけはない。効果線とかなんとか日本の漫画には特殊な技法がいくらでもあるのでちょっと一概に言ってしまっても意味ねーんだろうけども、単なる瞬間を切り取っただけの一枚絵で伝えられる(アクションとしての)情報の質量はやっぱり少ない。敢えて使うとしたらやっぱし一発決めゴマとかで完全静止の一枚絵をドカンと一発とかいう具合がおいしいだろう。
静物画に色気がないのと同じで、線の太さの違いやデッサンの狂いなどというのは微妙に解体された個々の時間の封じ込め作業をわかりやすく伝えるための言い換えなんじゃないだろうかと思う。

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ていうかこんなのはそれこそ基礎の基礎のはなしであって、絵や漫画を語りたければもうちょっと先が見えてないといかんわけだ。先っていうのはしかし具体的に、なんだ。よくわからん。それはあたりまえの話で、マニアの世界っていうのはやらないとよくわからんものなんだから、やってないのに見えるわけがない。
やってないのにある程度先が見えるとしたら、そいつはたぶん頭がいいのだ。

しかしそればっか考えてるやつはいずれそうした地点を越えてどんどん遠くに行くのだよな、頭がいいやつならまたさらにすごいところまで行っちゃうだろう。
おれも生まれてこのかたそういったことばかり考えて生きてきたならそれなりに今見えないものが見えるくらいにはなってたのかもしれんのかなとか(やってないしやろうと思わないんだから無意味な妄想だけどな)考えれば、あー人間それぞれ勝手に他人にとってはわけのわからんことをブツブツ考えるやつが居るっていうのは素晴らしいことだなあと思った。とかなんとか例によって適当に膨らんだいい話にまとまりつつあったのでそのへんで妄想おわり。

22:46 2002/12/11

日々

自アン+で得た雑学。
フリーセル中にShift+Ctrl+F10で現在のゲームのインチキクリアを選択できる。「中止」で勝利して終了、「再試行」で敗北して終了、「無視」でキャンセル
やってみて愕然。まじかよ、Windows95時代からやってんのに全然知らんかった(あーいや、98からだったっけかっつーか95にそもそもフリーセル入ってたかどうか記憶がすでに霞んでいる)。
いまさら知らなかったのおれくらいか?アンテナ埋没。

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自アン+で得た雑学その2。
中将棋盤面写真
んでもって故・大山康晴名人による中将棋の紹介文。以前どこかの個人ニュースサイトだったかで紹介されててそのとき一度見たような記憶があるんだけど、とりあえずメモ。

将棋にもいろいろあるようだ大局将棋とかすごすぎ。

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Quantum。レッドシフト出した。
シークレットも全部出てた。つーかシークレット全部ONにして突っ走ってるとなんのゲームか全然わからんなっていうかドラッグムービーみたいだ。どっちかっていうとdemoによくあるっぽいっていうか。

demoという単語から連想して思い出したけどニルヴァーナ・エンジンとかって今見たらどんなかんじなんだろ。あんま大したことないのかもしれない…けどああいうものは見る環境によっちゃうんだから時系で感想を出してもあんまし役には立たんか。はじめて見たときは「あーなんか技術の使い方がおしゃれくせー、さすがマカーのやることは垢抜けとるのう」とか思ったもんだけども。

2:41 2002/12/11

巨大ひつじブラジルにあらわる

俺ニュースに紹介されていたビル爆破の写真なんだけど、来年ひつじ年だっていうから羊の写真かと思ってしまった。羊毛に見えるよな煙が。

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Yahooの写真ページってどのくらい保存されてるのか知らんのだけど、当分残ってるなら来年の年賀メールとかにここのURL添付して送ったら考えオチとして使えるかな。

8:54 2002/12/10

みうらじゅんの仮性フォーク

ネットラジオ。
ぎあー、おもしろい。はずかしい。
みうらじゅん氏が高校1年(74年)から浪人時代までに作った400曲を全部紹介しようという番組だそうだ。現在現在第二回まで。聴いててはずかしさに悶え狂って途中で止めたくなるけどがんばってきこう。これはおれの恥じゃなくてみうらじゅんの恥なのだから感応してはいかん、いかんのだ。
安易な自己同一化はオナニーのやりかたなんだから楽しいけど後でむなしいのだー。

8:54 2002/12/10

ものの名前をどう呼ぶのか

Iriaはイリアでいいような気がするけどほんとはアイリアなんだろうか。
Irfanviewはアーファンビューと読んでいるし、Irvineはアーバインだろうと思う。

Evangelionはエヴァンゲリオンじゃなくてエヴァンジェリオンなんじゃないだろうか? 正確な発声とかそういったものは韻文的な意味こそあれ散文的にはわりとどうでもいいと思う(これ場合によっては逆だと思うけど)ので、べつにどれが正しかろうと構わないんだけど、しかしなんとなくホームページをほめぱげって言ってるような照れくささを感じる。シャイな発音エヴァンゲリオン。
ああいや違うか、エヴァンゲリオンはネルフとかゲヒルンとかドイツくさい発音大好きっ子の組織が運用してる巨大人型兵器なわけだからドイツ語っぽく発音するのが正しい気もする。とか思って調べてみたらそのような説のページがあった。

どのみち片仮名にしてる時点でどれも正確ではないのだ。
IriaはIria、IrvineはIrvine、EvangelionはEvangelion、LinuxはLinuxと表記してればそもそも問題は発生しない。

いやしかしエヴァンゲリオンの場合はカタカナの読みのほうが英語より先じて重要なんじゃなかろうかという気もするのでこの場合カタカナの読みが基準でそれに合わないなら英字のほうを修正するとかそういう筋道の話なのかもしれない。

とか、どーでもいいことをふと考えた。
おれにとってこうした話はほんとにどうでもいい。おれはM16を「えむじゅーろく」と読みつつMP5を「えむぴーふぁいぶ」を読んで何の抵抗も感じないから。よくわからんな。

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文法だとかことばの使い方とかにはこれが正解っていうものはまだあると思えるけど、ことものの名前に関しては、本当はありとあらゆる呼び方、書き方に「間違い」っていうものは存在しないんじゃないかと思っている。でなければすべて正しくはないのだ。そこに基準が存在しているとは思えない、であればおれにとってそれは相対的な問題に過ぎない。

自称、他称、届き、伝わり、つたわるごとにノイズが混じり、しかしそれぞれの個人は同様に(あるいはいくつかの要素を含まず、または違うものを含んで)それを指すことばとして使っていて、そこに正解があるとすればひととひとの中間にそれはあって、誰の中にある名前も、それが個人の中にあるかぎり真ではない気がする。もしくは、それぞれが正しいとも言えるんじゃないかというか。どっちでもいいと思えるほどに、それはどうでもいい問題だ。

ひとから「これの名前はこれだ」といわれたときにおれがすることは、その発言者と自分とどちらがよりそのものに近い位置にあるかの(すごく軽い)判断だけだ。
「ぼくはみさきたろう」といわれれば、彼自身にもっとも近いのは彼本人なんだから、それより遠いおれとしては「んじゃこいつの名前はみさきたろうなんだろう」と思う、というだけのはなし。そこに「正しいか」「正しくないか」の判断はない。距離で測れるのは責任とかそういったものの重さ大きさだけで、正確さではないと思う。
その程度しかあたま使ってないし、それで全然問題なく暮らしていけている。

5:48 2002/12/10

東京初雪?その2

おいおい、なんかそれなりに道が白くなってますけど。
だめだね雪慣れしてねえやつの予想なんてはずれまくりだね。

雪 雪 雪 雪

一応字が書けるくらいには積もってますよ。
つうか明日あたりにはネットに雪文字とか雪絵とかの写真がたくさん上がりそうだな。
とか思いつつおれも記念にひとつ。

┗┫●皿●┣凸

雪降ってるっちゅうのに裸足サンダルで散歩しまくってしまって、いまちょっと足先がかゆいですよ。部屋がいきなりあったかいので。PC暖房効果は馬鹿にならんものだな。

なんか面倒にならんうちに今日ははやめに仕事いっとくかね。
ちとはやすぎるかもしれんけど。

5:57 2002/12/09

ぴょんぴょん跳ねる系のひまつぶしゲーム用

まずは描くだけ描いてみた。

ジャンプオタ

これから調整してみる予定。
こういうやつをぴょんぴょん跳ねさせるってのはどうだ。

2:26 2002/12/09

東京初雪?

なんか昨日の朝っぱらからやけに寒いなーと思ってたんだけどさっき煙草吸いに散歩に出たら雨だった空模様がいつのまにか雪になってやがんのよ。

雪 雪

うわー雪ー雪ー。南国人なので雪が降るとアドレナリン出ますよ。
どんどん降れ。わんわん。

しかしまあサクっと消える雪だよな。積もほどのちからはない。この調子で降るなら明日は、ぐずぐずになった雪の残骸と溶け出した黒い埃にまみれた汚い朝になりそうだ。

車とかゴミ箱とかベンチとかの上だと多少は積もる気配。
これもたぶん昼くらいまでの命。

2:26 2002/12/09

不景気時代の「微妙」

「微妙」の意味が、それ自体微妙にかわってきていると思う。

ここ半年くらいだと思うけど、微妙っていう言い回しをよく使うようになった。
なぜこう使用頻度が上がってきてるんだろうとか考えてたんだけど、それは現在の「微妙」がそれ以前の「微妙」より不透明というか、それ自体に意味のある、色のついたことばとして使われるようになってきたからだと考えてみた。

具体的には「微妙」をそれ単体で使うとき、「微妙に悪い」という意味で使うようになってきている気がする。というか、よく覚えてないんだけど、以前は「微妙」にはそれ自体「悪い」という意味がなかったように思う。

「この商品どうよ」「うーん、微妙…」「ああ」
微妙(に悪い)ので買うのはやめとけ、となる。

以前は、「微妙…」のあとに説明(「微妙によい」のか「微妙に悪い」のかの指定とか)があったり逡巡があったりしたと思うんだけど、最近はそれがあらかじめ省略されている。ボーダーラインの以上と以下、そしてボーダーギリギリで分けるなら、ライン上にあるものはわりとサクっと切っちゃうのが現在だ。
やっぱこりゃ世間の不景気が原因なのかな。とするなら現在氾濫している「微妙」は辞書的なことばではなくて時代語だ。大抵のものを微妙で処理することによって現在の世間を生きていくことが平易になり、そして迷うようなものは考えに容れない暮らしに慣れていく。

一過性のものならそのまま消えてしまう意味になるんだろうけど、これがこのままたとえば50年とか続けて定着したら、未来には辞書のうえでも「微妙」にはネガティブなイメージが記述されることになるんだろうか。

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んじゃ逆に好景気の時代の「微妙」はどうだったんだろうか。
「この商品どうよ」「んー、微妙…」「んじゃとりあえず買っとくか」
とかなってたんだろうか?むー、ちょっと想像できんな。

5:49 2002/12/08

日々

夜中に郵便を出しに行って戻る途中でピーポくんをみかけた。
サンシャイン横の公園の裏のあたりの交番。

ピーポくん

なぜピーポくんはいつも一本きめてトリップしてるような顔ですか?
なんか不穏な雰囲気がプンプンする顔なのでとても怖い。左右の目がべつべつのとこ見てるし。あと、なんか耳の長さが悪魔的に感じられるのはおれだけなのかな。

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池袋駅北口あたりにある大久保病院の看板。

池袋 大久保病院

「袋 大久呆病院」になっとる。
病院で「呆」はまずいだろ「呆」は。

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で、焼肉。久々に安楽亭。
おれはセットにせずに肉+肉+米+ビールでがふがふと食う。

焼肉

むー、なんか微妙だった。
ビールが若干薄い気がするのはべつに構わないし、肉はちゃんと焼肉屋さんの肉してたんだけど、ご飯だけははっきりとまずかった。においとか。
不馴れな店員が多い時期なのかオーダーミスが頻発したり、そもそも動きが悪かったり。どうした安楽亭、店内もちょっと元気がないかんじだし、最近焼き肉業界苦労しとるんかなーとかいらん気を揉んでみたりとかした。
ていうか単に深夜だったからなのか、この店だけがそうなのか、それともグループ全体よろしくない時期なのか。赤羽時代には結構行ってたんだけどあんましそういう印象持ったことないんだけどなあ。
確かに今年は狂牛病騒動で、焼肉業界には苦労の年だったのかもしれんなとか。

5:08 2002/12/08

足の裏の向こうの世界

わはは、Quantumやってて床抜けしちゃったよ。
壁ならわかるけど床っていうのが、Quantumのアグレッシブさの証明だな。

ブラックンストウの序盤(湖抜けたあたり)で攻撃くらって地面に叩きつけられたと思ったらそのまんま草むらつきぬけて地下の世界へ。地下の世界っていうか床一枚の向こうにはなにもなく、ただ視界一杯にひろがる空。驚いてポーズかけて記念写真撮ったけど全然わかんねえなこれでは。

足の裏の向こうの世界

なるほどこの世界は天動説なのだなあとか思いつつポーズ解除したら次の瞬間コースに自動復帰。仕様どおりの動作ってやつですか。

DC版「CRAZY TAXI」で何回か柵とか空中に引っかかったまま動けなくなったりとかしたけど、そういうポイントを見つけたときってなんかうれしいね。「SONIC ADVENTURE」(主に1)みたいにポコポコ落ち死にされるのはちょっと困りものだけど、多少のことならそれはむしろ安全設計以上にアグレッシブに遊べるように作ってもらってるということだからとてもいい。安全と自由が同時に買えるとは思ってない。
というか多分日本のゲームだったらコリジョンマップをガチガチに堅牢に作っておいてそれでもなお漏れてしまうような部分はバグとして扱っちゃうんじゃないかなと思うんだけど、そこいらへん一応きっちり作ってはおくけど一定ライン以下の部分に関しては自動復帰するからそれでいいでしょ的なザックリした仕様は、Quantumの洋ゲーたるを実感する場面でもあるような気がする。
XBOX「RalliSport Challenge」も同じような仕様だったなそういえば。

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第一にこのゲームにはコースアウトがあるし、それにこんだけ無茶苦茶なスピードでかっ飛んでいくレースだから、プログラマやデザイナが事前に想定できないよーな珍妙な速度と角度でコースの壁や床にぶち当たりまくるプレイヤがいずれは起こしてしまうであろう、いはゆる「めり込み」や「突き抜け」も当然それが起こること自体は想定されているだろうから、Quantum Redshiftには「ゲーム中にコースアウトしてしまったり、あるいは(今回のように)妙なきっかけで不思議時空にさ迷いこんだりしてしまうと自動でコース内に復帰する仕様」がある。このへんWIPEOUTと一緒。

ちなみにコントローラのbackボタンを押せば自動復帰を待たずに即時コースに戻れる。
これはコースアウトしていようがしてなかろうがbackボタン押したらすぐに(大抵現在位置よりちょっと手前の地点から)再スタートできるという仕様なんだけどで、コースアウトしてないのに誤って押してしまったりすると当然タイムロスになるので、コースギリギリでアウトかセフティか微妙なラインに飛んじゃった局面などでの読みが熱い。まあそんな状況は滅多にないので普段から意識しておくようなボタンじゃないかんじ。

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余談。
backボタンで復帰位置まで瞬間移動という仕様を応用して「スタート直後から延々とbackをポチポチ押す」とかいう操作をしてみたら挙動に幅があっておもしろかった。もちろんゲームプレイとしての意義はまったくない。
特定位置でbackを押してもそれ以上後ろに下がらずに元の位置で復帰→再復帰を繰り返したりするのはいいとして、普段行かないようなルートに入っておいてbackしてみたら復帰姿勢がやたら急角度だったりとかした。あとタラのホームコースの崖から飛び降りてる途中にbackすると顕著だけど、無茶な姿勢から復帰しようとすると復帰直後の画面がちらつくような気が。
たぶん自動復帰位置はこのエリアだったらこの位置でー、とか大雑把に割り振ってあるだけなんだろうけど(それで十分だし)、機体の状態(姿勢)は必ずしもクリアされずに影響を与えてしまうのかな?

3:52 2002/12/07

ひとにやさしい無機物のエロさ

エロい気分というものは、肌触りとか臭いとか音とかなんとかいろいろあるけども、それは人間のからだのかたちからも生まれるものなんだから、ということはユーザーインターフェースに配慮されたデザイン、つまりはひとの自然な仕草の影絵としての道具が性的なイメージを含むようになるというのは、なんだよそれはごくあたりまえのことじゃないか、と思ってみた。

3:52 2002/12/07

現代に蘇った忍者なれば須く対地攻撃ヘリと戦闘すべし

ヘリと戦闘しない忍者をおれは現代忍者と認めない。

たぶんSEGAとTECMOで現代忍者感が培われたせいだろう。スーパー忍、忍者龍剣伝、2大忍者ゲーメーカーだ。PS2のSEGA「SHINOBI」は昨日発売、TECMOはXBOXで開発中。どっちにも対ヘリ戦がフィーチャーされている(TECMOのやつは、まだムービーしか見たことないので実際にどうなるかはわからんけども)。これを当然とする肌感覚のゲーム制作者が活躍している現在にゲーマーでいられてうれしい。

鍛え上げた体術と戦術をもって地上最強の兵たる忍者(=ニンジャ)であれば、当代対地攻撃最強と言われる兵器と真っ向勝負を挑んでしかも勝ってしまうというパフォーマンスは絶対に必要だ。生体兵器、戦闘ロボ、なんだかわけのわからないもの、それらとも当然戦わなければならないが、それだけではいけない。ゲームをリアリティにつなぎとめ、それでいながら強さから現実を剥奪する存在、ヘリを墜としてこその忍者だ。

と思うんだけど、世間ではあんまそういうものでもないのかな。
ヘリが対地戦闘最強と呼ばれる時代が終われば、忍者の敵もヘリでなくなるんだろうな。

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それはそれとしてQuantum Redshift。
シークレットオプションの「スーパー焦点距離」というのが出たのでなんだろうと思ってonにしてみたら、うぎゃーなんじゃこりゃー、そういうことかー、と納得。スピードによって動的に写角が変わる。遠くのものがものすごく小さく、近くのものがものすごく大きく、というかんじ。止まってるぶんにはそれなりだけどブーストでもかけようもんなら目の前の光景が地の果てまで遠ざかる。ただでさえ超高速出てるもんだからその超遠距離さえも一瞬で詰めてしまう。スピード感ありすぎ。まともに走れん。

なんか悪い夢のようだなと思ったら、そういえば「MAXPAYNE」の回想ステージでこんな演出あったよな。

5:31 2002/12/06

日々

スラムダンク読了。
そういえばこういう終わりだった。

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売れすぎて原料確保が追いつかずに生産中止となったらしい青ゴクリにかわって登場予定だというオレンジ黒の新ゴクリが自販機に入っていたので買ってみた。

オレンジゴクリ

む、なかなかにゴクリかも。
キシャー!シー!シー!マイプレシィァース!!

22:45 2002/12/04

日々

スラムダンクは山王戦後半。後半本領発揮の山王プレス!すげえ運動量!とどめ!20点差!絶望!諦めたらそこで試合終了ですよ!No.1ガードだぜ!ズタボロ三井も天才発揮!リバウンド王桜木!板前魚住!立ち直れゴリ!大根!ゴリ復活!しかしさすがの堂本監督!ついに丸ゴリ桜木をマーク!つええ!止められる!しかし止め返した!というところ。おもしろい、ひさしぶりだ、これが少年スポーツ漫画のおもしろさっていうものか。

このあとどうなったんだっけなー最後の1分の台詞ナシ漫画の迫力は覚えてるけど、どっちが勝ったかという部分の記憶がスッポリ抜けてんだよな。あー、勝って砂浜だったようでもあり、結局負けたけど砂浜だったようでもあり。
ネットとかで調べればそんなものはすぐにわかるんだけど、この大勝負の決着を覚えていないというのはスラムダンク再読の状況としては実においしいので、積極的には情報を探さないようにしておく。答えは明日、読めばわかる。

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あまりにいいテンションでめし屋を出てしまったので、帰りがけに同人ゲーなど買ってしまった。

あずびーち&えあふり

「えあふり」は渡辺製作所が出したKey「Air」のキャラによるSEGA「フリッキー」似のゲームで、これはだいたいどのへんまで楽しく遊べるかはわかってるんだけども(っていうか以前に一度買った覚えがあるんだけどなくした)、「あずびーち」というのがEasyGameStationという評判を聞いたことのないサークルの制作で、バレーアクションゲームだというのでおそるおそる買ってみた。
バレーのゲームは他のスポーツゲームと比べて、スポーツルールをどういうふうにゲームルールに落とし込んでていくか(継承したり無視したり追加したり改変したり、「いかにしてバレーっぽいおもしろさ」のエッセンスを出すか)という企画の力に負うところの多いジャンルだと思うので、このゲームがどういうふうにそれをやってるのかがちょっと気になったというか。

気になったんだけど、とりあえず今日は買っただけで疲れ果ててるので遊ぶのはまた今度にして寝る。

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脳内妄想。
個人的には、選手1キャラをコントロールするような操作系ではなくて、2on2なら自陣2キャラのそれぞれの位置関係+(せいぜい方向キー押しっぱなし程度の)コマンド入力+ボタンのタイミング押し(これが一番重要な要素)でフォーメーションみたいなものを作ってサクサク進めるよーなタイプがおもしろいんじゃないかなーとか思っている。とかいってもどーいうかんじか全然わからんな。ぬう。つうか脳内シミュレーションも十分じゃないので実際にやってみるとつまらんかも。
仮に仕様化できたとしても調整のやり方をまず考えなければいかんだろうし。

余談。
スポーツジャンルは違ってテニスだけど、守備範囲自体をわりと大雑把に広く取って、そのかわり位置取りとレバーとボタンとその押すタイミングでものすごく多彩な打ち分けを実現した「パワースマッシュ」はやっぱ絶頂に偉大だと思う。
あんな誰でも考えつきそうで誰にもできなかったすごいアイディアとその実装例は、この先数年は出ないだろう。あんなの作っちまったらそりゃプロの仕事ってやつなんだろうなあ。

22:45 2002/12/04

おれさま@ダメ〜ズ 未来編

すがわらくにゆき氏の、いい感じに気合をこそぎ落とした絵からは、今日と明日を生き抜くための最後っ屁のような元気をもらえる気がする。過程を抜かした結果だけの意外性かとおもえば、過程を抜かした結果にするりと納得できるかんじというか。

明後日を生き抜くためにはまた別のすがわらくにゆき氏の絵が必要だ。
なるほどそこで単行本か。うまいなあ。漫画家はこういうふうにwebを使わにゃいかんね。
というかもうちっと頻繁に更新していただけるとそういうふうにも見れるんだけど。

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公園で猫とお見合いしつつ一服。
木々の葉も見事に落ちて、寂しげではありつつもいっそすがすがしい朝。
猫も木もマイペースな連中だ。外面は時節に合わせて変わっても相変わらず自分のリズムで生きている。ああ、日本の冬だ。

9:10 2002/12/04

HONE-ori-ZONE

素敵だ。冬の地球儀ってかんじか。

21:20 2002/12/03

あやふや社会

Uの上司がヴァナディールに出張したまま帰ってこなくなったらしい。
廃人とかなんとかネットで聞いてるぶんには笑ってられるけどもそういった現場に直接出くわすとあんま笑いごとではないのかなとか思ってたけど、これが案外どうにかなっちゃうものらしい。環境や時期にもよるんだろうけど。
ネットゲー廃人というのは別に「こちら側から連絡手段がない」状態のことではなくて「電話やFAXやメッセンジャやチャット、そしてなによりそのゲームにログインすればほとんど確実に連絡が取れる」状態のことなんだから、クライアントさえあれば実はそんなに困らないのかもしれない。

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職場だろうが電話ごしだろうがネットごしだろうがヴァナディール経由だろうがなんだろうが、めしのたねさえ継続してゲットしてれば人生は継続プレイできるわけだから「暮らしを継続できているネット廃人」というのはネット廃人になっていない人間より1枚多く仮想生活レイヤを重ねているだけとも思える。
おれだって別に毎日武器で獲物を殺して今日のめしゲットだぜというよーなプリミティブな暮らしをやっているわけじゃないので、ということはおれが暮らしている現実というものは、これはこれで複雑怪奇多層構造の人生クライアントのうえにのっかっているとも言える。財布に入っている金はそれ自体に価値があるものではなくて日本国の信用によって価値が保障されている貨幣であって199X年のなつかしい未来を闊歩するモヒカン兄ちゃんなどにとってみればこんなものはケツ拭く紙くらいの値打ちしかないわけだし、そもそも金はそれ自体食えるものじゃないんだし。
おれを取り囲むいろんなものはどれもがあやふやだ。

ネットゲ廃人の多くが現実の生活を持ち崩してしまうのは、そのネットワークゲームのクライアントが現実に存在している人生クライアントほどには緻密じゃないからだ。まだひとの暮らしまでをも持ち込めるまでには母体がでかくない。いずれそれができるほどの完成度を持ったネットゲームが出現すればそれも可能になるかもしれないし、あるいはそんな無軌道に規模のでかいゲームなどは永遠に開発されないかもしれない。

-

リアルな人生だと実感できるプレイ時間を経験できてしまうよーなネットゲームが生まれたとしたら、それはほとんどの場合ゲームと認識されないと思う。人生をゲームと言い切れるひとが少ないように、このインターネットがあんまし「インターネットゲーム」とは思われていないように。

21:20 2002/12/03

日々

Quantum。
ファラオ!ファラオ!てめえじゃますんな!

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一日寝込んでたので枕元の「湯けむりスナイパー」をつまみ読み。
源さんはかっこいいのう。はらへった。

19:57 2002/12/03

日々

あーんもー今日は疲れたからめし食わずに速攻帰って風呂入って寝ようと思ってたのにスラムダンクのつづきが読みたくなってめし屋に寄って読みはまっちゃって結局長々と豊玉戦の途中まで読んで(流川がエースひじアタックくらうところ)帰ってきて寝るかと思えば結局Quantumやってるよ。寝ろよ寝てないんだからよー。ほんまニカイドウアミむかつくよスーパー攻撃喰らって即死だよおれのクミコたんの邪魔すんじゃねーよ畜生ぶっころす。全員勝つまでやめないから全員が最強なのだぞと。
というかんじで日付がかわる。

ひさしぶりに電話でFくんと話した。かわらねーなーおれたち。
そう言ってられんのもいまのうちとか思いつつもやっぱり当分かわらねーような気もする。

0:00 2002/12/03

XBOX / Quantum Redshift / Curly Monsters + Microsoft

すげえおもしろいので非常に満足している。はよRedshiftに行きたい。
買って損なし未来のレース。長いゲームになりそうだ。

Quantum Redshift

WIPEOUTのスタッフがごっそり抜けてCurly Monstersになったらしい。WIPEOUTはシリーズごとに制作スタッフが違うようなので、どのスタッフが移ったのかは調べてみないとよくわからんけど、Quantumはおもしろかったので、ということはおれが好きなWIPEOUTを作った連中は今はCurly Monstersなのだろうと思っておく。
かつてのWIPEOUTを置き去りに、Redshiftは新次元へとかっ飛んでいく。連中の次のビジョンはこれなのか。

Quantumの操作感はWIPEOUTのようでいてまるで違う。スライドは減速要素でしかない。WIPEOUTにあったコーナーを「捌く」といった感覚は味わえない。コースはラフで幅がとても広い。ここいらへんはさすがのXBOX。サーキットからラリーに進化した。
リプレイを見ていると特に顕著なんだけど、このゲーム、傍目にはなかなかレースゲームに見えない。レースゲームのルールでfpsをやっているっていうのか、そんなかんじ。光線、誘導弾、バリア、爆発、フレア。ライバル機との対決色が非常に強くなっている。1位になった者が勝利者だけど、最後まで走っていた者が勝利者でもある。
ゲーム自体そこに向けて作ってある。たとえばプレイヤがまず目にするのは機体の名前や武装のリストではなく、その操縦者の名前と顔だ。性能は二の次で操縦者のキャラクタ性を前面に押し出しているので、ライバル機にミサイル攻撃されてリタイアしてしまった時などにはそのチーム名や機体名ではなく「あー畜生!ファラオー!!」とかいって口惜しがるといったかんじ。憎いあんちきしょうに顔を与えるというのはわかりやすく激しいし、自機を操るキャラクタの単純明快なドラマ性もポップコーンをバリボリ食うかんじで嫌味がない。
ここ最近の風潮として、あまりWWE型のエンタテインメント色が幅をきかせていくのもどうかなとは思うけど、Quantumに関しては馬鹿っぽさとか野暮ったさも含めてわりと成功してるかなと思った。

ほんといろんなレースゲーやバトルゲーのおもしろさを貪欲に吸収している。よくできてるのだ。イギリスがいきなりアメリカになったようなこの変化はやはりただごとではない。それでいながらゲームの苛烈さ、「経過がどうであれ次のフレームで一番前に居るやつこそが1位」的な脳汁のあふれ加減、つまるところ闘争形態のこのシャープさは確かにWIPEOUTの後継ゲーと呼ぶにふさわしい。

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こんだけよくできてるゲームなんだけどジャケット含めた画面まわりのデザインが相当悪いので、日本で売れないゲームの烙印を押されてしまいそうで不安。ちがうんだよーおもしれえんだよージャケ見て避けるなよー大味洋ゲーじゃねえんだよー、と。

あとなんでもかんでも日本語化してしかも親切極まりなくご丁寧に説明文を垂れ流してくれるメニューやロード中のゲーム説明もちょっと。メニューの文字とかライバルの名前くらい英語のままでいいじゃねえかと。英語版だとフォントもいいかんじにかっこいいのに日本語版だとめっちゃ普通にMSゴシック(?)。せっかくかっこいい部分なのに野暮にしないでくれー。
こんなもん読めないやつはそもそもこのゲームやらないだろっていうか、そもそも読めなきゃ困るってものでもない。それがなにかを知りたければボタンを押してみればいいというのがアクションゲームの基本じゃないかー…ていうか「トーナメント」「タイムアタック」「クイックレース」「対戦プレイ」「オプション」とかまでカタカナに変換する意味はあるのか。日本マイクロソフトの妙にお役所的な翻訳仕事はWindowsのヘルプのへんな直訳文章そのまんまの違和感がある。
べたべたにローカライズするのかといえばそういうわけではなくてカタカナ多用だし、ていうか「select」をそのまんま「セレクト」と書くくらいなら「選択」とかなんとか変換しとかないとそれは親切とは言えんのじゃないかなとか。

結局のところ「日本で売るためにローカライズしなきゃいけない部分」と「日本に売り込むために強化したほうがいい部分」が全然だめなかんじ。オープニングムービーも、方向性自体は悪くないんだけどセンスずれてるかんじだし(このへんガチっと合ったらすげえかっこよくなるだろうから、とても残念だ)。
本国のマイクロソフトと日本マイクロソフトがうまい具合にかみあってないような。
ぬうう。

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で、全然音沙汰を聞かないPS2「WIPEOUT Fusion」は、確かにWIPEOUTシリーズのデザインのよさは継承してるっぽいんだけど(メカデザインは野暮ったくなってるかんじ)、どうかな。PS2だしなあ。Quantumある現在、もうよっぽどがんばってもらわないとFusionに食指は動かないかんじ。
このあとにはSEGA開発の「F-ZERO AC」も控えている。Quantumのこのインパクトを受けてF-ZEROがどういうふうにおもしろさを出してくるかには興味がある。Quantumも「F-ZERO X」からは結構吸収してる印象を受けたけど、それでもまだ新しいF-ZEROでないと出せないおもしろさはあるんじゃないかなと思えたので。

7:52 2002/12/02

日々:夢のような妄想

西暦2002年と言うけれど、単に時間の長さだけでいうのなら2002人が1年を過ごしたらそれだけで2002年ぶんの時間は賄えるのだ。中国4000年もまた然り。4000人の1年、8000人の半年、16000人の3ヶ月で4000年分だ。

時間自体の問題ではなくて、ひとの生き死にの連なりとしての歴史、それをはかるうえでの時間の流れだからそこに重さみたいなものを感じることができる。何人ぶんの有為や無為が詰まっているのかもはや判然としないほどに古くからあって大きなもの。
冒頭の考え方でこの2002年をはかるとして、世界人口が何人なんだか知らないけど仮に55億人くらいとすれば、2002年の1年間で人類は合計55億年を体感したことになる。地球が生まれて現在までを辿って、まだ10億年弱は余る計算だ。ボンクラの考えでどうにかなるよーな規模ではない。

そのなかに個人の1日や1秒を見出していくための作業っていうのは、これはやっぱし人間ひとりぶんの視界と視野を持った、たとえばおれがおれ自身を見出すとか、そういったことであって、それ以上になるともう個々人なんて見つけようがないんだろうなあ。とかなんとかそんなことを、中学だったか高校だったかの通学バスの中でぼんやりと考えていたことを、さっきなぜかふと思い出した。
おれの1秒を感じ取る可能性を持っているのはおれ自身だけということか。
ということはおれが気づかなかったら、おれが感じ逃した1秒は誰に感知されることもなく消えていくわけだ。
幽霊みたいなものだろうか。

0:44 2002/12/02

ドン.キホーテとかなんとかいろいろ

北池袋のあたりにちょっとでかい(郊外型のショッピングモールほどはでかくない)お店集合体みたいなのができたというので行ってみた。「激安の殿堂」「ドン.キホーテ」「肉のハナマサ」「包」などなど、どれが主なんだかよくわからないけどとにかく勢いだけは感じさせる看板が並ぶ。

ドン.キホーテ

地上2階地下1階、3階から上は駐車場になっていて、中古のゲームやCDなども扱ってる古本屋とか各種飲食店とか激安系なんでも屋とか食材品店とかネイルサロンとかマッサージとか休憩所とか児童遊戯スペースとかがフロアごとに配置されている。買い物エンタテインメント空間っちゅうわけですか。

主な探索目的は「ゲーセンがあるか否か」なのでショッピング系の店舗はスルーしつつ巡回したけどカードとガチャガチャとUFOキャッチャーしかねえよ。もー。

キティさん?

マイメロディ?かと思ったらどうやらキティである様子。
かぶりものしてると見分けがつかん。

おもしろかったのは駐車場。

MAXHEADROOM 2.1M MAXHEADROOM 2.1M

「MAX HEADROOM」?ああ、「頭上高2.1m」か。
野卑な消費市場になつかしい未来を見つけたような気分で、ちょっとびっくりした。
しかしどうも怪しいのが駐車場の上のあたりにある数字列。

円周率? 円周率?

円周率…か?
頭上高をわざわざMAXHEADROOMと書いてみせる感覚と、このネオン。こうして見ればこの空間は確かにあのどうしようもない世界の相似にも見えてくる。いやアメリカ生まれのサイバーパンクな妄想などは現代日本はとっくに追い越しているのもかしれないし。

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児童遊戯場で遊んでるガキ共の、たのしげでありつつもかすかに垣間見えるかれらの世界の階級闘争などをなごやかにながめることができたのは収穫だった。
子供の動物的なふるまいにはいつも元気づけられる。かれら戦闘意識は純粋だ。

20:32 2002/12/01

会社とおれとセールスマン

なにかとてもいい商品があって、それを必要だと感じた場合、客は販売店に詰めかけて我先にそれを買っていくはずなので、わざわざセールスマンのひとが営業に回ってくるような商品には、その事実だけで今おれが買う価値はないと考えることにしている。
とはいえおれみたいな考えかたをするやつばかりではますます世間に回る金の量が少なくなって不況が深刻になるばかりなので、さわやか営業マンのセールストークにのせられて「あらあら」とか言いながらサクっとよくわかんない新商品に手を出しちゃうような奥さんとかには今後ともがんばっていただきたいと思う。

あとまあ、いい商品がそこにあってそのよさがあまり世間に伝わっていないという状況は、けっこうあることだとも思うので、どういう形でもいいから営業という商売はあったほうがよくもあるんだよな。きれいごとではなくなってしまうかもしれないけど。
おおまかにここいらへんに客層があるだろというよーな媒体に投げておく広告と、ピンポイントでここにはウチの商品買ってもらおうという営業回り。夢をでっかく広告打ちまくってばかりだと足元すくわれてすっこけてしまうんだから、明日のメシにつなげるために手近に顧客をゲットだぜという感覚を持っていないと普通の会社は立ち行かんのだろうし。

よくも悪くも営業っていう仕事を考えるとき、「人間の会社であり社会であること」を強く意識させられる。

0:53 2002/12/01